御三家。それは、首都圏中学受験界に燦然と輝く、究極の伝統エリート校を指す。

男子は開成・麻布・武蔵。女子は桜蔭・女子学院・雙葉。

挑戦者を待ち受けるのは「親の力が9割」とも言われるデス・ゲーム。

運命の2月1日、「真の勝者」は誰だー。

◆これまでのあらすじ

深田 彩は、夫の真一との息子の翔と3人、南麻布で暮らしている。

ある日、翔が男子御三家・麻布中学校に入りたいと言いだした。叔母で元大手有名塾の講師・岬 祐希からは彩には無理だと言われつつ、なんとかして選抜クラスに入った翔。

ママ友・瑠奈の妨害を受けながらも勉強に励むが、秋になり翔の成績が下降しはじめる。彩は意を決して祐希にLINEをした。



「まさかあの彩が、ここまでやるとはね。5年の半ばから始めて、選抜に到達する子はなかなかいない。正直言って二人の頑張りには脱帽よ。今は10月…。ひょっとしたら、可能性もあるかもしれないわね」

祐希は、自宅のダイニングで紅茶を出しながら、珍しく手放しで彩をほめた。

「すごいのは私じゃなくて翔なの。本当に頑張ってる…。でもここにきて成績が落ち始めて…もう時間がないの。みんなが演習の時期に入っているのに、翔にはまだ1回取り組んだだけの単元があって」

彩は、茶菓子に手も付けず、祐希に頭を下げる。

「祐希ちゃん。もう生徒は取らないっていうのは分かってるけど…お願い。お金はいくらでもいい。翔の勉強を見てやってください。あの子を何としても麻布に入れてやって。お願いします」

彩がそう言うのを予想していたのか、祐希は動じる様子もなく、飲んでいた紅茶をテーブルに置いた。

「彩。私を『いい先生』だなんて思ってるなら、幻想よ。なんせ私は、何人もの子どもの人生を台無しにした女なんだから…」


元カリスマ塾講師・祐希の苦い過去の記憶とは…?

課金で200%にされた子は幸せか?


「台無しって、そんな…。祐希ちゃん、現役の時、先生としてものすごく評価されてたじゃない」

真意がわからず訝る彩に、祐希は苦々しい表情で首を振った。

「そうね、私はたくさんの生徒を御三家にねじ込んだ。中には、そこまで受験勉強に向いていない子もいたわ。でもそんな子だって、プロが本気で戦略を立てて、それを無理矢理、しかも長い時間実践させれば、難関校に入れることは不可能じゃないのよ」

「それが親の求めることじゃない?何がいけないの?」

彩は次第にもどかしくなり、強い口調で祐希に尋ねる。すると祐希は悲しそうな目を向けた。

「…彩が受験したいって言ったとき、私、言ったよね?受験は子供のためのものだ、って。私は講師時代、その子の元の力が100だとして、それを私が立てた戦略で200にしてやるのが目標だった。

でも、それが本当に子どものためになるのかしら?」

「それは…。でも受験生ならみんな思うはずよ、どんなことをしても合格したいって」

祐希は頭を振った。テーブルの上に置かれた手は、きつく握りしめられている。

「今の中学受験産業のシステムは、お金をかければかけるほど、合格の可能性が上がる。本来は難関校合格が難しいレベルの子どもに、受験のプロが戦略を立てて、勉強の仕方を手取り足取り教える。そして1日に10時間以上勉強させる計画を立てる。最上位層ではさらに時給1万円以上のプロ家庭教師や個別指導塾が当たりまえ。

そうやって人工的に作られたテクニックを身に着け、200%に引き伸ばされた子が御三家に入って、その後は?

