今とは違う“何者か”になりたい。

ここ東京では、そんな風に強く願い行動した者のみが掴める、成功や幸せがある。

しかし、ご存じだろうか。

彼らは、その影で、ジレンマに苛まれ様々なコンプレックスと戦っていることを…。

これまで、「中の上」から脱したと思った男、才色兼備になりたかった女などを紹介した。さて今回は?



Vol.10:生まれながら勝ち組の男


名前:悠人
年齢:30歳
職業:飲食店経営


平日の13時。ジーンズにニットというラフなファッションで、悠人は『512カフェ&グリル』に現れた。

現在、飲食店を経営しているという悠人は夜の世界で生きてきた空気感を醸し出しているが、立ち振る舞いや言葉使い、出で立ちからか、育ちの良さを隠しきれていない節があった。

そのシンプルなファッションでさえ、仕立てや素材から質の良さが伺える。

それもそのはず。悠人は代々続く老舗料亭の長男として生まれ、両親からは、将来は立派な経営者になるようにと、期待を一身に受け育ってきたのだ。

「今はダイニングバーを経営しているんです。同じ“飲食”と言っても、老舗料亭とは程遠いですし、店にも立つこともあります」

大崎駅から徒歩10分ほどの立地に1店舗目をオープンし、開店当時から客入りも評判も中々なものだった。かなり軌道に乗っているようで、3年足らずで、たて続けに3店舗をオープンしたという。

最近では、雑誌やwebメディア、テレビにも紹介されることが多々あり、悠人自身も敏腕経営者として露出し始めたそうだ。

老舗料亭を継がないと決めた時は、親戚をも巻き込み大騒動になったというが、恵まれた出自にもかかわらず、自分で生きていくことを選択した悠人は今、何を思うのだろうか。


良家の御曹司として生まれた悠人が、何故、自らの意思で独立するに至ったのか?

