美人妻の黒歴史。有名“ママ”インスタグラマーとして聖母のように微笑む女の、SNS炎上覚悟の過去

美人妻の黒歴史。有名“ママ”インスタグラマーとして聖母のように微笑む女の、SNS炎上覚悟の過去

「M T S H  年  月  日」

書類などで、生年月日を記入する欄に書かれている「M T S H」の文字。そしてもうすぐここに、「R」の新しい文字が加わるのだ。

「H」という、31年と少し続いた時代が終わろうとしている今、東京カレンダーでは「H」を象徴するようなエピソードを振り返ります。

あの日あの時、あなたは何をしていましたか?

今回は、40歳を目前に過去を懐かしむ、涼子の話ー。



—安室ちゃんの引退、小室哲哉の引退、イチローの引退...。

私の青春時代を賑わせた、大スター達。

彼らが次々と引退を表明するにつれ、私自身も現役引退を強いられている気分になる。

そして、“令和”という新しい元号が発表されてからは、40歳目前で昭和生まれの私は、ますます過去に追いやられるようだ。

女子高生、女子大生、丸の内OL、DINKS、新米ママ。

過去それぞれの時代、私は自分が“主役”として、人生を華々しく歩めていたと思う。

しかし、二人の息子が小学校に入学し、やっと子育てが一段落したとホッと胸を撫で下ろしたとき。

ふと鏡に映った私の顔は予想以上に老け込み、テレビを観れば知らないタレントばかり、街を歩けば聞き慣れないリズムの音楽が流行っていた。

かと言って、自分の人生を必要以上に悲観しているわけではない。

可愛い息子に大手メーカー勤めの夫、専業主婦の自分。マイホームの溝の口にあるマンションも気に入っている。

一応、私は東京という大都会で“まぁまぁ”のポジションにいるのだ。上を見ればキリがないが、悪くない人生だと思う。

これからは世の中の脇役として下手な欲さえ持たなければ、充分幸せと言えるだろう。

—今日は、伊勢丹にでも行こうかな...。

夫と息子たちを送り出し、洗濯と掃除を済ませ、夫のロンドン出張のおみやげのフォートナム&メイソンの紅茶と共にリビングに腰を下ろす。

そのとき。

何気なくスマホを眺めていた私は、Instagramのある写真に目が釘付けになった。

—これ...もしかして...マユ...?

そこには、清々しい笑顔で2人の小さな男の子に挟まれ、赤ん坊を抱く女の姿があった。タグは「#3女誕生」、ついた「いいね!」は2,000以上。

柔らかな栗色の髪に、自然で親しみやすい笑顔。すらりと長い美脚は、三児の母のものとは思えない。

しかしマユは、私の高校時代の記憶とは印象がまったく逆転していた。

彼女だと気づくことができたのは、笑顔の端から少しだけ覗く八重歯だけが、女子高生時代“コギャル”を貫いていたマユの面影を残していたからだ。


平成も残り数日。そんな中、あの“コギャルブーム”を思い返す...

“スーパー高校生”の地位を確立したクラスメイト


世の中には、何事も“イイ感じ”にまとめてしまう女がいる。

制服の着こなし、流行りのファッションやヘアメイク、交友関係に異性関係。どれを取っても、マユは周囲の注目を自然と集めてしまう存在だった。

特に物凄く美人という訳ではないし、容姿だけならマユに勝る女子は私たちの通っていた女子校に何人かいたと思う。

でも、彼女が制服の上に何気なく羽織ったラルフローレンのセーターも、無造作に巻かれたバーバリーのマフラーも、ルーズソックスのたるみ具合も、元彼から貰ったという法政二高のスクールバッグの汚れ具合も、やはり群を抜いて“イイ感じ”だったのだ。

小ぶりのパーツがバランス良く整った顔立ちには、細眉の濃い化粧がとても映えた。茶髪にシャギーを入れたサラサラのストレートヘアも、小麦色に焼けた細い手足も、まさに流行りの“アムラー”だ。

