結婚相手に経済的安定を求める女性は、多いと聞く。

結婚相手の職業人気ランキングを見ても、その通りと言えるだろう。

しかし中には、夢追う夫を信じ、支える“献身的な妻”というものもいる。

IT社長として成功した柳川 貴也(やながわ たかや)の妻・美香もそうだ。

一緒に貧しい時代を乗り越え、今でも夫の一番の理解者。彼女の支えがあったから成功出来たと言っても、過言ではない。

しかし、夫の思いとは裏腹に、財を手にした妻は豹変していく。欲望のままに。



「今日もおいしそうだな」

ランニングを終えた貴也がシャワーを浴びて部屋に戻ると、テーブルに朝食が準備されていた。

焼き鮭にほうれん草の胡麻和え、きんぴらごぼうに卵焼き。

妻の美香は、素朴だが温かい、そんな朝食を毎日作ってくれるのだ。

「美香が作る朝食は、世界一のパワーモーニングだな」

「貴也ったら、大げさなんだから。簡単な作り置きばかりよ」

照れ臭そうに笑う美香を、そっと見つめる。

−いや、本当に君は、素晴らしい女性だよ。

恥ずかしくて口には出来なかったが、心の中でそう呟いた。

「ほら、早く食べて。遅刻するわよ」

美香に急かされた貴也は、慌てて朝食を食べ始め、今日の予定をざっと報告しておく。

「今日は、クライアントと会食があるから遅くなる」

すると美香は、「OK」と指で輪っかを作って笑顔で答えた。

「それじゃ。いってきます」

貴也は、キーケースに大事に付けている、妻の手作りのお守りを握りしめた。


アプリのリリースで一山当てた貴也。その裏には、妻である美香の献身的な努力があった…?

献身的な妻


柳川 貴也(やながわ たかや)、32歳。

今でこそIT企業の社長として成功を収めているが、ここに至るまでは決して平坦な道ではなかった。

小さい頃から運動も勉強も、何においても“普通”レベル。そんな無個性な自分が、ずっとコンプレックスだったのだ。

−何か一つ、秀でたものが欲しい。

常々そう思っていた貴也は、大学で受けたある授業をきっかけに一念発起し、起業することを思い立つ。

しかしすぐにうまくいったわけではなく、成功するまでに10年近くかかった。

大学を卒業してからも、企業には就職せずにがむしゃらに頑張った。

学生時代から、複数のサービスやアプリを開発・リリースしてきたが、そのどれもが苦労の割には実入りが少なく、かろうじて生活出来るというレベルの収入。

25歳を過ぎてからは、諦めた方が良いのではないかと幾度となく考えた。引き際を間違えれば、自分の人生は台無しになる。そんな不安に苛まれた。

だがタイムリミットが迫る中、28歳の時、貴也はついに黄金の鯛を吊り上げたのだ。

今や若者たちの間で大人気のゲームアプリで、一気に億万長者へと上り詰めた。



成功を掴むことができたのは、当然、貴也自身がここまで必死で努力してきたからだ。だが貴也は、それだけだとは思っていない。

−自分が成功出来たのは、妻のおかげだ。

妻の美香(みか)とは、学生時代からの付き合いである。

大学の必修クラスが一緒だった彼女と付き合い始めたのは、大学2年の春頃。すでに貴也が起業に向けて動き出していた時だった。

多忙でデートに行くことが出来なくても、「一緒にいられるだけでいいから」とわがままを言うこともない。控えめで優しく、穏やかな彼女だった。

大学卒業後、美香はメーカーの一般職に就職した。

貴也は相変わらずフリーで、稼ぎが少ない状態が続いていたが、美香は「私、料理が好きだから」と言いながら手作りのお弁当を作ったりと、前向きに貴也を支えてくれた。

貴也自身、将来を見据えることができず、別れようと思ったこともある。しかし美香はいつも「貴也の可能性を信じているから」と言って、笑って応援してくれていたのだ。

今でこそ、彼女にはとんでもなく先見の明があったのだなと思うが、当時は「ただの情で一緒にいてくれているんだろう」と貴也ですら思っていたし、その辛抱強さには驚かされた。

苦節10年、ようやく会社が軌道に乗ったところで、二人は結婚した。

結婚してからも、美香の献身的な態度は変わっていない。今朝の朝食のように家事も完璧にこなし、いつも貴也をサポートしてくれている。

−美香には感謝しかないな。

「記念なんだしちょっとくらい良いもの買ってよ」と、美香が初めてわがままを言ったカルティエの結婚指輪を見つめながら、物思いに耽る。

彼女との結婚生活に、不満などあろうはずがなかった。

学生時代から、フリーの苦しい時代も文句の一つも言わず支えてくれた妻。頭が上がらないとはまさにこのことだろうと、貴也は思っていたのだ。

…そう、今日までは。


ずっと献身的で貞淑だと思っていた妻。しかし…?

