足利市の聖火ランナーの一人で、レスリング元五輪代表のプロレスラー谷津嘉章さん(63)が二十四日、足利市役所を訪れた。谷津さんにとって足利はレスリング人生の原点。昨年六月、病で右足を切断し、失意の日々を送ってきたが、再出発の第一歩として聖火ランナーに手を挙げた。「チャンスをいただければ一歩一歩かみしめて聖火を運びたい。その先に希望の光が見えてくる」と語った。(梅村武史)

 プロレス全盛期の一九八〇年代、一発逆転のジャーマン・スープレックス・ホールドでファンを魅了した。いまは右ひざ下七センチから先を失い、義足で生活している。孤独なリハビリを経て、聖火リレーに向けて週二回、義足ランの練習に励んでいる。

 現役を続けていた昨年六月、小さなけががうみ、糖尿病の影響もあって急きょ、切断手術を受けた。最後の試合からわずか三週間後のこと。「レスラー人生がこんな形で終わってしまうのか」。当時は大きく落胆したという。

 三人兄弟の次男として一九五六年、群馬県明和町で生まれた。バイクと機械いじりが好きで、自動車整備士になるつもりで足利工大付高(現・足利大付高)に入学した。身体が大きいという理由でレスリング部に誘われたのが人生の転機になり、才能が開花した。

 「そこは全国屈指の強豪校だった。毎日毎日、渡良瀬川の堤防沿いを十キロ走り、織姫(おりひめ)神社の男坂二百二十九段を十往復…。練習に明け暮れる日々だった」と谷津さん。当時の恩師、大島大和(やまと)さん(81)は「闘争心がすごかった」と振り返る。

 レスリングで七六年モントリオール五輪フリースタイル九十キロ級に出場し、8位入賞。だが、二十四歳で代表に選ばれた八〇年モスクワ大会は日本のボイコットで出場できなかった。

 「谷津って男は五輪に見放された男です」と自虐的に語った谷津さんだが、和泉聡市長は「谷津さんの姿勢はみんなに勇気を与えている」とねぎらった。

 谷津さんは、聖火リレーへの希望は失っていない。「私を支えてくれた多くの方々に感謝している。恩返しの走りを披露したい」と話した。