都内にある私たちが通っていた女子校の偏差値は高い方だったが、自由な校風が売りで、校則は緩かった。身だしなみも私生活も、教師に指導されるのでなく自分の頭で考えて学べ、という方針だったのだ。

とはいえ、それなりに優秀な女の子たちが集まるのだから、派手な子はほとんどいない。そんな中で、流行の最先端を次々と身に纏うマユが学校中の憧れとなった。

「髪の色?マツキヨで適当に買ったブリーチで自分で染めたけど」

マユの回答を聞いた女子たちは、私も含め、こぞって同じ染髪剤を買い求めたりもした。

しかし、誰一人マユのように“イイ感じ”にはならない。

ある女子はまるで地層のように色のムラができてしまったし、ある女子は化粧っ気のない地味な顔立ちに不自然な髪色が壊滅的に似合わない。

そして私はと言えば、ブリーチの時間を長く置きすぎたため、髪の毛がチリチリのバサバサに痛んでしまい、さらに頭皮まで赤く腫れてしまったのだ。

「リョウコの髪、なんかトウモロコシの髭みたいになってんじゃん」

そうしてケラケラと笑ったマユの少し低い舌足らずな声を、今でも鮮明に思い出せる。

あれから、もう20年以上もの時間が経過したというのに。



そして、マユの存在感は、次第に校内だけでは収まらなくなってきた。

「...あれ?これ、マユちゃんじゃない!?」

クラスの女の子が興奮気味に手にしていたのは“ストニュー”だ。当時最も流行っていたと言っても過言ではない、多くの有名人を排出した人気雑誌である。

雑誌を覗くと、マユの全身のスナップがページの半分を占めていた。ご丁寧に、名前の上には学校名もきちんと掲載されている。

クラスメイトという贔屓目を差し引いても、誌面の彼女は他の女子高生より格段に目立っていた。

華奢で長い手足と、自然に髪をかき上げたポージングに、生意気そうな可愛い笑顔。マユは写真映えも完璧だったのだ。

「たまたま、声かけられたんだよね」

女子たちの問いにマユは何でもない風に答えたが、クラス内だけでなく、やはり雑誌でもマユの反響は大きかったのだろう。

それからマユは度々多くの雑誌に登場するようになり、次第に“スーパー高校生”として確たる地位を築いていった。

“ストニュー”ほどの人気はなかったが、後発の某ギャル雑誌の専属モデルとなる頃には、マユは学校にほとんど姿を見せなくなり、その容姿はさらに洗練されていた。

しかし、あれほど世間を賑わせていた“コギャルブーム”は、そう長くは続かなかった。


コギャルに憧れる一方で、ある女子高生が抱いた複雑な思いとは...

本当は、嫌いだった


90年代、一世を風靡した“コギャル”という圧倒的な存在。

コギャルが発祥したのは、バブルも弾け、日本社会に疲労感が立ち込み始めた頃だ。

阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件などが起こり、また大手企業が破綻してリストラが流行ったりもした。

そして世紀末に近づき、ノストラダムスの予言通り人類が滅亡するとか、大戦争が始まるとか、私たちはいつも不穏なムードに包まれていたと思う。

そんな中で、根拠もなくエラそうで、空気も読まず、テンション高くはしゃぎ、大人をなめきった態度を取る若い女の子が時代の主役となったのは何となく頷ける。

彼女たちの、あの浮世離れした“はっちゃけ感”は、世紀末パーティーみたいなものだったのだろうか。

でも、彼女たちのブームは、徐々に下火となった。

コギャルでなかった私から言わせれば、それは当然だと思う。あれほど流行っていたにもかかわらず、コギャル文化はとても排他的だったから。



アルバローザ、ミー ジェーン、LOVE BOAT...。

こういったギャルのアパレルブランドに、世間の女子高生たちがどれほど熱烈な憧れを持ったことか。

しかし、茶髪のシャギーヘア同様、あの露出の高い服を“イイ感じ”に着こなせた女子高生は、やはりほんの一握りだ。

例に漏れず、私もしょっちゅう109やセンター街に繰り出したが、人気のショップには一歩足を踏み入れるだけで緊張して身体が震えそうだったし、コギャルで溢れるセンター街も同じだった。

