追憶の欧州スタジアム紀行(13)
フィリップス・スタディオン(アイントホーフェン)

 スキポール空港、アムステルダム中央駅のそれぞれから電車で1時間半弱。アイントホーフェンはオランダの中心地からベルギー、ドイツ両国境方面に向かっていくその途中にある。南下すればベルギー。東に進めばドイツというロケーションだ。

 駅を出て、堂安律が所属するPSVアイントホーフェンの親会社であるフィリップスの本社を左に眺めながら歩くと、数分でスタジアムが見えてくる。駅に近いスタジアムである。

 そのデザイン性の高さに、まず目を奪われる。チームカラーである赤が、全面的に施されているわけではない。控え目にアクセントとなる程度に抑えられているため、外観はポップなデザインに仕上がっている。鉄筋コンクリートの塊という重たいイメージを抑えた、ライトなプラモデルのようなスタジアムだ。


堂安律がプレーするPSVの本拠地、フィリップス・スタディオン

 スタジアム内には、サッカーと直接関係ない会社の事務所がいくつか入っている。現在はクラブのファンショップになっている一角も、かつては子供用品の店として知られる「トイザらス」の店舗だった。

 サッカー+アルファ。スタジアムにサッカーとは異なる要素を埋め込んだ複合型スタジアムは、今日の主流になっているが、フィリップス・スタディオンはその先駆け的なスタジアムとして話題を呼んでいた。

 収容人員は約3万5000人。視角の急なサッカー専用スタジアムだ。

 初めて訪れたのは1995−96シーズンのUEFAカップ(ヨーロッパリーグの前身)準々決勝。PSV対バルセロナ戦だった。

 カンプノウホームで行なわれた第1戦は2−2。内容ではPSVのほうが勝っていた。試合内容もよかった。どちらが勝つかわからない、接戦になりそうな高揚感を抱いたことが、1996年3月19日、フィリップス・スタディオンを訪問した一番の理由に他ならなかった。

 オランダの3月といえばまだ極寒だ。試合開始は20時30分。覚悟しながらメディアの入場ゲートに向かった。オランダ語で「Receptie」と書かれてある、ホテルのフロントを連想させる受付を抜けると、これまたホテルに入ったような言葉を掛けられた。

「上着を脱いでください。預かります」

 結婚式など、ホテルで行なわれるパーティに出席すると、受付の近くにコートなどを預けるクローク係がある。それと引き替えに番号カードを渡されるあの仕組みと、この場合も同じだった。

 しかしここはスタジアム。凍てつく寒さの中で2時間近く耐え忍ばなければならない。厳冬服に身を包んでいなければ、凍え死んでしまう。観戦にあたり、せっかく万全な態勢を整えてきたのに、なぜここで上着を脱いで預けなくてはならないのか。

「ノー、サンキュウ」と言って、先へ進んだが、前の人も後ろの人も、当たり前のように上着を脱いで預け、部屋着に近いセーター姿になっている。狐につままれたような気分で、プレスルームのドアをくぐれば、そこにはまた別の驚きが待っていた。

 発色のいい真っ赤な絨毯に圧倒された。その中央にはピカピカのバーカウンターが設置されていて、蝶ネクタイ姿のバーテンダーが記者たちの注文に応じている。バルサ戦だから特別、というわけでもなさそうである。

 欧州の取材現場には、その何年か前から頻繁に出ていたので、記者に飲食を提供する習慣には慣れていたつもりだったが、PSVのおもてなしは、他とは少々、レベルが違っていた。フィリップスという企業名をクラブ名に取り入れている矜持のようなものを見た気がした。

 オランダには芝のピッチが1万面以上ある。PSVはピッチを12面、持っていたと記憶するが、街場のクラブにレンタルされているピッチも多数ある。聞いてびっくりするほど安い値段で借りることができる。

