人との、別れ―。

それは、誰しも一度は経験したことがあるもの。

けれど、別れた後に待っているのは辛いことだけじゃない。これは、そんな「別れ」にまつわるオムニバス・ストーリー。

◆これまでのあらすじ

今回の主人公は、朔と芙美子の恋のきっかけを作った樹(たつき)。樹が恋をしてしまった女性とは…?今回は、全4回でお届け。



―どうした。なんだ、この胸騒ぎは。

友人の結婚式に参加していた鈴木樹は、ステージの上に立つ女性から目が離せなくなっていた。

派手過ぎず、でも気品漂う黒のワンピースに身を包み、バイオリンを奏でている女性。

淡い茶色に染められた髪はハーフアップにされている。

―これは、一目惚れ…か?

新婦の友人だというその女性。先ほどまでステージなど気にも留めず、テーブルでお酒を楽しんでいたため名前は聞いていなかった。

好きな曲が流れたのでチラリと目をやったステージに、釘付けになってしまったのだ。

「なぁ、あの人、誰か知ってる?」

小声で隣に座る朔に聞いてみた。

「なんで俺が知ってるんだよ」

朔は興味なさげに答える。そういえば、朔がスーツを着て小綺麗な格好をしているのは初めて見たかもしれない。髪型もすっきりしている。

朔とは青山通りで再会して以来頻繁に会うようになり、大学の友人の結婚式にもこうして一緒に出席する仲になっていた。

朔は、芙美子と別れてから明らかに雰囲気が変わった。別れた直後は荒れて大変だったな…とほんの半年ほど前のことを思い返していると、演奏が終わった。

「新婦のご友人の若槻琴音(わかつきことね)さまの演奏でした。ありがとうございました」

司会が終わりを告げると、拍手が起こった。ペコリとお辞儀をする琴音が顔をあげた瞬間、目が合った…気がした。

―俺はアイドルのファンかよ…。

琴音との出会いに相当浮かれているのか、思わずひとりツッコミを入れてしまう。

「それではこれよりしばらくの間、ご歓談とお食事を…」

司会が言い終えるよりも早く、樹は立ち上がる。

「ちょっと俺、行ってくるわ」

「おう。え?どこに?」

樹は朔の言葉には返事せず、琴音の席へと向かった。


“友人の結婚式は出会いの場”という言葉を地で行く樹。琴音に話しかけることはできるのか…?

「あの、琴音さん…」

樹は思い切って声をかけた。

「え?」

琴音はびっくりして振り返る。直後「誰?」という表情を顔に浮かべた。当然だ。

ここまで完全にノープランで来てしまっていた樹は、なんと言って良いか分からず、思いつきのまま話した。

「さっきの演奏素敵でした。俺…僕、バッハの中でも“G線上のアリア”が一番好きなんですよね。もうすっかり琴音さんのファンです」

一気に話すと、琴音の表情がパッと明るくなった。

「本当ですか、ありがとうございます。少し、私のアレンジも入れてみたのでそう言っていただけて嬉しいです」

琴音も樹も、笑顔で頷く。

その後たっぷり3秒間、気まずい空気が流れた。

「そ、それが言いたくて。お邪魔してすみませんでした」

樹はそそくさと自席へ戻る。

初めは琴音と話すことができたと満足げだったが、冷静になるとさっきの会話からは何一つ得るものがなかったことに気づき、落ち込んだ。

披露宴はあっという間に終わり、樹は朔と共に二次会の会場へと向かっていた。琴音さんは来るのだろうか…。そう思った直後、後ろから声が聞こえた。

「じゃあ、私はこれで」

振り返ると、バイオリンケースを持った琴音が友人たちに別れを告げ、立ち去ろうとしているところだった。

「ちょっと俺、行ってくるわ」

「おう。え?また?」

朔を放置し、琴音の元へ向かった。



「琴音さん、二次会には行かないんですか?」

突然話しかけられた琴音は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに樹だと認識して笑顔になった。

「ええ、今日は少し用事があって。そういえばごめんなさい、私、まだお名前を聞いてなかったですよね」

「あ、そうでした。鈴木です。名乗りもせず話しかけちゃってすみません」

「いえいえ嬉しかったですよ」と微笑む琴音を見ると、樹はようやく、いつもの調子を取り戻してきた。

「もし迷惑じゃなかったら、今度食事でも行きません?連絡先伝えておくので、気が向いたら連絡ください」

鬱陶しがられないように、怪しまれないように。樹は細心の注意をはらいながら、連絡先を渡すことに成功した。

そして二次会が終わる頃には、琴音からメッセージが来ていた。樹の予想通り、悪い印象は抱かれていないようだ。

―このまま、一気に距離を縮めたい…!

