日曜日の女:道ならぬ恋にハマる女を蝕む「希望」という名の幻想

日曜日の女:道ならぬ恋にハマる女を蝕む「希望」という名の幻想

東京には、都合の良い勘違いをしている女が多い。

麻布十番で会員制サロンを開いている麗子のもとにも、毎週のように勘違い女が現れる。

麗子は毎週日曜日になると、その週に出会った女たちを振り返るのを趣味としている。

先週は、結婚賛美を押し付ける女・マリを紹介した。

さて、今週麗子を驚かせた女とは?



<今週の勘違い女>
名前:朋美
年齢:32歳
職業:看護師


客観的に見たら、絶望的。


今夜、会員制リラクゼーションサロン「angelle(アンジュール)」にはポツポツとキャンセルが出てしまい、オーナーセラピストの麗子は突然出来たスキマ時間を持て余していた。

そんな時は、客のカルテを見返し、来店ペースや施術箇所の経過などをチェックすることにしている。

そうしているうちに、山下朋美のカルテに到達した。

「山下さん、今週は水曜と土曜、2回もいらしたわね…。」

朋美のことを思い出す時、麗子は言いようのない、虚しい気持ちに襲われる。

朋美は32歳で、大学病院の看護師だ。

話を聞くところによると、彼女はどうやら道ならぬ恋にハマっているらしい。毎週訪れる麗子のサロンで、逢瀬の一部始終を打ち明けていく。

だが、その内容がどう考えても「絶望的」なのだ。

セラピストと客という関係性でなければ、頬を引っ叩いてでも目を覚まさせたい朋美の状況を案じると、麗子は自分まで鬱屈とした気分になってしまう。


冷静な判断ができなくなってしまう恋の、その内容。

刺激と背徳感で得た快感の代わりに失うもの


ー今週の水曜日ー

「はい、麗子さん、これお土産!」

人懐っこい童顔をくしゃっと崩し、朋美は麗子に「湯もち本舗ちもと」の湯もちを差し出した。

「この間箱根に行ってきたんです。良かったら陽子ちゃんと一緒に、召し上がってくださいね。」

朋美は、よくこうして自分たちにお土産をくれる。ありがとうございます、と受け取るとケラケラ笑いながら箱根の話を始めた。

本心では朋美の不倫について良く思っていないものの、こうして警戒心なく人の心に飛び込んでくる朋美のことを、麗子はどうしても憎めない。

そう、朋美は「いい子」なのだ。

真っ直ぐで、少しだけ鈍感。だから、こうした都会では知らず知らずのうちに損をしてしまう。

ずる賢い既婚男性からしたら、手なづけやすい相手なのだろう。

そんなことを考えながら頂き物を片付けにいったん事務所に下がり、施術室に戻るとタオルを巻いてうつ伏せに寝ている朋美の姿が目に入った。

麗子は、朋美のその背中の様子を見ただけで、彼女の精神状態を予測することができるようになっていた。



今日は機嫌も体調も良さそうだ。麗子はホッと胸を撫で下ろし、まずは朋美の肩に触れる。

「あれ、山下さん、肩がすごく…柔らかくなってますね。やっぱり温泉の効果なのかしら。」

前回はガチガチに緊張していた朋美の肩は、ずいぶん柔らかくなっている。血の巡りも良く、肌ツヤも申し分ない。

「分かります?温泉もあると思いますけど…。やっぱり一番は、彼との関係が上手くいってるからだと思うんです♥」

始まった、と麗子は身構えた。

朋美は、こうして施術が始まって数分もしないうちに勤務先の医師との「逢瀬」についてあけすけに語りだす。

配属直後に彼からアプローチされ、君だけが特別に輝いて見えた、と言われたこと。

奥さんとは上手くいっておらず、寝室も別々なこと。

その家庭には小さな子供もいるはずなのだが、もう離婚は秒読みだということ…そんな話を、嬉々として語る。

その度に、麗子はどこかで見聞きしたことがある話だ、とため息をつく。

朋美が今までの付き合った男は大袈裟な愛情表現もなく、マメでない男が多かったらしい。始終愛の言葉を語ってくれる今の彼といると、自分が認められている気になり不思議と心が満たされるそうだ。