なぜかというと、コギャルたちが恐かったから。

あの傍若無人な態度とか、高圧的で投げやりな物言いとか、彼女たちは刺々しいオーラを醸し出しており、私は単純にその仲間入りができなかった。

「おねーさーん。それ、似合ってんじゃん。最後の一着だよ。カワイー....」

呼んでもいないのに急に試着室に立ち入り、私の方を見もせずに棒読みでそう呟きながら、目にも留まらぬ速さでピッチを弄っていた109のカリスマ店員。

試着室まで行けたならまだ良い方で、コギャルから派生した“ヤマンバギャル”で溢れる店は、とてもじゃないが素通りするしかできなかった。


そう。私は“コギャル”に憧れる一方で、彼女たちが嫌いだった。


コギャルブームの衰退後、次の時代に注目を浴びたのは...?

“有名人”と“一般人”の格差


10代の女の子にとって、雑誌のモデルという職業がどれほどの憧れであるか。

それは言うまでもないだろう。

クラスメイトの活躍を横目で見ながら、勉強に勤しみ、息抜きに渋谷に繰り出し、可愛く撮れたプリクラをせっせと友達同士で交換する。

しかし、どんなに写りの良いプリクラも、紙面を飾るマユの姿には到底敵わない。

また当時、多くの歌手やアイドルグループを輩出したオーディション番組が流行り、「もしかしたら私も...!」なんて淡い期待を抱く女の子が続出したが、マユを間近で見ていた私は、そんな夢を抱くこともなかった。

若くして“有名人”と“一般人”の格差を、嫌というほど思い知っていたからだ。

高校卒業後、私を含むほとんどの同級生たちは、まぁまぁ知名度のある大学へと進学した。

一方、モデル業に専念していたマユは受験勉強をせずに短大を選び、相変わらず雑誌を賑わせていた。

しかし、しばしの時間が流れ、ふと気づいたとき。

今度はエビちゃんブームが起こっていて、生意気な女子高生なんかよりも、コンサバな愛されファッションに身を包んだ女子大生が注目される時代がやってきたのだ。

後で知ったことだが、ちょうどその頃、マユが専属をしていた雑誌は廃刊になり、彼女はモデル業を実質失った。





マユのInstagramをひとしきりチェックした後、私はそっと「フォローする」のタブに触れた。

私のアカウントは一応公開にはしているが、投稿はセンスも何もないプライベートなもので、フォロワーも100人にも満たない。

10万人以上のフォロワーがいるマユが、古い友人に気づくことはないだろう。

マユは、いわゆる“ママインスタグラマー”になっていた。

写真を見る限り専業主婦をしているようで、3人の子どもの子育てに関する投稿が多い。

写真は、彼女の夫が撮っているのだろうか、うまい具合に子ども達の顔だけがぼかされ、まるで聖母のような表情をしたマユの姿が際立っている。

元モデルだけあり、写真うつりは完璧だ。彼女や子ども達のファッションも、背景に移る自宅らしき場所のインテリアも、以前と同じように私の心をくすぐる。

そして、食い入るように彼女の写真を眺めていた私は、突然スマホを震わせた一つの通知に思わず肩が震えた。

–ねぇ、涼子だよね?ひさしぶり!

それは、“__mayu_official__”から届いたDMだった。


再会を果たした二人。マユへ嫉妬が芽生え始めるが...?

