<つなぐ 戦後72年>前橋で原爆犠牲者慰霊式 核兵器禁止条約 日本不参加「恥ずかしい」

 被爆七十二年県原爆犠牲者慰霊式が十三日、前橋市の嶺(みね)公園にある県原爆犠牲者慰霊碑前で営まれ、被爆者たちが献水や献花で追悼の祈りをささげた。被爆者たちからは、国連で七月に採択された核兵器禁止条約に日本が不参加だったことに「残念だ」「悔しくて恥ずかしい」と憤りの声が相次いだ。 (菅原洋)

 「ピカッと光り、ドーンと爆音が響いた。幼児だった自分は即死した母の下敷きになってかばわれ、助かった。周囲は真っ黒に焼け焦げた遺体がごろごろとし、やけどで水膨れの人々がさまよっていた」

 広島の被爆者、坂ノ下守さん(74)=藤岡市=は慰霊式の「被爆者の言葉」の中で回想した。

 坂ノ下さんが被爆したのは、爆心地から約一・四キロの原爆ドームが見えるような場所。母が奇跡的に救ってくれた。坂ノ下さんは「母の面影が今でも夢に出る」と述懐する。

 核兵器禁止条約に日本が不参加だったことには「残念で、日本も協力してほしかった」と不満をあらわにした。

 慰霊式の「私たちの願い」では、被爆三世で主婦の伊藤あゆみさん(48)=高崎市=も、日本の不参加に対して「唯一の被爆国として自覚し、核の被害とはひどくて悲しいことだと世界へ訴え、核兵器をなくす先頭に立ってほしいと強く、強く願う」と厳しく批判した。

 約四年前に亡くなった祖父は原爆投下時、広島市外にいた。直後に市内に入って救援活動したり、多くの遺体を火葬したりするうちに被爆したという。

 慰霊式は県原爆被災者の会(群友会)や県内の平和団体などでつくる実行委員会の主催。県内外の被爆者と家族約十人を含む計約五十人が参列した。

 実行委によると、県内で被爆者健康手帳を所持しているのは百二十六人。慰霊碑は一九八一年に建立され、約三百五十柱を合祀(ごうし)している。慰霊式は毎年営まれてきたが、被爆者の高齢化に伴って一時中断。被爆七十年の二〇一五年に再開し、今年で三回目となる。

 核兵器禁止条約には百二十二カ国が賛成したが、日本は米国など核保有国に同調して交渉にも参加しなかった。

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