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育ての親から送られた悠太君のアルバムや様子を知らせる手紙を、大切そうにバッグにしまう香織さん=茨城県土浦市で


 予期せぬ妊娠で、初めての子を昨年10月に出産した香織さん(34)=仮名、東京都在住=は、養子縁組の仲介・あっせんをするNPO法人「Babyぽけっと」(事務局・茨城県土浦市)を通して、東北地方に住む、子どもに恵まれない結婚16年目の夫妻に生後5日の長男・悠太君=仮名=を託した。出産から1年。「生みの親である私に会いたいとわが子が望んだとき、健やかな私でいたい」。香織さんは、複雑な思いを抱えながらも、養親を通して触れるわが子の成長を支えに生きる。わが子を養子に出すに至った経緯や今の気持ちを語ってもらった。

 今回の香織さんへの取材は、特別養子縁組の実態を広く知ってもらおうと、Babyぽけっとが場を設けてくれました。特別養子縁組とは、養子となる子どもの生みの親(実親)との法的な親子関係を解消し、育ての親(養親)と養子に実の親子関係を結ぶ制度です。公開中の映画「朝が来る」(河瀬直美監督、辻村深月原作)には、実の子を育てることができない生みの親と、実の子を持てなかった夫婦が登場し、養子縁組を仲介するNPO法人「ベビーバトン」を通してつながります。河瀬監督は「Babyぽけっと」をモデルとして取材し、映画には実際にBabyぽけっとの支援のもとで出産までの時間を過ごした女性が、出産間近の妊婦として登場しています。

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映画「朝が来る」(河瀬直美監督、辻村深月原作)の一場面。実の子を持つことができなかった夫婦、栗原佐都子(左、永作博美)と清和(右、井浦新)は、「特別養子縁組」の制度を知り、生後間もない男の子を迎え入れる ©2020「朝が来る」Film Partners



おなかの子に気づいたのは妊娠25週 父親が分からない…

―出産に至る経緯を教えてください。

 性風俗の業界で働いていて妊娠しました。父親に当たる人は分かりません。妊娠に気付いたのは、昨年7月。もう妊娠25週に入っていて、中絶できる時期を過ぎてしまっていました。

 受診した病院では「この時期になるまで本当に気付かなかったのか」と聞かれました。5月ごろまでは、いつもの生理よりは少ないけれど、出血があったんです。今思えば切迫早産ぎみだったのかもしれないですけれど…。妊娠の兆候としては、生理がとまること、つわりがあることぐらいしか知りませんでした。

 脚の血管が浮き出たり、足がつったり、息切れがしたり、トイレが近かったりといった症状はあったのですが、それが妊娠の兆候だと知りませんでした。もともと持病で不整脈があったこともあり、ただ自分の体調がすぐれないだけだと思い込んでいました。体重も増えるのではなく逆に減っていました。

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Babyぽけっとが主催する特別養子縁組の説明会で、制度や養子を迎えるにあたっての心構えなどの説明を聞く縁組希望者=説明会の写真は、いずれも茨城県土浦市で


もう中絶できない時期 でも自分では、とても育てられない

―妊娠が分かり、どんな思いでしたか。

 おなかの赤ちゃんに申し訳ない気持ちになりました。7月はじめに妊娠と、もう中絶できない時期であることが分かりましたが、経済面でも体調面でも、家族のサポートの面でも、自分ではとても育てられないと思いました。区役所や児童相談所にも相談し、病院からは特別養子縁組を仲介する(Babyぽけっととは別の)民間団体を紹介されました。

 選択肢は、自分で育てるか、乳児院に預けるか、養子縁組をするかでした。ただ、「赤ちゃんにとっては、親二人がそろっている方がいいのではないか」と考えていました。

 8月末に切迫早産で急きょ入院することになりました。頼れる人がいなかったので、入院に必要なものもそろえられず、苦労しました。自分の家庭は崩壊しているも同然だったので、親にも知らせませんでした。どうやって育てるか迷っている段階で誰かに話しても、「育てろ」と言われるに決まってます。赤ちゃんをどうやって育てるかを決めるまでは、誰にも言えないと思っていました。妊娠していることを話したのは、友人一人だけ。そのほかの周りの人には「持病で入院する」としか言っていません。職場には「今日から2カ月休みます」と告げただけです。

