京都の名家を捨てたご令嬢と、束の間の蜜月を過ごすも…。愛に溺れた庶民男に迫る、非情な現実

京都の名家を捨てたご令嬢と、束の間の蜜月を過ごすも…。愛に溺れた庶民男に迫る、非情な現実

ゲーム機器メーカーの京都本社に勤める一ツ橋紀夫(ひとつばし・のりお)は正真正銘の庶民。

“普通”で平凡な日々を送る紀夫が出会った美女・萬田樹里(まんだ・じゅり)は、なんと全国に名を轟かせる老舗和菓子屋のひとり娘。

距離を縮めていくふたりだが、偶然にも紀夫が3年前に別れた元カノ・一二三薫と再会。

実は恋人に裏切られたばかりだった薫は「私とやり直そう」などと言いだす。

さらに、紀夫と樹里を悲劇が襲う。なんと、樹里の許嫁・貴志にすべてを知られてしまっていた。貴志は紀夫の家にやってきて「手切れ金500万で樹里と別れてほしい」と迫る。

一旦は身を引く紀夫だったが、貴志の裏の顔を知り考えを改める。そして家を出てきたという樹里を部屋に入れるのだった。



ご令嬢との、蜜月の日々


「ノリちゃん。今夜、何食べたい?」

決して広くない玄関に、樹里が見送りにくる。

「ノリちゃん」と呼ばれるその響きがくすぐったくて、紀夫は照れを隠すように急いで靴を履いた。これまでずっと樹里は「紀夫さん」と“さん付け”を崩さなかったが、昨夜ふたりで新しい呼び名を決めたのだ。

「何って…樹里、料理できるん?」

からかい半分、本気半分でそう尋ねると、樹里は「当たり前やわ」と頬を膨らませた。

「ノリちゃんの好きそうな料理、作って待ってるね」

彼女はそう言って紀夫の手を取ると、名残惜しそうな視線を向ける。その上目にぐっと来て、紀夫は樹里を抱きしめ、唇を奪った。

すべてが新鮮で、甘く、そして刹那的。

長くは続かない。

それをお互いにわかっていて、しかし敢えて口に出さない。

「愛に溺れる」という感覚を、紀夫はこの時に初めて知った気がした。

樹里が家を出た夜から、ふたりはずっと一緒にいる。一人暮らし用の部屋でも手狭が気にならないほど、身を寄せ合って、抱き合って日々を過ごしていた。

けれども当然、現実からは逃れられないのだ。


「愛に溺れる」ふたり。紀夫の目を覚まさせた、あるきっかけとは

紀夫がいよいよ「このままじゃダメだ」と気がついたのは、樹里が紀夫の家で生活を始めて1週間が経つ頃だった。

いや、本当は最初からわかっていた。見て見ぬふりをしていただけで。

しかしようやく現実と向かい合う気になったのは、他ならぬ親友・龍之介と、会社同期・夏子のカップルを目の当たりにしたからだった。



眩しいふたり


おそらく、樹里から事情を聞いたのだろう。

会社メールに、夏子から「夏の間に、もう1回4人で床に行かない?」という誘いが届いた。

4人というのは、紀夫と樹里、そして龍之介と夏子のことだ。

初夏に初めて出逢ったメンバーでの、再びの再会。思い返せばあれからまだ3ヶ月ちょっとしか経っていないことに驚く。あまりにも濃い3ヶ月だった。

普通で平凡だった紀夫の毎日が、ひとりの女の登場でこれほどまでに激変するとは。

−今の自分は、まるで自分じゃないみたいだ。

紀夫はそんなことを思いながら、夏子に「いいなぁ、行こう!」と返信をした。



その週末、4人は仕事終わりに鴨川へ集合した。

店は、今度は和食にしようと龍之介が予約してくれた『雪月花』。

途中で待ち合わせた樹里と紀夫はともに、ほんのすこしだけ涼やかな風が通る床へと足を踏み入れる。するとそこには龍之介と夏子が、もはや長年連れ添った夫婦のようにしっくりくる佇まいで待機していた。

