「大物」と騒がれながら、消えていったJリーガーがたくさんいる一方で、プロ入りするまで無名だった選手が大成する例も少なくない。今回は、そういった選手の代表格は誰なのか、識者にアンケートを実施してみた。結果は以下のとおりとなった――。

◆今季Jリーグで移籍が「吉」出た選手たち>>


photo by AFLO

第4位:福西崇史

text by Sugiyama Shigeki

 1995年、高卒でジュビロ磐田に入団した福西崇史は、翌シーズンにはもうスタメンに定着していた。藤田俊哉、名波浩、中山雅史、ドゥンガ、ファネンブルグ等、そうそうたるメンバーが並ぶそのなかで、異彩を放つ存在だった。

 その時、20歳。年代別カテゴリーの日本代表に選出された経歴があったわけではない。

 出身高校は新居浜工業高。愛媛県の高校といえば、その頃、南宇和が全国的に知られていて、1989年度の全国高校サッカー選手権で優勝を遂げていたが、愛媛県全体はサッカー先進県とは言えなかった。磐田のスカウトが南宇和の選手を視察に行った試合で、対戦相手の選手としてピッチに立っていた福西に、偶然目が止まったという話だ。

 磐田にはFWとして入団したが、当時磐田の監督を務めていたハンス・オフトの発案で守備的MFにコンバートされた。ブランド力の低い選手がひとり混じっている感じだった。

 しかし2、3年後には、チームの"顔"になっていた。歌舞伎役者然とした長身のイケメンだったこともあるが、傍らで構えるドゥンガにボランチ学を教え込まれたことも大きかった。

 1999年、日本代表に初選出。2002年日韓共催W杯では途中交代による1試合出場に終わったが、それから2006年ドイツW杯までの4年間は、日本代表の主力として活躍した。代表史に大きな影響を与えた選手として認知されている。

 慧眼のスカウトや指導者がいなければ、誕生していなかった選手。サッカーの特殊性や奥深さを語る時、福西は外せない選手と言えるだろう。


photo by Etsuo Hara/Getty Images

第4位:森保 一

text by Nakayama Atsushi

 一般的にはまったく無名の選手がのちに大成した例として、その草分け的存在と言えるのが、現在日本代表監督を務める森保一だろう。

 森保の名がサッカーファンに知られるきっかけとなったのは1992年、初の外国人監督として日本代表を率いたハンス・オフトが、JSLのマツダ(サンフレッチェ広島の前身)時代の教え子でもあった森保を最初の招集リストに加えたことだった。

「モリホって誰?」――多くのファンがそうであったように、オフトジャパンのコーチを務めた清雲栄純も、のちに森保の存在を知らなかったことを告白したほどの無名選手だった。サッカー情報が日常にあふれる現代においては、考えられないようなエピソードである。

 はたして、1992年5月のキリンカップで代表スタメンデビューした森保は、同年11月、日本代表のアジアカップ初優勝にレギュラーとして貢献。当時の守備的MFに求められたプレーを体現したことで、森保のポジションを表現する"ワイパー"という新たなサッカー用語とともに、その名を日本全国に知らしめた。

 翌1993年に幕を開けたJリーグでも、当然ながらサンフレッチェ広島のキーマンとして脚光を浴びている。

 その後、"ドーハの悲劇"を経験した森保は、ファルカン監督時代、加茂周監督時代にわたって、1996年まで代表でプレーし、トータル35キャップを記録した。

 長崎日大高卒業後、当初マツダの子会社に勤務しながら、サテライトチームのマツダSC東洋でキャリアをスタートさせた無名の男が、やがて日本代表の常連となり、さらには現役引退後、日本代表を率いるまでに大出世したことは、まさに異次元のサクセスストーリーと言っても過言ではない。


photo by Sano Miki

第3位:中村憲剛

text by Asada Masaki

 中村憲剛がJリーグで大きな成功を手にした選手であるのは間違いないとして、それ以前の彼は本当に無名の選手だったのか。まずは、そこを改めて考えてみる必要がある。

 出身高校は、都立久留米高(現・都立東久留米総合高)。全国大会常連校ではないにしても、選手権の出場経験もあり、少なくとも弱小校ではなかった。無名を後押しするには、少々弱い材料かもしれない。

 大学は中央大。言わずと知れた、関東大学リーグの名門だ。そこではキャプテンも務めている。結果的に4年時は2部でプレーすることにはなったが、3年以前には1部、すなわち、大学サッカーの最高峰リーグでプレーしている。こうなると、学生時代の中村を無名に分類していいのかは疑わしい。

 ではなぜ、中村の歩みが一般的に「無名からのサクセスストーリー」として語られるのか。それは彼が、代表や選抜チームと縁遠かったことに最大の理由があるのだろう。

 事実、中村に年代別日本代表の経験はない。高校時代は東京都選抜にすら選ばれておらず、大学に進んでからも、ユニバーシアード代表はおろか、関東選抜にも選ばれたことがない。学生時代の中村は、おそらくプロ予備軍のひとりには数えられていなかった。

 そんな選手が、のちにA代表に定着し、2010年南アフリカW杯にも出場。川崎フロンターレではクラブ史に残るレジェンドとなったのだから、そのギャップたるやJリーグ史上に残る"大記録"だろう。プロ入り後に成し遂げたことの大きさが、彼の"無名だった感"を一層強調する材料となっていることは間違いない。