赤ちゃんのためには? 悩むうちに時間だけが過ぎていく

―その頃には、赤ちゃんをどうやって育てようと考えていたのですか。

 最初に紹介された養子縁組の支援団体とは信頼関係が築けず、任せたいと思えませんでした。しかし、自分で育てるのも無理でした。どうしたら子どもが幸せになるだろう、とずっと悩んでいるうちに、時間だけがどんどん過ぎていきました。厚生労働省のホームページから、民間の養子縁組あっせん団体の資料をダウンロードし費用や手続きについて調べる中で、最終的にお世話になるNPO法人「Babyぽけっと」を知りました。妊娠38週目、10月に入っていました。

 迷いながら連絡を取ったところ、岡田卓子代表(61)につながりました。「すごく大変だったね。あなたは今、とても疲れてる。赤ちゃんもかわいそうだったから、この後はゆっくり寝なさい」と声を掛けられ、「ここだったら、大丈夫そう。信頼できる」と思えました。「(子どもを託す養親は)どんな親御さんがいい?」と聞いてくれたのも大きかったです。1週間後に、申込用紙を書きました。

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養子縁組の仲介・あっせん事業を行うNPO法人「Babyぽけっと」の岡田卓子代表。予期せぬ妊娠や経済的な理由などにより、出産しても子どもを育てることができない実親のサポートもしている


赤ちゃんと過ごした5日間 「簡単に手放してはいけない」

―赤ちゃんが生まれて、どんな気持ちになりましたか。

 出産予定日を1週間過ぎても陣痛が来ず、赤ちゃんが弱ってきているとのことで、緊急帝王切開で出産しました。おなかの赤ちゃんに気付くのが遅く、妊娠中の環境も悪かったので、やせて生まれてくるのではないか、健康状態が悪いのではないかと、とても心配でした。でも、3000グラムほどの元気な赤ちゃんが無事に生まれてきてくれて、本当にほっとしました。

 出産後5日間、ミルクをあげたり、おむつを替えたり、抱いて寝かせたり、部屋は別でしたが一緒に過ごしました。「赤ちゃんを手放しづらくなるよ」と病院やBabyぽけっとのスタッフには心配されましたが、簡単に手放したくない、手放してはいけない、自分がしたことの重みを受け止めなければいけない、と感じました。

 赤ちゃんは、すごくかわいかった。愛嬌(あいきょう)があって、「この子なら、血のつながっていない家に行ってもきっと大丈夫。大事に育ててもらえる」と思えました。私はこの5日間があったおかげで、安心して託すことができました。

 Babyぽけっとのスタッフが「赤ちゃんがいなくなってさみしいと思うけど、私たちがいるから、何かあったら連絡してね」と、つかず離れずの距離感で接してくれたのもありがたかったです。

「家族になってるんだ」 育ての親が送ってくれた写真

―育ての親に託した後も、団体を通じて、つながりが続いているそうですね。

 はい。とても優しい養親さんで、節目のたびに、手紙や写真を通して、悠太(1歳0カ月)の様子を知らせてくれます。生後3カ月ほどのお食い初め、生後半年のハーフバースデー…。今年のお正月には、おじいちゃんやおばあちゃん、ひいおじいちゃんに抱かれた悠太の写真を送ってくれました。「家族になってるんだ」と感じ、愛情いっぱいに育てられていること、養親さんご家族とのご縁に感謝しています。

ずっと「ごめんね」という思いを抱えていくはずだった

―悠太君を養子に出したことに、後悔はありませんか。

 私は悠太を捨てたわけではありません。でも、普通は持病があっても、経済的に苦しくても、自分で育てる人がほとんどでしょうし、無理をすれば育てられないわけではありませんでした。でも、一人で育てるには不安しかありませんでした。一人親になってしまうこと、自分の体調がすぐれないこと、経済的に厳しいこと。血がつながっていれば乗り切れる、と言い切れませんでしたし、家族など身近な人の助けも望めませんでした。

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養子に迎えた子どもと一緒に説明会に参加する養親OBら


―今の気持ちを聞かせてください。

 妊娠が分かった時から私はずっと、悠太に「ごめんね」ばかり言っていました。おなかの中で育っているのに気付かなくて「ごめんね」。産むまでいい環境でいさせてあげられなくて「ごめんね」。育てられなくて「ごめんね」…。これからも、ずっと「ごめんね」という思いを抱えていくのだと思っていました。

 でも今は、悠太を養親に託して、本当によかったと思えています。実親と養親が接触を持たないなど、産んで縁が切れてしまう養子縁組の関係もある中で、こうしてつながりを持てることで、後悔するばかりだと思っていた産後とは違う形の日々を送らせていただいています。

