恋愛中毒:彼に、会いたい。あの夜のタクシーで、人妻の私は後戻りできぬ恋に堕ちた

恋愛中毒:彼に、会いたい。あの夜のタクシーで、人妻の私は後戻りできぬ恋に堕ちた

人妻が恋するのは、罪なのか。

裕福で安定した生活を手に入れ、良き夫に恵まれ、幸せな妻であるはずだった菜月。

結婚後に出会った彼は、運命の男か、それとも...?

身も蓋もない、無謀で純粋な恋に堕ちてしまった女は、美しく、ひたむきに、強かに、そして醜く成長していく。

友人の強引な誘いで、独身のフリをして食事会に参加した菜月。独身の達也から二人で会おうと誘われるが...?



いつもの朝。

夫の宗一を玄関で見送り、掃除洗濯を済ませ、コーヒーを淹れ、一息つく。

夫婦二人分の家事なんて、大した労力は使わない。それでも、部屋の中が少し整うだけで良き妻になったような気がするから、女なんて単純な生き物だと思う。

日当たりの良い部屋でコーヒーを飲む一人の時間が、菜月は好きだった。

外の緑を見ながらノラ・ジョーンズなんか流し、ただぼんやりと過ごして、作り置きの料理などしていれば、自分が比較的恵まれた妻であること、この環境は“幸せ”と呼べるだろうことを実感できるのだ。

それはまるで、ぬるま湯に浸かるような平和な時間だったはずだ。

しかし、菜月は初めて知ることになる。

他の男を胸に抱きながら同じ作業をこなすのは、全然楽ではない。

何をしても気が散り、胸がしくしくと痛むような、浮足だつような。笑いたいような泣きたいような。誰かに聞いてもらいたい、でも、秘密にしたい。

いったん気が緩み、達也のことを思い出してしまえば、自分でも理解できない複雑な気持ちに苛まれてしまう。

そして菜月は、平和とは程遠い時間を過ごすことになるのだ。

でも、かといって昔の自分に戻りたいかと言えば、それは絶対に嫌だった。


真面目な妻だったはずの女が、男の誘いに乗ってしまったとき...?

