“男児の出産”を期待される女と、大企業を辞めようとする女。29歳、彼女たちの運命とは

“男児の出産”を期待される女と、大企業を辞めようとする女。29歳、彼女たちの運命とは

女の人生、その勝敗はいつ決まるのかー?

それは就職・結婚・出産など、20代で下した決断に大きく左右される。

ある分岐点では「負け」と見なされた者が、別の分岐点では幸せを勝ち取っていることなんてザラにあるのだ。

昔からその分岐点において、全く異なる結果になる2人がいた。その2人とは福岡出身の幼馴染、塩田ミキと佐藤菜々子。

化粧品会社でキャリアに邁進するミキと、同窓会で会った開業医の跡取り・直弥と付き合い始めた菜々子。

対照的な道のりをたどった、29歳の2人の運命とはー?



29歳のミキ


ーきれいな銀杏並木……。

30歳まで残り3ヶ月となったこの秋、ミキは外苑前の銀杏並木の前に、1人で立っていた。

夏の帰省から戻り、恵比寿に再び降り立った時、ミキは急にこの街が自分に合わなくなったように感じた。そして、6年ほど暮らした恵比寿を出ることに決め、外苑前に引っ越してきたのだ。

順調に出世してきたミキの新居は、1Kから1LDKにグレードが上がった。

外苑前は恵比寿よりも落ち着いていて、もうすぐ30代を迎えるミキの気分にそっと寄り添う。自然の景色を美しいと感じたのはいつぶりだろうかと、ふと考えた。 20代前半は夜景の明かりやキラキラしたネオンにばかり目を向けていたような気がする。

ミキはベンチに腰を下ろし、ふとスマホを手に取った。登録した転職サイトからたくさんのメールが届いている。

安泰の大企業で順調に出世してきたが、希望していた海外での仕事は叶いそうにない。現実と理想の狭間でもがき切ると、最近は退屈な感覚が目立つようになっていた。

さらに、友人たちの結婚や出産という当の本人にしか背負えない決断をしていく姿を目にし、大企業に守られるのではなく、より自分自身で責任と結果を背負えるような環境に身を置いてみたいと思うようになったのだった。

ーこの中のどこかに、自分がもっと輝ける場所があるのかな……。

ミキは30代で戦う場所を、もう一度探そうとしていた。


今後のキャリアを考え直すミキ。その一方で菜々子の頭の中を占めるものとは……

29歳の菜々子


ーあっ……。また動いた……!

菜々子はお腹に手を当てる。自然に笑みがこぼれた。



同窓会で出会った直弥と1年の交際を経て、28歳で入籍しその後妊娠が発覚。いま6ヶ月目を迎え、頻繁に胎動を感じるようになってきた。

明日は産休中の会社の先輩・百合が遊びに来る予定だ。結婚後、御茶ノ水から青山に引っ越した菜々子のマンションに百合がやってくるのは初めてである。

派遣から正社員へ、独身から既婚者へ、菜々子が変わるたびに周りの人たちも少しずつ入れ替わったが、百合だけは変わらず、関係が続いている。百合はいつでも、旧友に会うような暖かい感覚をもたらしてくれるのだ。

正社員になったのち、新しく出会う人たちとは、どこか心を完全に開けなかった。しかし一方で、以前親しかった人たちとの間に、感覚のズレも生まれていた。

そんな時、菜々子は決まって、社会に出た頃のミキと自分を思い出した。あの時、別世界に向かっていくミキに対して、羨ましさと寂しさを感じていた。

派遣時代の友人たちが徐々に連絡をくれなくなったのは、かつての菜々子がミキに対してとった態度と同じだ。

もの思いにふけっていると、腕がテーブルに置いていたグラスにあたり、水がこぼれた。

ーあ、やっちゃった……。

ティッシュケースに手をのばすと、ちょうど最後の一枚だった。確か、ストックも切らしている。

ーちょっと買い物に出かけてこよう。

菜々子は鍵を手にとり、玄関を出た。



ミキは1人、自宅マンションへと歩き出していた。たくさんの夫婦やカップルとすれ違いながら、青山通りに出る。

少し前までは、自分は寂しく見えるのだろうかといつも考えていた。でも最近は、他人からどう見えるかよりも、自分がどう思っているのかを考えるようにしている。

しかし自分の感覚はいつもはっきりしなかった。いつの間にか、自分の気持ちを捉える方が難しくなっている。それだけ他人の視線ばかり重視してきたのだということに、ミキは改めて気づかされていた。

