3月6日(金)に全国公開される映画「Fukushima 50」の特別試写会が2月10日、大阪・なんばパークスシネマにて行われ、佐藤浩市と火野正平が舞台あいさつに登壇した。

本作では、共に現場の最前線である中央制御室の同僚を演じた佐藤と火野。プライベートでも長年の付き合いがあり、10歳以上の年の差ながら、佐藤が火野のことを「しょうへいちゃんと呼んでます(笑)」と明かすなど、終始、2人の仲の良さがにじみ出ていた。

2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災によって起こった福島第一原発事故。本作は、門田隆将のノンフィクション作品「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫刊)を映画化したもので、現場では本当は何が起きていたのか、家族を、そしてふるさとを守るため、死を覚悟して発電所内に残った人々の知られざる“真実”が描かれている。

今から25年前の1995年に阪神淡路大震災を経験している関西の方たちに、本作を見てもらった心境を聞かれた佐藤は、「まずこの作品の一般試写会が行われたのは福島でした。この映画の中には津波・地震のリアルなシーンが多々入っております。そうした映像を見ていただくことは緊張感もあり、正直怖い気持ちがあります。ただそれを皆さんに踏ん張って見ていただくことで、明日につながる作品だと思います。阪神淡路大震災で被災された方々、それを生々しく記憶されている方々にも、本作をよろしくお願いいたしますと伝えたいです」と、本作の活動を通して伝えてきたメッセージを送った。

一方、火野は「震災当時は外にいて、TVのニュースでこれはまずいことになっていると思っていても、実際に何が起きているかは分からなかったんです。それでもこの映画を見ることにより、原発内で起きていることが分かってもらえる映画だと思います」とコメントした。

次に、本作に出演することを決める上で考えたことを聞かれた佐藤は「正直、題材としてもまだ早いんじゃないか、危ないんじゃないかと思いました。それでも監督から、この映画は最前線にいた職員を中心に描きたいという思いを告げられて、そういうことなら最後まで一緒に走ろうと決めました」と、若松節朗監督のとのやり取りを語った。

対して火野は「この映画を作っていいのかなと思いました。俺たちが演じた方々は、現場から逃げることができないのなら、そこで闘おうという思いで現場にいたと思います」と続けた。

■ 火野正平「むさ苦しいところにいたらやつれていきますよ」

そして本作で、実際に演じている役者たちが、どんどんやつれていく様子が描かれていることに触れられた佐藤は、「この作品は順撮りで撮影を進めていて、5日間の出来事を時系列に沿って撮影していきました。そうすると、みんなの顔もどんどん変わっていくんですよ。この作品的にはそれがとても良かったと思います」と、日に日に過酷さを増す現場のリアルな様子を描けているとコメント。

すると、火野は「3週間くらい、同じセットにたくさんの男がいて、そんなむさ苦しいところにいたらやつれていきますよ(笑)」とコメントし、「それはあなただけだよ!」と佐藤がツッコむという一幕もあった。

そして火野は、「防護服、マスクをかぶって原発内を走るのは、本当に俺じゃなきゃダメなのかなと思いました。撮影の最終日に気づいたんですけど、最初から横に吹き替えの人が待機していたんですよ(笑)。最後まで自分でやりましたよ」と撮影の裏を明かした。

暗闇の中での撮影を佐藤は、「物語の中盤から防護服を着るので、セリフも明瞭に聞こえないんです。専門用語も飛び交いますし、そうした製作スタッフがマイナス要素と思っていたものが、実際、とてもリアルさを持っていて、表情が分からなくても、それが何か分かるようになるんですよ。セリフの不明瞭さも、妙にリアルに聞こえてくるんですよね。そうした意味では“映画の神様”がいたのかなと思いますね」と振り返った。

■ 佐藤「自転車に乗っているだけではないんだ!」

次にMCから、火野が自転車で日本全国行脚をしている話になると、「自転車で全国をまわっているんですけど、日本はどこに行っても被災地なんですよ。どこに行っても元被災地なんですよ。そうした国に住んでいることへの自覚と、日本人って強いな、立派だなと思います。被災して2年目に自転車で福島に行ったんですけど、そうしたら現地の方から『火野さん頑張れ!』って声をかけられて、逆に応援してもらって、日本人って強いな、美しいなと思いましたね」と、被災してから福島を訪れた際のエピソードを披露した。

古くからの付き合いである2人だが、佐藤は「火野さんがこの作品に出てくれるとなった時に『この人は自転車に乗っているだけではないんだ!』と思いましたが、本作には、旧知の先輩である火野さんと平田満さんがいてくれたことが気持ちの面で本当に助かりました」と先輩である2人に感謝を述べた。

東日本大震災当時のことを聞かれると佐藤は、「撮影が終わってコンビニに立ち寄っている時で、外に出ると信号機が揺れるくらいで、家族の安否をすぐ考えましたね。“あの時何していた”っていうのがキャスト、スタッフの合言葉でした」と述懐すると、火野は「ラジオ、TVを聞いていましたね。阪神淡路大震災の時は京都の撮影所から琵琶湖にいて、撮影していていいのかなと思っていましたね」と25年前に阪神淡路大震災当時のエピソードも交えた。

本作が73の国と地域での上映が決まっていることに対して、佐藤は「Fukushima50という言葉は海外のメディアがつけた言葉で、その方たちにはどう見えるのか含め、それよりもまずは日本に住む方々にどう見えるのかですよね」とコメントした。

最後に火野は「とにかくたくさんの方に見ていただきたいです」とあいさつすると、佐藤は「桜は人間のために咲いているわけではないけど、人間はそのせつな的な美しさに思いを馳せます。災害は深い爪痕しか残しません。そうした負の遺産を遺産としてバトンをつなぐことができる映画だと思います。皆さんよろしくお願いします」と感謝を込めてあいさつし、イベントは終了した。

■ 映画「Fukushima 50」あらすじ

2011年3月11日午後2時46分。マグニチュード9.0、最大深度7という、日本の観測史上最大の東日本大震災が発生した。

太平洋から到達した想定外の大津波は福島第一原発(イチエフ)を襲う。内部に残り戦い続けたのは地元出身の作業員たち。外部と遮断されたイチエフ内では制御不能となった原発の暴走を止めるため、いまだ人類が経験したことのない世界初となる作戦が準備されていた。それは人の手でやるしかない命がけの作業。

同じ頃、官邸内では東日本壊滅のシミュレーションが行われていた。福島第一原発を放棄した場合、被害範囲は東京を含む半径250km。避難対象人口は約5,000万人。それは東日本壊滅を意味した。

避難所に残した家族を想いながら、作業員たちは戦いへと突き進んでいく。(ザテレビジョン)