ひとり旅をするとき、こんな妄想をしたことはないだろうか。

―列車で、飛行機で、もし隣の席にイケメンor美女が座ったら…?

そして、妄想は稀に現実になる。

いくつになっても忘れないでほしい。運命の相手とは、思わぬところで出会ってしまうものなのだと。

傷心旅行に発った及川静香は、素性の知らない男と恋に落ちるが…。出会いから、別れまで、たった14日間の恋の物語。

◆これまでのあらすじ

静香は元カレに別れを告げられ、ハワイへ一人旅に出る。

出会ってすぐに男女の仲になった勇作に運命を感じるが、別の女性とハワイで挙式する健次と再会。

勇作は“健次からの伝言”を預かってくるが、そのメッセージは、実は勇作が創作した“優しいウソ”だった…。



Day10,2019年6月17日。


11時30分、カラカウア通りから一本入ったところにある、海の見えるオープンカフェ。

糖分たっぷりのアイスカフェラテは、すっかり飲み干してしまった。

濃いサングラスをかけていても、空が青く澄み渡っているのが分かる。今日もハワイは信じられないほどの好天だ。

静香は、サンシェードの下のテラス席に座っていた。だが、鮮烈な日差しが白い帆を突き抜けて、じりじりと肌を焼いている気がする。

昨日の怒りは、いまだ収まっていない。

元カレの健次が二股をしていたことも、もう一人の女とハワイで結婚式を挙げるということも信じられない。だが、それ以上に許せないのは…勇作だ。

彼は、余計なお節介をしたのだ。「健次さんからメッセージを貰ってきた」とウソのメールを書いて、静香を慰めようとした。

―私、舐められてる。

すべてはその一言に尽きる。

静香に関わるあらゆる男たちが、「どうせ、この女にはバレないだろう」と平気で偽りの言葉を吐いていく。自分はどれほど、男たちから舐められているのかと思うと、やるせない気分になった。