そう考えた樹は、次の土曜日にデートの約束を取り付けた。場所は音楽の生演奏を楽しめる、ブルーノート東京。琴音にぴったりだと思ったのだ。

その時はまだ、琴音がとんでもないことを隠していたなんて、知る由もなかった。


初めての食事の場所として選んだ、ブルーノート東京で知った琴音の正体とは?

待ち合わせより少し早く、ブルーノート東京に到着した樹は、琴音が来るのをソワソワと待っていた。

―バイオリンを演奏する琴音との初デートにはピッタリだな。

ブルーのネオンライトに照らされたステージを眺めながら、樹は誇らしげな気持ちになる。

「鈴木さん、お待たせしました」

数分後、琴音がやって来た。

その姿を見て、樹は目を見開く。現れた琴音は、先週の結婚式の時と同じような、品のあるワンピースを着ていたからだ。

―琴音さんにとっては、ちょっと敷居の高い店だったか?気を遣わせてしまったかもしれない…。

樹は申し訳ない気持ちを抱える。

しかし食事が進むにつれて、それは無駄な心配だったことがわかった。    



「ここのお店、よく私の父が演奏させていただいてるんです。小さい頃から来ていたけど、男性と来るのは初めてで…」

「え、お父さん…?が、ここで演奏しているの?」

唐突な琴音の発言に、樹の理解はなかなか追いつかない。

「ええ。私の父はジャズピアニストのHaruo Wakatsukiなんです。母もバイオリニストで。音楽一家に生まれたので、私も音大を卒業して、今はバイオリンでお仕事をしています」

「へ、へぇ」

Haruo Wakatsukiの名は樹でも耳にしたことがあるほど、世界的に有名なジャズピアニストだ。

「そのご令嬢が、琴音さん…」

樹は、放心した口調でつぶやく。

話を聞けば、南麻布に豪邸を構え、物心がついた時からお手伝いさんがいたらしい。恋人はいないが、25歳の琴音には毎日のように縁談が持ちかけられているという。

しかもそんな夢のような話をしているのに、全く気取っておらず、嫌味たらしくない。多分、本当のお金持ちなのだろう。

まるで映画の世界から飛び出して来たような、お嬢様の琴音。よく見るとお金持ちオーラが全開だ。

普段来ることがないような店をチョイスして、気を遣わせてしまった…と勘違いしていた自分が、急に恥ずかしくなってくる。琴音にとってこのお店は、日常の光景だったのだ。

樹の恋心は驚くほどみるみるうちに冷めていく。

―すごく良い子なのに、住む世界が違いすぎる…。

樹自身も大手の会社で働いていて、同年代に比べると収入もあり、良い暮らしをしているはずだ。が、琴音が生きている世界は桁違いだった。

付き合って結婚して…と二人の将来のことを想像しようとするが、二人の人生が重なるようには思えない。

それに、話を聞いていると恋愛というものをロクにしたことがないらしい。

ま、こんなこともあるよと気持ちを切り替え、樹は今日は早々に切り上げようとしていた。

しかし、話は意外な展開を見せることになる。

琴音の方が、樹のことをえらく気に入ってしまったのだ。

「私、男性に対してこんな気持ちになったのは初めてなんです。恋愛なんて、私には無縁なものだと思っていたけど…。鈴木さんと、もっと一緒にいたいです」

―これはまずい展開になってしまったぞ…。

樹は、純粋すぎる瞳で見つめてくる琴音を横目に、内心頭を抱えていた。


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琴音からの猛アタックに、樹が下す決断とは…?エリートサラリーマンと世間知らずなVIP令嬢が織りなす、恋の行方。