2020年度前期の“朝ドラ”こと連続テレビ小説「エール」(毎週月〜土曜朝8:00-8:15ほか、NHK総合ほか)。主に古山裕一(窪田正孝)の苦悩が描かれた第6週、フリーライターでドラマ・映画などエンタメ作品に関する記事を多数執筆する木俣冬が注目したのは、窪田の繊細な演技だ。(以下、第6週までのネタバレが含まれます)

第6週あらすじ――豊橋での演奏会を終えて、裕一は意気揚々と福島に帰るが、音(おと/二階堂ふみ)との結婚を認めないまさ(菊池桃子)たちの気持ちを知り、将来の選択について心が揺れる。そんな折、裕一の海外留学が取り消しになるという衝撃の知らせが届く…。

■ 夢見心地な状況から…奈落の底に

朝ドラ「エール」、第6週「ふたりの決意」は、主人公・古山裕一が海外留学や音との結婚話に胸おどらせた夢見心地な状況から一転、奈落の底に転落する場面からはじまり、悩み苦しんだ結果、なぜか「音楽」も「音(おと)」もふたつとも得ることに成功、東京で新生活をはじめるところで終わる。

ヤラレタ!と思ったのは、27回で恩師・藤堂先生(森山直太朗)に「本気で何かを成し遂げたいなら、何かを捨てねばいけない」と助言された裕一が、愛する音を捨てて音楽をとろうと決意。ところが肝心の留学が世界大恐慌で中止になってしまい絶望。追い詰められた裕一だったが、まわりまわって彼が捨てたものは「家」だったという展開である。

「家」というしがらみから解き放たれた裕一は、音楽と音、両方を得る。これには目からウロコが落ちる思いがした。

29回で、川俣銀行の落合支店長(相島一之)が裕一に助言した「失敗は誰にでもあるが 失敗から学ぶ人間は少ねえ 逃げんなよ自分の心から」(助言してくれる人がたくさんいて裕一恵まれている!)が後から効いてくるという仕掛け。何を捨てるか、逃げずに考えた結果、最良の選択を裕一はしたのである。

支店長は未だ独身だし、いまいち頼りなく見えたけれど、いいところがある。彼のみならず、川俣銀行の人たちはみんな裕一に優しかった。

ところが裕一の家には、気は好いが頼りなく、裕一を養子に出してしまった父(唐沢寿明)、優しいが事なかれ主義で、養子に出すことを止めなかった母(菊池桃子)、裕一が恵まれていると嫉妬する弟(佐久本宝)、裕一を養子にして権藤家の跡取りをつくることだけ考えている祖母(三田和代)や叔父(風間杜夫)、長男が店を守るのが当然と思っている従業員(田中偉登)など、せっかくの裕一の音楽の芽を摘んでしまいそうな人たちばかり。

それに比べて、音は、裕一の音楽に希望を見出し、彼が音楽の道を歩めるように東京で職場まで探すという、やり過ぎ感も否めないほどの献身ぶり。音と一緒なら音楽もどんどん沸いてくるし、未来が拓けそうな予感に震えるのは無理もない。

■ 狂気や絶望を表現

女性が主役であることの多い朝ドラでは、男尊女卑の社会に女性が物申していくことが多いが、男性が主役の「エール」では、「あの子は跡取りさえつくってくれればいいんだから」と、現実世界で以前、女性が「産む機械」発言が物議を醸したことがあったことの男性版が起こる。

男性も「跡取りさえつくってくれればいい」と思われてしまうこともある。つらいのは女だけじゃない、男も女もつらいよ……というこのドラマにおいて、裕一役の窪田正孝がすばらしい働きをしている。

男もつらいリアリティーを全身で表現しているのである。常に肩を落とし、膝を抱え、肩身の狭さを感じさせた。だがしかし、窪田の凄さは、男はつらいよということよりも、天才と凡人の差異を演じているところであるのではないだろうかと思ったのが第6週である。

まず、27回。藤堂先生の言葉に影響され、音に「別れてください」と手紙を書いた裕一は「音さん、捨てたんだろ。一流になんなきゃ意味ない」と作曲に没頭する。このときの窪田正孝からは作家の狂気が立ち込めていた。

それから一転、突然、留学が取り消しになってしまい嗚咽(おえつ)する表情(鏡に映った顔)は絶望の極地。人は行くところまで行くと虚無になる。

そして29回。音や鉄男(中村蒼)に励まされたものの、気持ちの晴れない裕一は、雨のなか、叔父・茂兵衛に借りた舶来の傘を返しに権藤家に向かう。

そこで、前述の「あの子は跡取りさえつくってくれればいいんだから」を聞いてしまい、雨のなか駆け出して、水溜りに滑って転んで泥だらけになって、ハモニカをかき鳴らす。ここが、比較的ポップな朝ドラである「エール」からはいい意味でかけ離れていた。

もともと窪田は、ポップなドラマ、それこそ父役の唐沢寿明と共演した刑事ドラマ「ラストコップ」(2016年)などにも出ていた俳優ではあるが、近年、映画「初恋」や「Dinner」などで深い孤独の淵をさまようような役を演じているからか、全体的にコント仕立ての「エール」でひとり、全く違う次元に行ってしまっているのである。

だとしてもちょっと行き過ぎではないかと心配になるくらいなのだが、それによって裕一が非凡な音楽家としての才能をもっていることが知らしめられるのだと思うと、この異様な、ひとり違うドラマ感もナットクできる。

すっかりいやになって家を出ていこうと荷造りしているところを弟に止められ、一瞬、乱暴にふりほどきながら「ごめん」と顔を緩める。その落差も天才ゆえ。天才とは常識では、はかれないものなのである。

「ラストコップ」では頼りない弟キャラが似合う俳優だった窪田は、それ以降、成長めざましく主演作も一気に増えた。でも、やっぱりちょっとお世話したくなるキャラを演じることが得意なようで、音がいないとダメダメな裕一もハマっている。

窪田が弱々しく演じれば演じるほど、音楽方面で力を発揮するときの落差が出て、説得力を増すだろう。

そもそも、裕一のモデルである古関裕而は、大衆を魅了する音楽を書いてきたその才能で、戦争のときには国民を高揚させる軍歌を作ったという光と影を背負った作家である。

窪田正孝がなぜ、「エール」でこれほど違ったテンションで演じているのか。その意味がわかるときが、そのうちやって来るのではないだろうか。(ザテレビジョン)