悠人の実家が営む老舗料亭は、父親で5代目となる由緒正しい日本料理屋だ。銀座の一等地に本店を構え、全国展開もしている。

物心ついた頃から、両親に「大人になったらこの店を切り盛りしていくのだよ」と、言い聞かせられて育ったという。

「子供のころは、そこに対して何の疑問も反発心もなかったんですけどね…」

幼稚舎から慶應に入った悠人は、大学に入るまで自分の将来を憂いたことがないどころか、むしろ、裕福で守られた生い立ちをラッキーと捉えていた。

しかし、高校まで自分と同じような人間ばかりに囲まれて育ってきた彼は、大学に進学し、未知との遭遇を果たすことになる。

「大学から慶應に入ってきたやつの中には、Googleを超える会社を作るんだって意気込んで起業しているやつとか、冒険家になると言って世界中を旅しているやつとか。

方向性は様々だけど、とにかくやりたいことを自由にやっている人間がいっぱいて、めちゃくちゃキラキラしてて楽しそうだったんです!」



大学から慶應に入った人間が、いわゆる“内部生”の華やかさに衝撃を受けるという話はあるが、悠人の場合、その逆だったというのだ。

彼はこの時、良家に生まれ育ったことで、何不自由ない裕福な生活ができる一方、彼らのように「自由」に生きていくことが自分には出来ないのだ、と気づいてしまたっという。

「とはいっても、自分には“これがやりたい”みたいな夢があったわけではないんですけどね(笑)」

そう言って、昔を懐かしむように悠人は目を細め、残っていたコーヒーをぐいっと飲み干した。

悠人は大学を卒業後、大手金融機関に縁故採用された。ちなみに、縁故採用している大企業は、未だに結構多いという。

勤務年数は会社や社員によってまちまちだが、3〜4年の期間限定で働くという条件での入社がほとんどだそうだ。

「俺の場合は、4年の契約でした。自分でも就活してみたんですけど、全然決まんなくて…(笑)」

4年間この会社で働いた後、実家の会社に入社し役員に就任、35歳位で社長になる。両親はそんな風に、悠人のキャリアを考えていたそうだ。

本人としては、「このままでいいのか?」という想いはありつつも、流されるままに、親の敷いたレールの上を歩いていた。

しかし、社会人3年目頃、周囲の環境がちょっとずつ変わってきたという。

「今まで冴えなかったやつが徐々に仕事で頭角を現して、生き生きし始めたり。起業したやつが軌道に乗り、一躍有名人になったり。

あと1年で実家を継ぐというタイミングで、いよいよ、“本当に俺はこのままでいいのか?”って本格的に焦ってきちゃって…」

老舗料亭の経営者の座は、誰しも手に入れられるものではないし、非常にやりがいのある仕事だろう。

しかし、同時に従業員の生活をかけた、とても責任の重い仕事でもある。

求められるのは、リスクをとってでも急成長することでなく、いかに会社を潰さないか、ということ。

25歳。仕事において、周囲が「これからだ」とチャレンジ精神旺盛に意気込む姿を目の当たりにし、悠人はついに決心をした。


悠人がついに自分の道を歩き始める。しかし、御曹司だったからこその苦労があった…

悠人は退職後、自分でビジネスをすることを決意した。

「これといった大きなきっかけがあったわけではないんです。でも、いざ自分が料亭を継ぐという話が具体的になり始めた時、一度きりの人生、自分の思うようにチャレンジしてみたい、ってどうしようもなく思っちゃったんです。正直、責任やプレッシャーから逃げたかった部分もありましたし」

予想通り、両親だけでなく、親戚一同ひっくるめて猛反対を受けた。

しかし悠人の決意は固く、「絶対に継がない」と断言して、家を飛び出した。今でも家族とほぼ絶縁状態だという。

そして悠人は、「何をするか」考えあぐねた挙句、実家と同じ飲食業でビジネスを開始することになる。

「俺、お酒を飲むことだけは大好きだったんです。会社でも接待は多かったし。これといった夢はなかったけど、“こんなダイニングバーあったらいいのに”っていう漠然とした思いだけはあって」

そんな風に笑顔で語る悠人は、行きつけのバーでバイトとして働きながら、開業準備を進め、27歳で1店舗目をオープンするに至った。



従業員にも恵まれて、事業も軌道に乗った悠人。

「曲がりなりにも、好きなことを仕事に出来たという達成感や、自分の足で立っている感覚は、これまでに感じたことのない幸せですね」

会社員時代の3倍近い年収になり、最近東京タワーが一望できる港区にあるマンションを借りたと、自慢げに写真を見せてくれた。

そんな風に意気揚々と現状を語る悠人だが、少しトーンを落とし、こうも続けた。

「でもね。特に最初の頃。俺、やっぱ甘かったんだな、って思うことがいっぱいありました(笑)」

開業準備と修行のため自ら飛び込んだとはいえ、20代半ばにして“バイト”という肩書になったときは、さすがにプライドが傷つき、一流企業で働く友人とは疎遠になってしまったという。

そして、開業してすぐ人気店になったとはいえ、お客さんが全然入らない日もあれば、言われのないクレーム対応に追われることもあった。

「いつ、経営が傾いて食べていけなくなる日がくるかわからない。そう考えると不安で不安で…」

バイトが急に休んでしまい、代わりに夜遅くまで皿洗いをしていたときは、「俺はいったい何をしているんだ」と自問自答してしまったそうだ。

今まで守られて生きてきた悠人にとって、自分と従業員が「生きていくためのお金を稼ぐ」という経験自体が初めて、「本当にこれで良かったのか」と悩んだこともあった。

「皮肉ですけど、自立して初めて、実家の料亭のすごさがわかりました。無名の飲食店なんて、いつ潰れてもおかしくない。ブランド価値を高めながら、百年近く続けてるとか、すごすぎて気が遠くなります(笑)」

悠人は「自由」と引き換えに、今まで無縁だった不安定さを負うことになってしまった。

「実家を継いだら、ある程度の裕福な生活が保証されていたでしょうけど、結局自由に生きればよかったという後悔と、相当なプレッシャーを感じていたでしょう。まあ、タラレバですけどね(笑)」

そう明るく語る悠人の目に、後悔はないように見えた。


これまで10回に渡り、「勝ち組」になったはずの人たちを紹介してきた本連載。

欲しいものを求め上へとのぼり詰めてきた彼らは、人から羨まれることがある一方で、新たな悩みやコンプレックスに直面することも多々あるということに、気づかされた。

あなたの周囲にいる、「勝ち組」と呼ばれる人々も、人知れず苦悩を抱えているのかもしれない。