伸びしろなんてどこにもない。…御三家は本来、頭のいい子が知的好奇心の赴くままに勉強に打ち込み、120%の力で入るところよ。そこに大人のエゴで高負荷と重課金をされて入った子が現れ、良い成績を出し始めた。

…私は、その罪深さに何年も気づかずに、合格させたことで有頂天になっていたのよ」



彩の頭に、瑠奈や薫子の姿が浮かぶ。私たちも、いつのまにか迷走してはいないだろうか。

「翔があと4か月、中学受験にどんなふうに取り組むのか。親のエゴを押し付けるだけになるか、それとも子どもの力を存分に発揮させる助けになるか。それを決めるのは、他人じゃないわ。誰よりも翔を見てきた彩にしか、できないの。

翔の苦手分野のために家庭教師を雇ったっていい。でも判断まで他人に委ねちゃだめ。翔のことを彩より見てる人なんて、世界中どこにもいないのよ」

「…だから祐希ちゃん、1年半前に言ったのね。『翔を見て』って。誰よりもよく見て、そして考えてって」

祐希はうなずくと、彩の手を強く握った。

「彩は見てきた。目をそらさないで、真摯に。だから必ず、翔にぴったりの匙加減を見つけることができる。それは彩にしかできないのよ」


改めて翔と向き合う彩が出した結論は?

「最初から翔は分かってたんだよね」


「翔、ちょっといい?」

夜の10時。ダイニングで、電話帳のような厚さの入試問題集に取り組む翔に、彩は声をかけた。

「うーん、何?…この前の判定模試の結果のこと?麻布20%だから志望校変えようっていう話ならやめてよね」

翔はこちらを見ることもなく、問題を解いている。

「言わないよ、もう言わない」

するとよほど意外だったのか、翔は顔を上げて、それから問題集を閉じた。

「2月1日は、翔の言う通り麻布でいこう。ママ、翔が傷ついたらどうしようって怖くて、少しだけ志望校落とせばラクに受かるかなって考えてた。でもそんなのママのエゴだし、翔にとっては余計なお世話だよね」

「まあ、この偏差値じゃ、ママが弱気になるのも無理ないよ。心配かけてごめん」

しんとしたリビングに、翔のささやきのような言葉が響いた。

「でも、最初から翔は分かってたんだよね。この受験が特攻だって。無謀な挑戦だって。たぶん、私のほうが分かってなかった。だって翔、すごいから。根性あるんだもん、こんなにやってるんだもん、こりゃ受かっちゃうかもって思っちゃうよ」

それを聞いた翔は苦笑する。

「まあ、そんな漫画みたいにはいかないよ。だって、必死なのは皆一緒だからさ」



「…うん。そうだよね。ママはこのリビングでずっと勉強してた。でも翔は、本気の仲間に囲まれて、その情熱を毎日肌で感じてる。翔のほうがずっとわかってたんだよね。…もう算数だって、いつの間にかママよりずっとずっとできるようになってる」

翔は、そこで初めて少し不安そうな表情を浮かべた。彩が何を言わんとしているのか、見当がつかないという様子だ。

そんな翔の肩に手をかけて、彩は告げた。

「翔は、もう自分のことは自分で決められる。ずっと一緒に走ったから、ママにはそれが分かる。翔は、この戦いが本当に厳しいってこと、分かったうえでずっと頑張ってるんだよね。

麻布に挑戦しよう。ママは翔が決めたことを、全力でサポートするよ。…もし落ちても、命とられるわけじゃない」

「…前回の模試、合格率20%だけどね。普通だったらやめるよね。でも、ごめんねママ。僕、やるよ。だって生まれて初めてこんなに頑張ったんだ。自分がどこまで行けるのか、最後までやってみたい」

いつの間にか翔は、とても嬉しそうに話している。

それは、受験勉強を始めた頃と同じ表情だった。もしかして翔はずっと変わっていなかったのかもしれない。

彩の過剰な親心と空回りが、大事な息子の本来の姿を見失わせていたのだ。

「よーし、じゃあ今日はママに少し時間をちょうだい。第二志望以下のラインナップを考えてきたの。作戦会議よ」

「うへ〜、チャートが16パターンもある!3日の午後に麻布落ちたバージョンだけで5本もあるのか〜。あれ、この学校、午後入試も始めたの?知らなかったよ」

その夜、翔と彩はずいぶん遅くまで、作戦会議を続けていた。

―それは、ほとんど勝ち目のない御三家挑戦を覚悟した親子の、ささやかな壮行会だった。


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そして怒涛の12月。しかしさらなる予想外の試練が…?