そんなことを考えつつ、最初、数メートル前にお腹の出た女性を視界に入れたとき、「妊婦さんがいる」くらいにしか思わなかった。

すれ違う直前に「あっ」と思わず声が出る。彼女もまた遅れて、同じように声を出した。

「ミキ……?」

目の前に菜々子がいた。 懐かしさで、胸がいっぱいになる。

彼女は、お腹をせり出し、片手にはボックスのティッシュペーパーを持っていた。誰かと暮らしていることが、目に見えて分かるような空気感をまとっている。

「菜々子、久しぶり……」

動揺を隠せず、声がかすれる。

菜々子はロングだった髪がボブに変わっていた。顔つきも、どことなく母らしくなっている。

わずかに沈黙の時間が流れた。

きっと菜々子も、ミキの6年分の変化を感じ取っているはずだ。だがミキ自身は23歳当時の自分を思い出すことができなかったから、菜々子が何を感じているかは予想がつかなかった。

「カフェでも入る……?」

菜々子にそう提案されたことに驚きつつ、ミキは小さく頷いた。


再会した2人がお互いに抱く印象とは?

「ここ、前に友だちと来たの」

2人は南青山の『BAR&GRILL』に入った。



一見入り口がどこにあるのか分かりづらい構造になっていたが、菜々子が迷うことなくお店のある2階へと向かっていったので、ここが菜々子の生活圏なんだな、とふと思った。

菜々子はお腹の子を気遣ってジュースを頼み、ミキはコーヒーを注文した。

「ずっと連絡してなくてごめんね」

座るやいなや菜々子はそう切り出した。

「私こそずっと謝りたかったの。最後に会った日……、あの恵比寿のカフェで、菜々子を傷つけるようなこと言ったでしょう」

菜々子は否定するように首を振ったが、「何のこと?」と聞き返してこなかったのは、ミキの発言を忘れていない証拠だと思った。

「もうあれから6年になるんだね……。ミキは、どう過ごしていたの?」

「私は……」

ミキはいろんなことを思い出した。大学時代から付き合っていた恋人がハイスペックで有頂天になっていたこと、その彼に振られたこと、希望の仕事が回ってこなくてもどかしかったこと……。

「苦い思い出の方が多いかもしれない。23歳の時が、たぶん一番良かったよ」

自嘲気味にミキがそう答えると、

「でも当時よりすごく洗練されて綺麗になったなって思って……。だからすれ違った時、私の方が気づくのが一歩遅かったでしょう?」

昔から菜々子は気後れせず、真顔で褒め言葉を口にする子だった。その上、お世辞を言わないことを知っていたから、ミキは自然と照れてしまう。

「東京で生活するって、時々すごく大変だよね。休める時がなくて、いつも戦っているような、そんな気持ちになることも、私は結構あった」

菜々子の言葉に、ミキは深く頷く。みんなそれぞれに、何かと戦っていることを、ようやく分かり始めてきていた。

「でも、今の菜々子が幸せそうでよかった」

お互いの近況を話し合い、ミキはそうこぼした。



翌週、またいつものように転職サイトの求人を見ながら出勤すると、午後に部長から呼び出しがかかった。

急な呼び出しに胸がざわつくミキに部長がかけた言葉は、あまりに意外だった。

「塩田、海外でチャレンジしてみないか?」

海外赴任の提案。ミキの中で、 諦めかけていた海外への夢が再燃し始める。国は決まっていないが、アジアのどこからしい。

会議室を出ると、20階の廊下の窓から西日が差していた。ミキはぼんやりと夕暮れに染まる東京の街を眺めて、昨日のことを思い出していた。

「幸せそうでよかった」と言ったミキに、菜々子は「でもね……」と続けたのだ。

「夫は家業があるの。……だから、やっぱり男の子を期待されていて。プレッシャーに感じることもあったりしてね」

そして帰り際、来週には性別を聞こうと思ってるの、と菜々子はとても静かな口調で打ち明けた。ミキは「男の子だったらいいね」とも「どちらでも大丈夫だよ」とも何も言えなかった。

どんな言葉が必要なのか、ミキにはもう菜々子の胸中がどうやっても分からなかったのだ。

数ヶ月後、私たちはお互い、30歳になる。

私たちが行く先は、たぶんもう全く違っているのだろう。それが分かったから、寂しさを抱えつつも、ミキは6年ぶりに会った菜々子とあっさり別れた。もうお互いを引き止め合うことはできないのだと悟ったのだ。

1年後、太陽が熱く照りつけるアジアのどこかにいる自分を想像してみた。周りがどう思うかは分からないが、ミキ自身の心は確かに高鳴っている。


自分が勝ち組か負け組かはもはや分からない。
…ただ、退屈な人生だけは送りたくなかった。


ミキは30歳までの時間を待ち遠しく感じ、無意識のうちに笑みを浮かべた。


―Fin.



関連記事

東京カレンダーの他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

トレンド アクセスランキング

ランキングの続きを見る

トレンド 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る 動画一覧を見る

記事検索