無意識に抱いた、優越感


高校卒業後、マユとはほとんど会わなくなった。

キャンパスライフに慣れ、女子大生という身分を楽しめるようになった私たちは、モデルのマユとは疎遠になってしまったからだ。

一度、マユと合コンで一緒になったときのことをよく覚えている。

誰かが人数合わせでダメ元で彼女を呼んだところ、意外にも姿を見せたのだ。

けれど、これまでどんな場面でも主役だったマユは、完全に合コンで浮いていた。

というのも、その場はエリート東大生と真面目で初々しい女子大生という構図ができあがっており、相変わらず髪を金髪に染め、ギャルっぽい言葉遣いをするマユに、相手の男たちが引いてしまったからだ。

その後、彼女とプライベートで会うことはなくなり、誰かの結婚式で何度か顔を合わせるきりだった。





ーあんなにギャルだったくせに...。

マユと待ち合わせた表参道へ向かいながら、心の隅に小さく芽生えた黒い感情に驚いた。

あの合コンで、私は無意識のうちにマユに優越感を抱いていたのだろうか。落ち目のギャルモデルより、有名大学の女子大生になった自分の方がレベルが上だと。

あれから、一日に何度もマユのInstagramを覗くのが日課になっていた。

彼女のアカウントは毎日キラキラと充実した日々の連続で、わざわざ細かくチェックしては、ほんのりと惨めな気持ちになる。

「涼子!こっち。久しぶりー!」

『TWO ROOMS GRILL|BAR』のテラス席に到着すると、マユが大きく手を振っていた。

「あれ...赤ちゃんは?」

「ああ、シッターさんに預けてるの。子連れじゃゆっくりランチできないでしょ」

マユには、ギャル時代の面影はほとんど残っていなかった。見るからにセレブママである。

爽やかな白シャツにスリムなジーンズ。白い肌にも透明感があり、ゆるくまとめた髪は無造作なのに品がある。

メイクもアクセサリーも、椅子に置かれたエルメスのエヴリンも、昔のように今すぐ真似したくなってしまう。悔しいが、マユには昔と同じく、時代の最前線で輝く女のオーラがあった。

彼女は“ママインスタグラマー”として様々なPR案件をこなしているというが、これほどオシャレで綺麗なママが勧めるものなら、たしかに何でも試したくなる。近々、アパレルブランドをプロデュースする計画まであるそうだ。

「あ...、相変わらずオシャレで綺麗だね。でも色も白くなったし、昔とイメージは全然ちがうけど」

「いやだ、高校時代は黒歴史だから...。もしも昔の写真を晒されたら、きっとインスタ炎上しちゃうわ」

人は、キャラが変わると声色まで変わるものなのだろうか。

私は楽しそうに会話を続けるマユに相槌を打ちながら、その風貌の変わり様に改めて感心する。

そうだ。

コギャルもインスタグラマーも、結局は流行り。

そしてマユは、その流行りに乗るのが、物凄く上手なのだ。きっと彼女は幾つになっても、何かしらの分野で活躍するだろう。

時代の変化や加齢にも負けず、活き活きと今を生きる彼女を見ていると、私の下らない嫉妬も消えてしまった。

平成が終わるくらいで気分が塞いでしまう私が、どうやっても彼女のような人種に勝てないことは、とっくの昔に知っている。

「相変わらず凄いなぁ。マユのブランドが発売されたら、私も欲しいな」

「ほんと?なら展示会の招待状送るよ。割引で買えるから。あとで住所送っておいて」

マユの言葉に、私の心の中で恥ずかしいほど舞い上がってしまう。

私は今も昔も変わらず、彼女のような大きな存在の後を追ってばかりの、コバンザメみたいだ。けれど、こんな風に活躍する友人がいるだけでも楽しいじゃないか。

それだけで、なんとなく新しい時代を前向きな気持ちで受け入れられる気がした。


▶NEXT:4月29日 月曜更新予定
平成の大恐慌。リーマンショックにまつわるリアルな話。


コギャルブームが起こっていた1995年(平成7年)の、主な出来事

・流行語は「無党派」、「NOMO」(野茂英雄)、「がんばろうKOBE」
・1995年の漢字は「震」

◆1月
・阪神・淡路大震災

◆3月
・地下鉄サリン事件

◆6月
・週刊少年ジャンプに連載されていたドラゴンボールの連載終了

◆7月
・Amazon.comがサービスを開始

◆12月
・アメリカン航空965便墜落事故が発生



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