 そして、そのほとんどにはクラブハウスとして使用される小屋がついていて、内部には必ずバーカウンターがある。飲食は、クラブ活動を円滑にするコミュニケーションツールとして欠かせないものだとの認識が定着しているからだ。

 赤い絨毯はスタンドに向かう廊下にも敷き詰められていて、こちらの雰囲気も、またホテルのごとしである。記者席は当然、アウトドアで、見るからに寒そうな場所にある。しかし、記者たちはやはりセーター姿だ。分厚いダウンジャケットを着ている人は見当たらない。

 ところが、着席すると、こちらも即、厳冬服を脱ぐことになった。そのままではいまにも汗を掻きそうになるほど暖かったからだ。天井に目をやれば、赤々と灯が点る電気ヒーターが数多く設置されていて、そこから降りてくる暖気によって、あたり一帯はスッポリと覆われていた。

 フェイエノールトのデカイプ、レバークーゼンのバイアレーナなど、その後、ヒーター付きのスタジアムで真冬に幾度か観戦したことがある。フィリップスは家電メーカー。日本に置き替えればパナソニックだろう。吹田スタジアムもぜひ……と言いたくなる。日本には存在しないスタジアム文化、おもてなしの精神である。

 PSV対バルサ。UEFAカップ準々決勝セカンドレグは、2−2(合計4−4)から、80分、バルサのホセ・マリア・バケーロが決勝ゴールを決め、合計スコア5−4で逃げ切るという派手な撃ち合いになった。

 カンプノウで行なわれたこの第1戦も観戦していた筆者としては、マン・オブ・ザ・マッチは、勝ったバルサからではなく、PSV側から出したい衝動に駆られた。

 ルク・ニリス。28歳だったベルギー代表のFWだ。当時、オランダのサッカーは日本在住者には馴染みが薄かった。この前シーズンに欧州一に輝いたアヤックスでさえ、知る人ぞ知るチームだった。PSVのアタッカー、ルク・ニリスは、さらにその奥に潜んでいた名手になる。

 この時代、このような日本と欧州との距離の遠さを痛感させる選手はザラにいた。それがいまやほぼゼロだ。情報は漏れなく伝わってくる。

 それから9年経った2004−05シーズン当時はどうだっただろうか。

 ミランとリバプールがイスタンブールで対戦したこのシーズンのチャンピオンズリーグ(CL)決勝は、大いに盛り上がった。ミランが前半を3−0で折り返しながら、後半、リバプールが同点に追いつき、延長PK戦を制した一戦である。名勝負といわれるが、カルロ・アンチェロッティとフース・ヒディンクが火花を散らした準決勝のミラン対PSVも、負けず劣らずの感動的な、まさに隠れた名勝負だった。

 ミランホームの第1戦(2−0)を終えた時点で、勝負は決したかに見えた。ところが第2戦ではPSVが巻き返した。後半20分までに2−0とし、合計スコアを2−2とした。後半アディショナルタイム。ミランは46分、カカのクロスをマッシモ・アンブロジーニが決め2−3とする。アウェーゴールなので、試合はこれでほぼ決したかに見えた。

 ところがその直後、PSVはフィリップ・コクーがゴールを決め、3−3とする。

 残り時間はあと1分あるかないか。攻めるはもう1点が必要なPSV。守るはミラン。スタンドのファンは総立ちだ。PSVは実際、惜しいチャンスを掴んだ。ノルウェー人の主審、テリー・ハウゲさんの笛が鳴ったのはそのタイミングだった。ラグビーのノーサイドを告げるような響きだった。

 フィリップス・スタディオンを埋めたファンは、敗れたにもかかわらず、ピッチ上の選手たちをスタンディングオベーションで讃えた。PSVの選手のみならず、ミランの選手たちも、そんなPSVのサポーターに拍手を送り返す。するとスタンディングオベーションは、さらに勢いを増すのだった。

 滅多に見られない美しい光景として、いまなお記憶されている。

著者:杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki