いつまで経っても、女は女でいたいー。

それは、何歳になっても、子どもができてママになっても、ほとんどの女性の中に眠る願望なのではないだろうか。

いつまでも若々しくいたいという願いや、おしゃれへの欲求、それに少しのときめき。自由やキャリアへの未練。

そんな想いを心の奥底に秘めながら、ママとなった女たちは、「母親はこうあるべき」という世間からの理想や抑圧と闘っているのだ。


◆これまでのあらすじ

専業主婦の翔子(34)は、同僚たちとの再会をきっかけに、仕事をスタートする。

ところが「妻が仕事をする=貧困」と思い込んでいる姑との溝は深かった。そして、夫との仲は順調に思えたが…?



復帰してはじめての給料日は、新卒で勤めた会社の初任給をもらったときのようにワクワクした。

働くようになったらぜいたくするようになるかと危惧していたが、感覚としてはむしろその逆だ。

―お金稼ぐのって大変だし、お給料もらえるって本当にありがたいこと。無駄遣いしないようにしなきゃ。

働き始めたことで、そう思うようになっている。むしろ、財布の紐が固くなったほどだ。

「パパ、今後の生活費について相談したいんだけど…」

「ああ。今のままで問題ないだろ」

「でも私、自分のお小遣いのために働いているわけじゃないの。生活費を出し合えればと思って」

「じゃあ、生活費を出すって言う名目で貯金したらいいよ。それ以外の使い道は任せるから」

「う、うん…。パパがそれでいいなら…」

たとえば毎月10万を貯金したとしても、手元にそれ以上は残る。これまでの翔子のお小遣いを自分で負担しても、まだまだ余裕はあるのだ。

「俺、家事分担するなんて言っておきながら、結局ママに任せっきりだよな。それでもいつも家事も育児も完璧にこなしてくれているんだから本当にありがたいよ。お給料は、好きに使ってくれ」

「完璧だなんて…。私不器用だからいっぱいいっぱいだよ」

「そんなことないよ。仕事も家事もここまで完璧にこなしてくれるなんて、ママはスーパーウーマンだ」

圭一は満足げな笑顔でそう言った。

―そこまで言われると、言い出しにくいな。

翔子は口をつぐんでしまった。本当は、夫に相談したいことがあったのだ。


「すべてが順風満帆」そう言い聞かせてしまう翔子は、仕事でも少しずつ変化が…?

実は翔子は、仕事と家庭の両立に負担を感じ、週1回家事代行サービスを頼もうと思っていた。

でも、「一人でなんでもこなせるママがかっこいい」と言い切られてしまうとその気になってしまうのが、翔子の困った性格でもある。

―よし。もう少し、家のことは一人で頑張ってみよう。

小さなすれ違いや些細な無理が、いつか大きなほころびになっていくことは、わかっているつもりだ。だからこそ翔子は、「仕事も家庭も全てが順調」だと自分に言い聞かせた。

―会社も家族も理解があって、みんなによくやってるって褒められて、私、幸せだよね…。

だけど、満足そうな圭一に対して、なぜかうまく笑顔を返せない。そんな自分が不甲斐なく思えた。



会社の方は、任せられる仕事も増え、忙しくもやりがいのある日々が続いていた。

海外とのやりとりが多い中で、社内でもファーストネームで呼び合う習慣があり、社員たちから「翔子さん」と呼ばれるのにも少しは慣れてきた。

「今の交友関係ってやっぱり息子が中心だから、私は普段はすっかり“航太くんのママ”なんです。だから自分の名前を呼ばれるなんて、すごく新鮮」

「…息子さん、航太くんっていうんですね」

舞花が、ちらりと翔子のことを見ながら言った。

舞花は相変わらずの調子だったが、顔色を伺うのも面倒なので、あえて普通に接している。

「あ、そうなんです。言ってなかったですね。でも、私の名前は知っているのに子供の名前は知らないっていう人は、今まではとってもレアでした。きっと息子関係の人、誰も私の名前なんて知らないもの。舞花さんは私にとって貴重な存在ですね」

翔子が笑うと、舞花も少しだけ表情を緩めた。

舞花は24歳だが、その仕事ぶりと大人びたファッションや口調から、普段からアラサーくらいに見られることが多いのだという。むしろ「若いと知られて舐められなくない」と、それを望んで本人も振舞っているそうだ。

ただ、笑うとやはりあどけなさがあり、年相応の若い女の子なのだ。

その一面を見ると、翔子はホッとする。いつも肩肘張っていて疲れないかと心配だからだ。

舞花への苦手意識が完全に払拭されたわけではない。

ただ、必要以上の接触を避けるのも自分らしくないと思ったので、仕事のことでもプライベートについてでもなるべく積極的に話しかけるようにしていた。

翔子は本来、内気な性格だ。

だが、積極的にコミニュケーションを取らなければ打ち解けることはできないし、誤解を与えることもある。人間関係が噛み合っていないと感じるときこそ懐に入り込もうというのは、翔子が高校、大学時代のアメリカ留学で学んだことである。

「航太くんは、寂しがっていないんですか?お母さんが急に働き出して」

「え?」

舞花はぽつりと呟くように言った。

彼女はいつもはっきりした口調でしっかり相手の目を見据えて話すのに、意外な様子に少し驚いた。

「社長から聞いているかわかりませんが…」

舞花は小さくため息を吐くと、何か意を決したように続けた。


舞花から思わぬ形での衝撃の告白。翔子は言葉を失って…

「社長は、私の叔母です」

「え?!舞花さんが、千尋さんの姪っ子ってこと?…知らなかった…」

そのまま言葉を失ってしまう。まさか千尋と舞花が親戚だなんて、当然思ってもいなかった。

ただ、千尋は不必要な隠し事はしないだろう。縁故採用だということに苦言を呈するようなスタッフもいない。むしろ“縁”を大切にしている社風なのだ。

―言えない理由があるってことだよね…。

長い付き合いでもある翔子にそれを伝えていないのにはわけがあるのだと、すぐに察した。

「やっぱり聞いていませんか。…私の母親は、社長の姉です」

「あれ…お姉さんって…」

千尋と過去に一緒に働いていた時代を思い出し、蘇るあの日の記憶に、息が詰まる。

「亡くなりました。過労で。シングルマザーで必死に働いていたんです。私は離婚した父親に引き取られました。…勘違いしないでください。不幸な生い立ちということではないんです。父は本当に良い親です。離婚していたのにも関わらず、忘れ形見として私のことを精一杯愛情を持って大切に育ててくれました」

「知らなかった…。ごめんなさい。なんて言っていいのかわからなくて。大変だったんですね」

「だから、同情されたくて言ったわけではありません。そういう顔をされるのが嫌で、社長には口外しないように頼んでいるんです」

そう言われてしまうと、翔子はもう何も言えない。舞花は「仕事中ですね、すみません」と言って、作業に戻った。

―そんなことがあったんだ…。お母さんを過労で亡くしていただなんて…。

当時、げっそりとやつれた千尋が「姉は高校生の娘を残して…」と悲痛な表情で言っていたことを思い出す。その後は父親と二人暮らしをしているとは聞いたが、それからどうしているのか翔子も気になっていたのだ。

仕事に戻らなきゃ、と思いつつも、心が揺さぶられたままでなかなか集中できない。参ったなと思いながら、翔子は両手で顔を覆った。

ふいに気配に気づき目を開けると、目の前にはチョコレートの箱が置かれている。

横を見ると、急に現れた男性が、心配そうに翔子のことを見つめていた。



「これ、シンガポールのお土産。悲しいときは、糖分を」

「あ。ありがとうございます。悲しいっていうか…あの、大丈夫です」

翔子は慌てて取り繕う。

そこには、会社で取引のあるデザイナーの廣山明彦がいた。シャツにデニムというラフな姿だが、シンガポール帰りというだけあって、カジュアルな装いが日焼けした肌によく似合っている。

無精髭の明彦からさわやかな笑顔を向けられ、翔子はつられて微笑む。そのとき背後から、声が響いた。

「だから、もうそのチョコは買ってこないでって言ったでしょう。もう飽きたし、おいしくないんだから」

お土産に対して、親しげな調子で苦言を呈するのは、社長室から現れた千尋だ。

「服のセンスは良いのに、お土産のセンスはないですよね」

“イクメン”の裕介が、千尋を援護射撃する。

「ここまで言われても、俺はお土産攻撃をやめないぞ!舞花さんだけは、楽しみにしてくれてるよな」

「いいえ。全然」

舞花が間髪入れずにきっぱりと否定したので、社内に笑いが起きた。

明彦本人が一番大笑いしているのだから平和である。

明彦が現れると、ぐっとその場の空気が明るくなる。

本人曰く「胡散臭いアラフォーのおっさん」だが、会社でも食事の席でもデザインの現場でも、華やかなオーラを持つ明彦の人柄は、みんなに愛されていた。

翔子も、もともと知らない仲ではない。なぜなら彼は、千尋の元夫なのだ。

離婚した経緯は詳しくは知らないが、娘の玲の父親と母親としてパートナーシップを築いているし、こうして仕事上の取引もあるのだから、酸いも甘いも乗り越えた関係ということなのだろう。

翔子も、気づけば笑っていた。お世辞にもおいしいとはいえないチョコレートだが、重苦しい気分を吹き飛ばすのには十分だった。

おしゃれで人柄の良い明彦のことを、翔子は単純に「こんな男性って、すてきだな」と思う。

それは家族に対して後ろめたく思うような感情ではなく、また特別親しくなりたいという希望でもない。

ただ、テレビで“イケメン俳優”を見たときのようなワクワクする気持ちは、いつまでも自然と持っていて良いもののはず。逆に押し殺しているようでは、自分の女らしさがどんどん廃れていくように思う。

すてきな人と会う日は、おしゃれに気を使うこと。ハイヒールでも綺麗に歩けること。大切な取引がある日は、クリーニングしたてのジャケットを着ること。

些細なことかもしれないが、専業主婦歴7年の翔子にとっては、すべてが新鮮で、大切なときめきだった。

―あとは、家庭との両立をもっとしっかりしなきゃ…。


その晩、圭一はこんな提案をした。

「週末くらい、一人でゆっくりしてくれよ。俺は航太を連れて実家にでも行ってくるから」

「いいの?どうもありがとう。仕事に着ていく服が足りなくなっていて、買い物に行きたいと思っていたの」

翔子は、素直に圭一の提案を受け入れた。

目をそらしていたはずのほころびが少しずつ広がっていることに、まだ気づいてはいないのだった。


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すべてが順調だと思いたかった翔子に暗雲が。夫と息子は二人で出かけ、そのとき何が起きるのか…!?