 わが子を産み、特別養子縁組に出したことに対して、支えてくれる団体のスタッフから「勇気ある決断をした」と言われることがあります。でも、それにも増して、養親のお二人は、勇気を出して、他人の子を引き取るという決断をしてくださったのだと思います。

いつかわが子が「生みの親に会いたい」と思う日が来たら

―香織さんは今、どのような生活を送っていますか。

 こうして今、養親さんが送ってくださる写真や手紙を通して、私も悠太の成長を見守るうちに、自分が少しずつ変わってきたのを感じています。今年の5月に、夜の仕事を辞め、昼間働ける仕事に転職しました。水商売がダメというわけではなく、昼間に働いた方が体も心も健康でいられて、将来的に長生きできる確率が高いと考えたからです。悠太が大きくなったときに、元気でいられる方がいい、その方があの子に気持ちの面で負担を負わせずに済む、と思うようになりました。

―いずれは、悠太君が自分の出自について知る日が来ます。

 Babyぽけっとの養子縁組は、子どもが小学校に上がる前に「真実告知」をする、つまり養子であることを本人に知らせることを縁組の条件としています。悠太が本当のことを知ったとき、背負う重荷は少ない方がいい。もしいつか、悠太が「生みの親に会いたい」と思う日が来たら、私は会おうと思います。そのときに、元気で会えた方がいい。これから、少しずつ立て直していくつもりです。

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養親OB(左の2人)に赤ちゃんを抱かせてもらいながら話を聞く特別養子縁組希望者(右の2人)


特別養子縁組とは

 子どもが、家庭で愛情をもって育てられる環境をつくるために、公的に設けられた子どもの福祉のための制度。予期せぬ妊娠や、経済的な事情などにより、育てたくても育てられない親が、子どもの幸せを願い、育ての親に託すことで、安定した養育を受けさせることができる。

 実親との法的関係が残る普通養子縁組と異なり、戸籍上も養父母が実親扱いとなる。養親が裁判所に申し立てをしてから約6カ月の試験養育期間の後、縁組が確定すると、子どもの戸籍は実親から養親に移る。

 制度を利用しやすくするための民法改正で2020年4月から、対象年齢が6歳未満から原則15歳未満に引き上げられた(※)。また、成立までの手続きが「実親の養育状況と同意の有無を判断」する審判と、「養親と養子のマッチングを判断」する審判の2段階に分けられ、これまでは縁組成立まで可能だった実親の同意撤回を、同意から2週間経過後は撤回不可とすることで、養親(候補者)の負担が軽減された。

 ※本人の同意があり、15歳になる前から養親となる人と一緒に暮らしているなどの条件を満たせば、例外として15〜17歳の縁組も認められる。


取材を終えて

 事情があってわが子を手放した親は、自責の念に駆られながら、その後の人生を過ごすことになるのだろう。そんな自分の先入観が、香織さんへの取材で打ち砕かれた。望まぬ妊娠、父親の不明、経済的な事情、親との不和、自分の体調。いろいろなことが重なり、出産直前まで悩み続けていた香織さんは、特別養子縁組を支援するBabyぽけっとを介して、養親夫妻とつながった。生まれてきた悠太君が、あたたかい家族の中で愛されて育っているという事実が、香織さんを「ごめんね」と後悔するだけの人生から救ったのだと、目を見開かされる思いだった。

 こんなつながりを生んだ背景には、「養子縁組は隠すことではない」とし、真実告知を縁組の条件とするBabyぽけっとの一貫した姿勢がある。子どもに養子であると小さいうちから話していくことを勧め、縁組成立後も、双方が望めば生みの親と育ての親のやりとりを仲介する。香織さんにとっては、育ての親から届く悠太君の成長、そして、いつか悠太君と対面する日が来るかも知れないという可能性が支えになり、出産後の人生を前向きに歩む原動力となった。特別養子縁組が生んだそのつながりが、本当にまぶしかった。

 ぽつぽつと話し始めた香織さんの口調が、インタビュー終盤ではとても力強い話し方に変わった。おなかに赤ちゃんを抱え、行き場がなくなってしまった次の誰かが、こうやって次の一歩を踏み出すきっかけになるかもしれない。「子どもの福祉のための制度」と言われる特別養子縁組だけれども、同時に、一人の女性の人生も支え、変える力があるのだと、今回の取材で強く感じた。