婚活に必要なのは、打算だけじゃない。四国から上京した“Bランク女子”がハイスペ婚できたワケ

婚活に必要なのは、打算だけじゃない。四国から上京した“Bランク女子”がハイスペ婚できたワケ

好き、じゃなきゃ結婚できない。
でも好き、だけでも結婚できない。

東京で勝ち組でいつづけるには生まれ・学歴・収入・ビジュアルが複雑に絡んでくる。欲望と打算と、認めたくない妥協と。

勝ち組と言われる結婚をした夫婦たちは、どう折り合いをつけハイスぺ婚に至ったのか?

披露宴で聞かされる新郎新婦の馴れ初めなんて、正直もう聞き飽きた。

ハイスペ婚に辿りついた夫婦たちの、これまでの人生とは?

商社マン英樹が不覚にもときめいた元カノ、紗子の上京物語―。


万年Bランク女子:紗子(31歳)の専業主婦の場合


いかにもセレブ妻という女性で溢れる『ザ トウキョウ フルーツ パーラー』の窓際の席に、遠慮がちな様子で紗子は座っていた。

彼女は上京して10以上年経つというが、未だ観光客の様な雰囲気を醸し出している。セルフネイルを施した爪先は所々剥げていて、それが生活感が漂わせていた。



英樹君から、どこまで聞いていますか?

彼とは同郷で…高校生の時お付き合いをしていました。と言ってもママゴトの延長の様なお付き合いでしたが。

英樹君は、真面目なんです。だから空港のラウンジで再会した時、派手な奥様を連れていてビックリしちゃいました。

松山で、女の子が勝ち組と言われる人生を送るのは大変なんです。観光業が大半を占める街で、結婚相手に人気なのは公務員か銀行マン。でも、適齢期の男性の人数が少ないから争奪戦で。

田舎での地味だけど安定した暮らしのために、その争奪戦に参加する気にはなれなくて。雑誌で見る様なキラキラした生活に憧れていた私は、東京にさえ行けば自分もその一員になれると信じていました。

だから一生懸命勉強して慶應大学に受かった時は、自分には無限の可能性があると思っていましたね。

…でも、入学式で早くも現実を突きつけられたんです。サークルの勧誘が殺到しているのは可愛い子ばかり。憧れていた読者モデルのいるサークルに入りたかったけど、尻込みせざるをえない状況でした。

だからって卑屈になっていても仕方がありません。

何とか馴染めそうなテニスサークルに入ることに決めて、ちとせ会館で開かれる新歓コンパにドキドキしながら行きました。ちとせ会館を“ちとかん”と略すことも知らなかった私には、それだけでも大冒険でした。

私、東京って平地で、坂道なんてほとんどないと思っていたんです。でも背伸びしてヒールを履いているのに、思いがけない坂道に何度も何度も戸惑いました。

まるで、東京という山を登っている様な感覚でしたね。

とにかく東京への好奇心と期待を、怖い目に合わず、どう満たすかで必死だったんです。


普通の女の子が普通にしていたら、普通の幸せすら手にできない街・東京

サークルの女子会で、初めて代官山の『モンスーンカフェ』に行った時なんて、メニューを見ても何が出てくるのか想像もつかなくて。全部、呪文に見えました。

とりあえず、前の子が注文していたトム・ヤム・クンにのっかることにして。不思議な辛さに戸惑いつつも、なんか東京人になった気がして嬉しかったのを覚えています。

私が東京での生活に慣れるのに必死な間、サークルやクラス内で早くもカップルができ始めていました。東京にさえ出てくれば出会いは無限と思っていたけれど、私にはそれを絡めとる程の魅力が無いんだと思い知らされました。

田舎では、結婚が早いんです。

大学を卒業する時に具体的な話が無かったら、両親は帰って来いって言うに決まっている。大学を卒業するまでに、東京での生活の基盤になる様な彼氏を作らなきゃ、と焦り出しました。

それで東大や早稲田の学園祭にも行ったりしましたが、私はナンパ待ちが通用しないレベルなんだと思い知らされました。少しでも同じ空間に長くいて人柄を知ってもらうしかチャンスは無いと思い、司法試験を目指す学生が通う塾でアルバイトを始めました。