医者の彼は、看護師として朋美がどんなに優秀かにも気がついてくれる。仕事ぶりを見てはアドバイスをくれるし、もちろんデートは個室限定だが一流のレストランやホテルも多く、朋美曰く「いい思い」もさせてもらっているらしい。

だが、麗子は相手の男への怒りよりも、自分が大切なものを失い続けていることに気がつかない朋美に対して腹が立ってしまうのだ。


偽りでいいから、幸せだけを見ていたい

現実を直視することで、得られる幸せがある。


いつもより大分早めに店を出た麗子は、何となく家で自炊をする気になれず、足を伸ばして『ボン ピナール』に入った。



程よく混み合っている店内で、一息ついてスマホを取り出す。

Facebookを見ていると、大学の同級生だった友人が、パパになりました!というコメントと共に可愛らしい新生児の写真をアップしていた。

彼も医師である。朋美の彼のように浮気をしているのか、と余計なことを邪推してしまう。

それくらい、朋美の話は麗子の頭の中に暗く残ってしまっているのだ。

「麗子さん、私、すごく肩が重くて…。」

朋美がそう呟きながら来店するときは、彼との関係が行き詰まっている時だ。

水曜日に来店した時はツヤツヤだった肌も、土曜日にどうしてもと来店した時はボロボロだった。

パターンは決まっている。

不倫の恋を打ち明ける友人が少ないのだろう、朋美は惚気たい時と、自分でもどうにも気持ちの整理がつかなくなった時に麗子のサロンにやって来るのだ。

土曜日に話していた内容は、悲惨なものだった。

仲良く話していたのに、急に電話をブチッと切られてしまったこと。自分からのLINEメッセージをすべて消去しているのを知ったこと。彼の奥さんのFacebookアカウントを突き止めてしまい、ページを見るのがやめられないこと…。

「でも私、ここに来ると嫌なこと全部リセット出来る気がするんです。」

土曜日、朋美はそんなことを語っていた。

まるで、サロンに来れば都合の悪い現実が消えて無くなってしまうかのような口ぶりだった。

だが、本当は自分でも気がついているはずだ。

自分の体調不良を引き起こす、本当の原因を。

不倫にケリをつけることが出来るのは本人しかいない。

麗子は、その背中を押してあげることが出来ないのがもどかしかった。

だからこそ、ボロボロになっていくのが目に見える朋美に対し、苛立ちを覚えてしまうのかもしれない。

ここまで出口の見えない恋に振り回され、卑怯な男を愛し続けなくても、朋美にはもっとずっと相応しい男がいるはずなのだ。

確かに自分を認め、褒めてくれる男は魅力的だ。自己肯定感を自分で構築できない女が自分に自信を持つために、そうした男にすがってしまう気持ちもよくわかる。

しかし、妾が堂々と晩餐会に出席していたような時代ならいざ知らず、現代日本で一般人の日陰の女になることにメリットなど何もないではないか。

いつか、何もかもを捨てて自分のもとに来てくれるのではないか―。

そんな僅かな希望を持ってしまうのもわかる。だがその希望こそが、朋美自身をジリジリと、元に戻れないほど暗く出口の見えない場所へ追い込もうとしている。

希望を捨てろと言うのは、何においても酷なことである。

だが、朋美のような女にはきちんと言うべきなのだろう。さすがにお客である朋美に言うことはできないが、せめてまわりの友人には根気強く言おう、と麗子はあらためて思う。

男に、心から求められているのではない。その男はあなたと別れても、また別の女と付き合うだけだ、と。

自分を認めてほしいあまりに他者からの承認欲求に依存し続けていると、若さや時間以上に、大事なものも失うってしまうのだと…。

「自分に自信を持つことは、そんなに簡単なことじゃないからね…。」

麗子は幸せそうな同級生ファミリーの写真を見つめ、もう一度大きなため息をついた。


▶NEXT:8月27日 日曜更新予定
SNS活動が激しすぎる女の実態に迫る


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