「えーっと。何、二人はそういうこと?」

紀夫が一応の確認を取ると、龍之介が夏子の肩を抱く。

「そう。夏子ちゃん、やっとOKしてくれて」

戯れる龍之介を「ちょっと、暑い」と言いながら引き剥がす夏子の相変わらずさに、皆が笑う。

しかしそんな態度とは裏腹、彼女の目は明らかに恋する女のそれで、紀夫は心から幸せそうなふたりを優しく見つめるのだった。

「俺としては、すぐにでも結婚したいくらいやねんけどなぁ」

調子に乗った龍之介は、恥ずかしげもなくそんなことまで言う。

その時、だ。

隣で、樹里が小さく呟いた。

「いいなぁ…」

とっさに、紀夫は言葉を飲み込む。

眩しそうにふたりを見つめる視線に、その消え入りそうな小さな声に、しみじみと噛みしめるような言い方に、樹里のあらゆる感情が詰まっている気がして。

好きな人と心を通わせ、愛を育み、永遠の絆で結ばれる。

そこに何の疑いも持たず、無邪気に未来を夢見て笑うふたりを目の前にして、紀夫自身もまた、自分たちとの違いを感じずにはいられない。

寂しげに、切なげに笑う樹里を、ただ見つめることしかできない。そんな自分が、あまりにも不甲斐ない。

そしてこの時、紀夫はついに、男の決心を固めるのだった。

いつまでも、このままでいいわけがない。

樹里の両親に会い、自分たちの思いを伝えなければ、と。


ついに決心した紀夫。そして、いよいよ樹里の両親との面会へ

その夜のこと。

「両親と話をさせて欲しい」

そう申し出た紀夫に、樹里は最初びっくりした様子で目を見開いたが、すぐに何度も「ありがとう」と呟いた。

そして「うまくいくかはわからないけど…」と前置きをした後で、両親に面会してもらえるよう頼んでみる、と小さく応じた。

なんでも樹里の両親は、決して声を荒げるようなタイプではないものの、それはもう絵に描いたような“京都の人”であり、簡単にほだされたり、翻意したりするような人柄ではないらしい。

だとしても、やるしかない。

樹里の身勝手な家出が長引けば長引くほど紀夫の心象は悪くなる一方だし、筋を通し、きちんと説明すればわかってもらえるはずだ。

そもそも紀夫自身、出自は紛いなく庶民であるが、だからと言って別に恥じるような経歴ではない。

ストレートで有名私大に進学し、卒業後は京都でトップクラスの給与を誇る一流企業に勤めているのだから。

そしてこの時、紀夫は必要であれば、その積み重ねてきたキャリアを捨てる覚悟さえできていた。

それが男としてのけじめであり、樹里への愛の証明だと思ったからだ。



突きつけられた現実


面会の申し出は、思いがけずあっさり受け入れられた。

ただ、1つ気になる点はあった。紀夫はてっきり樹里の実家に伺うつもりでいたのだが、面会場所に設定されたのは老舗フレンチの『おがわ』。

敷居を跨がせるわけにいかない、という無言のメッセージだろうか?

そんな邪推をしないわけではなかったが、紀夫はその考えをすぐに捨てることにした。一度弱気になってしまったら、せっかく決めた覚悟がすべて泡となってしまう。

暑い日ではあったが、ブラックスーツに身を包み、紀夫は樹里とともに決戦の地、『おがわ』へと向かう。

しかしこの道中のことを、紀夫はさっぱり覚えていない。

ふたりでいるとお喋りな樹里もこの日はさすがに緊張していたようだから、もしかしたらほとんど会話をしなかったのかもしれない。


「ノリちゃん、大丈夫…?」

『おがわ』に到着し、スタッフの案内で貸し切りとなっている2階の個室に向かう。

その表情があまりに固かったのだろう。樹里に心配されてしまい、紀夫は慌てて笑顔を取り繕った。

「当たり前やん。ちょっと、イメトレに集中してただけやで」

しかし、そんな冗談を言っていられるのもそれまでだった。

このあと紀夫は、それまで当たり前に抱いていた「愛」や「結婚」というものへの認識を、完全に覆されることとなる。


▶NEXT:8月18日 土曜更新予定
ついに樹里の両親と面会。そこで両親から語られた言葉とは…?



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