波乱の幕開け


“会食がキャンセルになったから早めに帰る”

19時頃、貴也は妻・美香にLINEで連絡を入れた。急に予定が変更になったので、先ほど携帯に電話したのだが、留守電になっていたからだ。

−おかしいな。

30分が経過してもなお、折り返しの連絡はない。美香は普段、滅多に夜外出しないはずなのに。

−お風呂にでも入っているのかな…?

結局、美香からは返信がないまま、貴也は帰宅した。

「ただいま。あれ…?」

玄関のライトは自動で点いたものの、リビングに続く廊下にも明かりはついていない。

少々の不安に駆られながら家の中を探すが、美香は見つからなかった。

こんなことを他人に言うと、自分がそう命じていると思われそうで口にしたことがないが、美香が自分の帰宅時に家を空けていることはほとんどない。

とはいえ美香だって、学生時代の友人と食事に出かけたりすることもあるだろう。

冷蔵庫を開けると、惣菜が入っていたので温めて食べることにした。そのついでに、『銀座千疋屋 銀座本店 フルーツパーラー』のケーキを冷蔵庫に忍ばせる。

美香の大好物を、せっかく早く帰宅するのだからと買ってきたのだ。

−久しぶりに、走ってくるか。

食事を終え、マンションのジムに出かけることにした。1時間ほど走って部屋に戻り、風呂から出たときには21時を回っていた。

しかし、美香の姿はまだなかった。LINEも未読のままだし、電話もない。

−何をしているんだ…?

最初こそ不安と心配で心を支配されていたが、その感情はだんだんと苛立ちに塗り替えられようとしていた。

と、その時であった。

がちゃり、と鍵の開く音が聞こえた。貴也は急いで廊下に出て、玄関に向かう。

やはりどこかに出かけていたらしい美香が、帰宅したところだった。

「おかえり。遅かったじゃ…」

そこまで言いかけて、貴也は言葉を失った。



−なんだ、このド派手な格好は。

背中が大きく開いたドレスに、足元はピンヒール。髪も綺麗にまとめられており、大ぶりのイヤリングを耳につけ、化粧も舞台メイクかと思うほど濃い。香水もやたらとキツかった。

「あれっ…。なんで貴也がもう帰ってるの…?」

彼女は一瞬慌てたような様子でそう言ったが、酔っているのだろうか。足元もフラフラとしていておぼつかない。

貴也が驚いていると、美香が近づいてきて上目遣いで告げた。

「貴也、早かったのね。えっとね、高校時代の友達と女子会だったんだけど、盛り上がっちゃったの」

「美香。何度も連絡したんだけど…」

普段あまり酒を飲まないはずの彼女からは、アルコールの匂いが漂っている。

「そうだったの?あ…。スマホの充電、切れてたみたい。ごめんね、遅くなっちゃって」

「そっか…」

しおらしく謝られると、それ以上強く言うこともできない。

「私、ちょっとシャワー浴びてくるね」

そう言って、どこか気まずそうに急いでバスルームに直行する美香の後ろ姿を見つめながら、貴也は呆然と立ち尽くしていた。

たった今見た妻の姿は、自分の知っている彼女とはまるで別人だった。

大体、あんな派手なドレスをいつの間に持っていたのだろうか。

たまに一緒に買い物に出かけて、服を買ってあげると何度言っても、美香はいつだって「こんなに高いもの、要らない。着る機会もないもの」と謙虚に首を横に振るだけだったのに。

素肌が美しい美香は、普段は化粧も薄く、ナチュラルなスタイルを貫いていたはずだ。

−こういうこともあるよな…。

高校時代の友人と会っていたと言っていたから、同窓会のようなものだったのかもしれない。そうであれば、気合を入れてお洒落をするのも自然なことだ。

−きっと今日だけ、たまたまだよな…?

そう必死で自分に言い聞かせるが、頭が混乱する。

この時、貴也はまだ気づいていなかった。この日を境に、妻の本当の姿が暴かれ始めることを。


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妻のことを疑う貴也は、クローゼットである物を発見してしまう。妻は、クロなのか…?