 まだ川崎がJ2だった2004年、天皇杯で鹿島アントラーズと対戦し、プロ2年目の中村が、「黄金世代」のひとり(小笠原満男)と初めてプレーできたことを喜んでいたのが懐かしい。


photo by Sano Miki

第2位:長谷部 誠

text by Komiya Yoshiyuki

 藤枝東高時代の長谷部誠は、冬の全国高校サッカー選手権に出ることがなかったせいか、"全国区の選手"ではなかった。地元Jクラブからのオファーはなく、浦和レッズに入団するも、1年目はリーグ戦出場なし。また、年代別カテゴリーの日本代表にも選ばれてはいるが、補欠的な扱いだった。2003年ワールドユース(現U−20W杯)のメンバーにも選ばれず、藤枝東の1年後輩である成岡翔が主軸として出場していた。

 しかし、長谷部はプロの世界で燦然と輝きを放つことになる。

 プロ2、3年目に、トップ下だけでなく、ボランチとしてもプレーして出場機会を増やすと、才能が目覚める。ポジションを補完し、迅速かつ効率的にパスをつけ、チームを動かす。戦術適応力の高さを見せるようになった。

 そしてプロ7年目で移籍したブンデスリーガで、14シーズンを過ごしている。ボランチだけでなく、サイドハーフ、サイドバック、そしてリベロを担当し、人並外れた万能性で評価を高めてきた。どんな状況でも気を抜かず、図に乗らず、機転が利く。常にいいポジションをとって、味方をカバーし、チームとしてのアドバンテージを積み上げられるのだ。

 そのプレースタイルは、先天的か、後天的か。もともと周りへの気遣いができる誠実な選手なのは間違いないが、エリートとして周りからチヤホヤされることなく、自分の生きる道を考えた時に、周囲を考察する力を養うことによって育まれたとも言える。

 日本代表としては、主将としての振る舞いも特筆すべきものがあった。特にカオスの中でチームをまとめ、下馬評を覆した2010年南アフリカW杯、2018年ロシアW杯でのマネジメントは、日本サッカー史に刻むべき殊勲。まさに、熟練の賜物だ。


photo by AFLO

第1位:中澤佑二

text by Harayama Yuhei

 プロの夢を諦めきれず、無名の高校から単身ブラジルに渡り、帰国後、ヴェルディ川崎(現東京V)の練習生となり、翌年にプロ契約を勝ち取った。その年にレギュラーの座をつかむと、新人王を獲得。そのまま日本代表に駆け上がり、日本を代表するセンターバックにまで上り詰めた。

 その経歴をなぞるだけでも、1本の映画を作れそうなほどである。シンデレラストーリーを地でいった中澤こそが、日本サッカー史における最大の"成り上がり者"だろう。

 代名詞である"ボンバーヘッド"は、Jリーグだけでなく、世界を相手にしても十分に通じる代物で、2010年南アフリカW杯の躍進は、田中マルクス闘莉王と中澤の、2センターバックの奮闘なくしてあり得なかった。

 Jリーグでも横浜F・マリノスの守備の要として、2003年、2004年の連覇に貢献。2004年にはDFでありながら、MVPを獲得している。

 圧倒的な高さと強さに特長がある中澤だが、最大の武器はハングリーさとストイックさだろう。V川崎時代、練習中に三浦知良を激しく削りにいき、本気で激怒されたエピソードは有名だが、自身が這い上がるためには、なりふり構ってはいられなかったのである。スター選手にも遠慮しないメンタルの強さこそが、中澤を一流へと導いた要因だろう。

 一方で、長くトップシーンで活躍できたのは、一切の妥協を許さないストイックさがあったからに他ならない。とりわけ晩年には体のケアに時間をかけ、油モノを口にしないなど、食事にも細心の注意を払っていた。

 代表キャップ数110試合は歴代7位。J1通算出場593試合は歴代3位に位置する。エリート街道を歩んできたわけではないからこそ、中澤には、底を知る者だけが持つ芯の強さがあった。



※今回のランキングは、「プロ入りするまでは無名ながら、プロ入り後にJリーグや日本代表などで活躍し、大成功を収めた日本人選手は誰か?」というアンケートを識者5名に実施。1位の選手を5点、2位の選手を4点、3位の選手を3点、4位の選手を2点、5位の選手を1点というポイントをつけて集計。その合計ポイントによって、順位を決定した。

◆各識者のランキング
浅田真樹氏(スポーツライター)
1位=中澤佑二、2位=福西崇史、3位=塩谷司、4位=中村憲剛、5位=小林悠

小宮良之氏(スポーツライター)
1位=長谷部誠、2位=中澤佑二、3位=中村憲剛、4位=長友佑都、5位=小林悠

杉山茂樹氏(スポーツライター)
1位=長谷部誠、2位=森保一、3位=福西崇史、4位中澤佑二、5位=久保竜彦

中山 淳氏(サッカージャーナリスト)
1位=長友佑都、2位=森保一、3位=中澤佑二、4位中村憲剛、5位=昌子源

原山裕平氏(サッカーライター)
1位=中澤佑二、2位=中村憲剛、3位=長谷部誠、4位=久保竜彦、5位=福西崇史

◆サッカー選手の美しきパートナーたち>>