女流義太夫の三味線方として、大きく重い太棹(ふとざお)の三味線を弾き、力強い音色で太夫(たゆう)(語り手)を支える。ヤマ場では時に激しく、時に情感を込めて演奏し、喜びや悲しみの心情、情景も表現。「語りあっての三味線ですが、先導する役割もある。演奏する度に発見があり奥の深い義太夫を、さらに追究する日々です」と語る。

 福井県出身で幼いころからピアノに親しみ、武蔵野音大(東京)に進学して音楽理論を学んだ。四年生の時、国立劇場で文楽を見て、太棹の音色に衝撃を受けた。長唄の細棹三味線や沖縄の三線を習っていたが、「今まで聞いたどの三味線とも違う迫力と響きにしびれた」と振り返る。

 それ以来、文楽の舞台を求め、大阪の文楽劇場にも足を運んだ。卒業後は国立劇場でアルバイトし、義太夫協会主催の教室を知って参加。チラシには「プロへの道もある」と書かれ、太棹の稽古に励んだ。

 一年間のプログラムを終えた一九九八年、女流義太夫の第一人者で、後に人間国宝となる太夫の竹本駒之助さん(84)に入門。私生活でも同年結婚し、翌年に長男を出産した。師匠から「人生の経験が芸の修業にもプラスになる」と助言され、横須賀市にある夫の実家で義母の協力を受けつつ、三味線の修業を積んだ。

 入門から八年後、文化庁が新進芸術家を育成する制度の研修員となり、飛躍のきっかけに。文楽三味線方の六世鶴澤燕三(えんざ)さん(61)に師事して二年間、三味線弾きとしての基本や心構えをたたき込まれ、大曲にも挑戦した。

 「燕三師匠の音に一歩でも近づきたい」と演奏に磨きをかけ、駒之助師匠との共演やCD制作などの経験を重ねた結果、二〇一一年に三味線の新進伝承者らに贈られる清栄会奨励賞を受賞。一七年には女流義太夫界の担い手として松尾芸能新人賞を受賞した。

 ここ数年、駒之助師匠の故郷やゆかりの地で共演が増え、「私の地元、横須賀でも公演し、師匠の芸に触れてほしい」と考えるように。師匠も快諾し、今年三月に公演を予定したが、新型コロナウイルスの影響で中止となった。

 演奏活動ができない現在、来年三月に横須賀での舞台を再度計画し、未来のビジョンを明確に語る。「自分の芸を少しでも向上させ、女流義太夫の魅力を多くの人に知ってもらいたい」(村松権主麿)

<女流義太夫> 義太夫節は、語りものの三味線音楽「浄瑠璃」の一種で、江戸時代前期に大坂の竹本義太夫(1651〜1714年)が始めた。迫力ある演奏が特徴。現在、人形浄瑠璃文楽や歌舞伎で演奏され、太夫と三味線は男性。女流義太夫は江戸後期に始まり、通常は太夫と三味線による「素(す)浄瑠璃」で上演。明治から大正にかけて「娘義太夫」が人気となり、アイドル的な存在だった。