そのアルバイトで、ある時、卒業生の男の子が近くまで来たからって、先生に挨拶に来たんですね。私は傍らで微笑む女性に釘付けになりました。東京に出てきて芸能人を何人か見てきましたが、同じ輝きを放っていました。

先生へのお礼と近況報告をしに来たという体になっていましたが、彼女を見せびらかしたいんだなと、すぐに察しましたね。

その男の子は、わざわざ自習室まで行ったりして。二人がセルリアンタワーの『クーカーニョ』に行くと去っていった後、自習室の男の子たちは色めき立っていました。

それを見たら改めて、男の子たちはやっぱり隣にいて自慢できるような女性がいいんだなって実感して、ショックでしたね。



そんな日々を過ごしながら、上京前にイメージしていた東京のキラキラした生活に近づけている実感の無いまま、就職活動の時期になっていました。

このときにはもう、東京では「普通の女の子が普通のことをやっていては、普通の幸せですら手に入れられない」ということに気づいていました。

そしてOLになってから勝負を始めては確実に勝てないと悟った私は、学生のうちに勝負に出ることにしたんです。


婚活は、OB訪問で♡

そこからは、外資金融、商社、広告代理店、テレビ局…結婚したいと思う企業の25〜29歳の男性にターゲットを絞って、片っ端からOB訪問しました。

その年齢にターゲットを絞ったのは、25歳までは遊びたい盛りかなというのと、30歳になって結婚をしていない人は結婚願望が薄いと推測し、確実にクロージングする為の戦略です。

会ってくれた先輩の中から、まずは結婚指輪をチェック。独身の人には、その後もエントリーシートの相談をしたり、連絡を取り続ける様にしました。

自分の就活は、一部上場企業の総合職は最終選考まで進めず、都市銀行の特定総合職に就職することにしました。考えたくは無かったけど、東京で結婚ができなくて松山に帰った時も、都市銀行で働いていたキャリアは、松山での就職にも結婚にも有利だと思ったからです。

そして内定が出たあと、OB訪問をした先輩方に、一斉にご報告とお礼の連絡をしました。何人かからお祝いに食事に行こうと言われて、遊ばれるのも覚悟で行きました。

その中で唯一関係が続いたのが、悠さんです。

大手広告代理店に勤務している悠さんは、背も170cm位でいわゆるイケメンではありませんでした。でも私からすれば、東京で一流企業に勤めている男性というだけで尊敬できたし、逃したくありませんでした。

だから目黒の1LDKの悠さんのマンションにお泊りした時は、日持ちのするお惣菜を作り置きしたり、クリーニングを出したり、靴を磨いたり…。「付き合おう」と言われたことはなかったのですが、それでも必死に頑張りました。

就職を期に同棲を始めて、お食事会デビューもせず、しばらくは慣れない仕事と家事で日々が過ぎていきました。同棲しているから彼女なんだろうけど、不安は常にありました。でも、それは私の自信の無さのせい。悠さんには当たらない様に気を付けていました。

悠さんの30歳のお誕生日、焼き肉が好きな彼のために『焼肉しみず』の予約を取って。そこで、私は勝負に出たんです。

「私はとびきり優秀でも美人でも無い。でも結婚して分相応の家庭を築きたいと思ってる。私と結婚する気が無いなら、早いうちに別れて欲しい。」って。

いつしか私はこの結婚を勝ち取るために、打算だけでなく“傷ついても平気なメンタル”を持ちあわせるようになっていました。

その発言に悠さんは驚いていましたが、しばらく沈黙した後「結婚しよう」と言ってくれました。

…そのときはさすがに、嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなかったです。悠さんは厚切り黒毛和牛タンに夢中になっていましたけどね。



今でもなぜ悠さんが私を選んでくれたのかは分からないんです。悠さんのお友達も不思議みたいで、結婚式の2次会で「元カノはすごく綺麗だったのに・・・」と言っているのが聞こえてしまって。

でも、私は今の生活にとても満足しています。

上京した時には、たった一人でアパートに住んでいた武蔵小杉。今では家族4人でタワマンです。

そう、私は過去の自分に勝ったんです。
ねぇ、あなたもそう思うでしょう?


▶Next:明日「ハイスペ婚の履歴書【夫】」更新予定
ハイスぺ男子がBランク女子を選んだ訳。


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