夫でない男に会うために、精一杯に着飾る妻


普段より念入りに塗ったファンデーションに、昨日買い足したばかりの、赤味の強い口紅。

ウエストの線をゆるやかに強調するネイビーのワンピースも、同じく昨日買い足した。

―別に、今夜のためじゃない。何となく、たまたま新しい物が欲しい時期だっただけ。

自分にどう言い訳しようとも、心の奥底で、菜月は分かっている。達也に会うために、自分は精一杯着飾ろうとしているのだ。

あの夜から、達也は毎晩のようにLINEをくれた。

内容は、特に深いものではない。今帰った、誰々と飲んできた、今何してるの?など、シンプルでとりとめのないものばかりだ。

―どうして、わざわざ私に。

外見にもスペックにも恵まれた29歳の男が、なぜ30歳を過ぎた既婚の自分に興味を持つのか。

決して舞い上がっているつもりでも、無防備に彼の誘いに乗るもりでもなかった。

ただ、こんな風に胸がザワザワするのは、自分なりに良き妻を数年務めてきた菜月にとって、本当に、ただ久しぶりだったのだ。



達也の指定した白金高輪の『私厨房 勇』は、住宅街にひっそりと佇む、カウンター席のみの中華料理の店だった。

中華とは思えないお洒落な店だが、店内は薄暗く落ち着いている。既婚の自分に、達也はそれなりに気を遣ってくれたのかもしれない。

「なんか、この前と雰囲気ちがうね」

数日ぶりに顔を合わせたとたん、達也は前回と同じく、興味深そうに菜月の全身に視線を這わせた。

人妻のくせにデート仕様でノコノコと誘いに応じてしまった自分は、彼の目にどう映るのだろう。そう考えると、菜月は急に情けないような気持ちになる。

「本当、菜月さん綺麗だよね。結婚してるとか、ハードル高すぎだけど」

しかし達也は、さり気なくそんなセリフを口にした。

「あ、いえ…」

夫以外の異性からの褒め言葉なんて、しばらく耳にしていない。菜月はみっともないくらいに動揺し、適切な反応の仕方も分からず、思わず口ごもってしまう。

だが、彼はそんな菜月を気にも留めない様子で、シェフにおすすめを聞きながらコース料理を注文してくれた。

“モテそうで女慣れした、お調子者の男の子”。

第一印象に反して、達也は意外に紳士だった。物言いはぶっきらぼうだが、丁寧な気遣いと絶妙な会話力は、さすがは商社マンと感心する。

「どうして、私を誘ったの?」

つい、最後に疑問をぶつけてしまった。野暮なセリフだったかもしれない。でも、聞かずにはいられなかった。

「だから、本当にタイプなんだってば。顔も性格も。てか俺、菜月さんが好きだよ」

たぶん、後戻りができなくなったのは、この瞬間だったと思う。

妻としての単調な日々から抜け出したようなこの一時は、もうすでに、中毒化していたのだ。


恋に落ちた女に、徐々に変化が表れる。

私の中の、知らない女


「...ねぇ、なっちゃん!聞いてる?!」

「え...?あ、うん...。淳平さんが、どうしたの?」

「ちょっと、今日のなっちゃん変じゃない?具合でも悪いの?ぼーっとしてるし、ヨガも右左何回も間違えたよね」

親友の美加に怪訝な表情で顔を覗き込まれ、菜月は急いで気持ちを正す。

今日はいつもの休日のヨガレッスンの後、『ウエスト 青山ガーデン』にお茶に来ていたが、数日前の達也との時間の余韻がまだ抜けずに、どうしても上の空になってしまうのだ。

「ごめん、ちょっと夏バテ気味なのかな」

そう言い訳して、パンケーキに手を伸ばす。あの日以来、実はほとんど食欲はないが、メープルシロップの甘い香りは鼻孔をくすぐった。



美加が話している“淳平”というのは、先日達也と六本木で出会ったときにいた、もう一人の男だ。

一応紹介という形で美加とLINEを交換したそうだが、彼は連絡もマメなタイプではなく、まだデートもできていないという。

「なっちゃんが帰ったあと、けっこう二人で盛り上がったから、イイ感じと思ったのに...。ねぇ、どう思う?」

「うーん、お仕事が忙しいんじゃない?まだあれから一週間くらいだし、もう少し待ってみたら...?」

「さすが、人妻は余裕だね。31歳の独身女の焦りなんて、なっちゃんには分からないだろうな〜。でもそうする。もう少し待ってみる」

満足気に微笑む親友を前に、菜月の胸はヒリヒリと痛む。

達也とのことは、美加には伝えていない。毎日のように連絡を取り合っていること、二人で会ったこと、そして、その帰り道で起きたこと。

「そういえば、達也がなっちゃんのこと気に入ってたよ。昨日他の友達とみんなで飲んでたんだけどね、結婚してるのかよーって、すごい嘆いてた」

―昨日。

身体の奥が、スッと冷えるような感じがした。昨晩の金曜日は達也から連絡はなく、美加と飲んでいることも知らなかった。

「だからね、なっちゃんは絵に描いたような幸せ妻で私の目標なんだから、変なことしないでって言っておいたから」

美加は一人でキャッキャと笑っている。菜月も一応同調して笑ってみるが、何がそんなに楽しいのか可笑しいのか、全く分からない。

「あーあ、はやく私も結婚したい」

ー私も、達也くんに会いたい。

心の中で、自分の知らない女が、強く訴えた気がした。

あの夜。タクシーの中で目を開けたとき、信じられないくらい近くにあった達也の顔。

唇同士が触れていることに気づいたとき、これまでの自分の何かが、決定的に変わってしまっていた。


▶NEXT:8月26日 土曜更新予定
恋に溺れはじめた菜月。ついに一線を越えてしまう...?


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