内から鮮やかに抜け出した桜花賞馬ステンボッシュ。その2冠に待ったをかけたのは桜花賞13着大敗のチェルヴィニアだった。まさかの大逆転もファンの評価は2番人気。

ルメール騎手への信頼もあっただろうが、最近のファンは変則ローテなど気にしない。ローテより能力を重視する姿勢が透けて見えてくる。昭和平成の競馬を生きてきた者にとって、2歳秋から半年ぶりの出走だった桜花賞大敗はどうしてもマイナス要素に思えてならない。

しかし、このローテを組んだのが木村哲也厩舎となれば、話は別なのだ。イクイノックスという世界を驚かせた天才は木村厩舎とノーザンファーム天栄でなければ出現しなかったかもしれない。木村調教師が以前、取材で語ってくれたのは、素晴らしいフォームで走る素質にあふれる若駒は決して少なくない。

しかし、競馬を使ううちに色々な要因があり、その形が崩れていってしまう。古馬になっても惚れ惚れする走りをするイクイノックスは別格だった。では、その走りを維持するためにはどうすればいいのか。

■厩舎サイドに異例ローテの意識はない

木村調教師はできるだけ長くファンに喜んでもらえる馬づくりを目指し、そのためにはなにが必要なのかを突き詰めてきた。イクイノックスにとって大きかったのは東京スポーツ杯2歳Sから皐月賞への直行だった。クラシック期間にあたる2歳から3歳は人間でいえば、10代前半から後半にかけてと同じだ。

たとえば高校野球などでも、若いアスリートが過酷な戦いに身を投じ、消耗してしまうのは将来を閉ざしはしないかと議論になる。サラブレッドも同じだ。人間に置き換えるなら、2歳から3歳は最初のクライマックスであると同時に、成長する期間でもある。いかにその両輪を上手に回していけるのか。

木村厩舎はイクイノックスでその答えをひとつ出した。競走で消耗したら、必ずその回復に時間をかけること。回復とトレーニングではなく、まず回復することに全力を尽くす。ノーザンファーム天栄で英気を養い、心も体もリフレッシュさせてから次に向けて動き出す。

これを徹底させた結果が、異例のローテと呼ばれるわけで、厩舎サイドにはそんな意識はない。予定ありきではない。馬の状態を見極めた上で出走させるレースを選ぶ。その姿勢の是非をイクイノックスはのちに圧倒的なパフォーマンスで証明してくれた。

■桜花賞挑戦は大きな意義をもつ

チェルヴィニアはその延長戦にあった。アルテミスSを勝ち、阪神JFは体調が整わないことを理由に回避。3番手追走から上がり33秒3で突き抜けたアルテミスSはチェルヴィニアにとって、少し走りすぎたのかもしれない。

若いアスリートと同じく、体の成長以上に気力で力を出しすぎてしまうのは、止められない。その分、リカバリーにしっかり時間を使わないといけない。チェルヴィニアにとって、阪神JFを走らず、しっかり休養したことがオークスにつながった。

そんなローテを可能にしたのもアルテミスSを勝ったからだ。2歳秋までに重賞を勝てば、賞金面でクラシック出走は確定する。優先権も賞金加算も必要ない。オークスでみせた美しい走りは、アルテミスSを勝ったことがもたらしたといってもいい。

6月デビューから重賞を勝ち、春へ。暮れのGI回避は誤算だったかもしれないが、結果としてオークス勝利への布石となった。チェルヴィニアは3歳春まで中9、10、22週と歩んだからこそ、オークスまでの中5週にはポジティブな感触しかなかった。

と言いつつも、レースを使わなければ前へは進めない。人間もサラブレッドも成長するためには経験が必要だ。サラブレッドは叩き良化という考えは、これほどローテーションに気を配る今でも関係者の根底にある。大舞台の経験は強くなるためには避けられない。チェルヴィニアも13着とはいえ、桜花賞出走は外せない道だった。

最後は進路が狭くなり、無理をさせなかったが、大外枠からマイル戦の速い流れのなか、なんとか逸る気持ちをコントロールしていた。桜花賞での抑制の効いた走りへの挑戦が、オークスでの外目をリズムよく走る姿につながった。

ステレンボッシュは馬群でわずかに行きたがった。上がり600mは同タイムであり、序盤のわずかな差が結果に影響したなら、桜花賞挑戦は大きな意義をもつ。あの大敗に意味がある。やはり競馬は点ではなく線であり、それをたどる時間こそ珠玉のひとときだ。

チェルヴィニア/2024年オークス(C)Toshihiko Yanagi

チェルヴィニア/2024年オークス(C)Toshihiko Yanagi

■偉大なる名牝たちを追いかける資格

チェルヴィニアのオークスを語るなら、母チェッキーノを語らないわけにはいかない。その母ハッピーパスとともに二代にわたり藤沢和雄調教師が管理した。ハッピーパスは春2冠4、7着に終わり、チェッキーノはクラシック制覇を宿命づけられた。3戦目のアネモネSを制し、桜花賞の出走権をつかんだが、レースの後の疲れを理由に回避し、フローラSからオークスへ進んだ。

大外を力強く伸びるも、馬群を割ってきたシンハライトの末脚にクビ差敗れた。若駒の回復を優先させた歩みといい、大外を伸びる走りといい、チェルヴィニアは母の生き写しのようだった。

ただ一つ違うのが結果だ。母を超えた娘の未来は明るい。なぜなら勝ち時計2分24秒0より速い記録でオークスを駆け抜けた馬たちは、ジェンティルドンナ、アーモンドアイ、ラヴズオンリーユーなど、みんな牡馬相手に互角以上の成績を残したからだ。チェルヴィニアには偉大なる名牝たちを追いかける資格がある。

クラシックは2歳6月から3歳5月の1年間で一つの結末を迎える。その青春の1ページにどんな道を刻んでいくのか。チェルヴィニアが歩んだ道は母から続いた答えの一つであって、決して正解でもない。結果につながる道はいくらでもある。

ホースマンたちは、懸命に馬の個性にあった最適な道を探し、様々なアクシデントに悩み、それを乗り越えていく。クラシックの価値は関係者の研鑽が支えている。我々は来月には次の物語の1ページ目をめくる。その主役たちは繊細なサラブレッドのさらに柔い心身を競馬場で懸命に表現していく。

多彩な血統背景をもった若駒たちがどんな道をたどり、その走りはどう変わり、どこまで逞しくなっていくのか。そんな視点でクラシック戦線をとらえてみよう。必ずや若駒たちの成長を実感できるはずだ。

著者プロフィール

勝木淳 競馬を主戦場とする文筆家。競馬系出版社勤務を経てフリーに。優駿エッセイ賞2016にて『築地と競馬と』でグランプリ受賞。主に競馬ニュース・コラムサイト『ウマフリ』や競馬雑誌『優駿』(中央競馬ピーアール・センター)にて記事を執筆。Yahoo!ニュースエキスパートを務める。『キタサンブラック伝説 王道を駆け抜けたみんなの愛馬』(星海社新書)などに寄稿。