そうはいっても勇作の場合は、彼の言動の根底に“優しさ”があることは理解できる。

ただ、優しさが時に人を傷つけることは、もはや考えるまでもない常識だと思っていた。これまでも勇作にはずっと、静香が考える常識が通じなかった。

ー思い返せば…。

静香は記憶を手繰り寄せようとして、やめた。

最初は健次に怒っていたのに、気づけば勇作のことばかりで頭がいっぱいになっている。

今はすべて忘れたい。カラカウア通りを散歩して、適当なレストランでランチにしよう。そう思って立ち上がったとき、スマホが鳴った。

スマホを手に取る前から予想はしていたけれど、表示画面を見て、やっぱり、と思った。

その電話は、勇作からだった。


勇作がしでかした、愚かな行為…。

30分後、指定されたハンバーガー屋に到着すると、顔に派手な傷を作った勇作が座っていた。

「えっ、どうしたの…?」

「ああ、これ?」と、勇作は口元の傷に触れる。

「ちょっとね」

いやいや、ちょっとね、どころではない。勇作の傷は口元だけでなく、目じりと鼻筋にもあった。

「転んだ」

勇作はそう言って笑ってみせたが、口元の傷が痛いのか、すぐに表情をしかめた。

「そんなのウソ。こういうの海外ドラマでよく見る。誰かに殴られても『転んだ』って言ってごまかすの」

「ハワイでは『波乗りで失敗した』とも言ってごまかすよ」

勇作は3割ぐらいの笑顔で、軽口をたたく。

「そういうことじゃなくて、どうしたの?」

「…うん」

勇作は目を伏せて、曖昧な返事をした。

「本当のことを言って。私、もうウソは嫌だから」

「昨日の夜、健次さんの結婚パーティに行った」

「えっ?」

「正確に言うと、パーティに呼ばれてもいないのに乗り込んだ」

絶句した静香を尻目に、勇作は話を続けた。



カハラ近くのビーチで健次と奈央の結婚パーティが開かれていると知った勇作は、そこに向かったという。

「わざわざ正装して行ったんだ。えらいでしょ?」

参列者たちは見知らぬゲストに驚いたが、陽気な地元在住の日本人が紛れ込んだのだと誤解したようだ。

しかし健次だけは違った。アラ・ワイ・ハーバー近くのバーで勇作と静香が一緒にいたことを思い出したのか、表情を一変させた。

勇作はグラス片手に「結婚おめでとうございます」と健次に近づくと、二股していたことを静香に直接謝るように言った。

ところが、健次の顔は一瞬青ざめたものの、それを隠すようにへらへらと笑い出したのだ。なぜなら隣には、新婦の奈央がいたからだ。

「たぶん奥さんのほうも、二股されていたこと知らなかったんだと思う」

健次がすぐに店員に報告したため、部外者の勇作は出て行くように注意された。勇作はすんなり受け入れたが、店の外に出るまで「二股を謝れ!」と叫び続けたらしい。

すると、健次が追いかけてきたのだ。

店の外、パーティ参列者が誰も見ていないところで、健次は店員の制止を振り払い、勇作を何発か殴った。

「えっ…健次が…?」

「そんなことする男とは思えない?」

「うん…」

「かなり酔っ払ってたんだと思う。だいぶ酒臭かったし」

勇作も健次を殴り返そうとしたが、店員に取り押さえられた。

その後、店員は警察に通報しようとしたが、勇作はそれを止めたという。

「一方的に殴られたけど、警察の面倒にはなりたくなくて」

口元の痛みを気にしながら、勇作は淡々と説明した。

「ちょっと待って…バカじゃないの?」

静香は思わずそう言った。

「なんで、そんなことしたの…?」

「自分でもわからない。ははは。…でも、こんなこと、人生で初めてしたよ」

乾いた笑い声をあげたあとで、ぼやくように言った勇作に、静香は強く言い返した。

「そんなこと、二度とやらないで」

「…はい。ごめんなさい」

勇作はシュンと肩を落としている。どうやら本気で反省しているようだ。

顔を傷だらけにした男を、それ以上責める気にはなれなかった。

「でも私のために、やってくれたんだよね?…ありがとう」

「ちがう。俺は、ひどいウソをついたから、それで…」

「いいの。ありがとう」

「…うん」


自分の気持ちに、あらためて気がついた静香。ところが思わぬ連絡が…。

傷のせいで口を大きく開けない勇作が、どうしてハンバーガー屋を待ち合わせ場所に指定したのか理解できない。

勇作の突飛すぎる愚行を聞いてなぜか急に食欲が沸いた静香は、バーガーと添えてあるフライドポテトをぺろりと平らげたが、それとは対照的に勇作は、痛みと戦いながらちびちびとバーガーを食べ続けた。

勇作のぶんのフライドポテトに手を伸ばしながら、静香は言う。

「このあとデートしない?」

勇作はキョトンとして、口に物を入れたまま、もごもごと返事をした。何を言っているか分からなかったが、喜んでいることは分かった。

店を出た二人は、裸足になってワイキキビーチを歩き、時折、足で波に触れる。肩は触れ合い、腕が絡み、やがて手を繋いだ。

日差しはさらに強烈になっていたが、肌の焼ける感覚は消え失せていて、身も心も温かく包まれている気がした。

―すべて忘れたい。

ほんの数時間前の静香はそう思っていた。そして、それは現実になった。

―すべて吹っ切れた。

静香は、勇作と砂浜と波の間を歩きながら、このままこの先の人生も、彼と一緒に歩んでいきたいと考えていた。



夕方になると「元家族とゴハンを食べる約束がある」という勇作と解散し、ひとりでホテルに戻ることになった。

「今度は、二人の娘にも静香のことを紹介したい」

勇作は迷いもなく、そう言っていた。

それが今夜できないのは、元妻・ミランダ側の両親も食事に同席するので、そこに新しい彼女を連れていくのは早すぎると考えたからだ。

「だから、ごめんね」

「いいの。気にしないで楽しんできて」

偽りの言葉ではなく、本心だった。

「それよりも、その顔の傷は、なんて言い訳するの?」

「うーん。スケボーで失敗したって言う」

「サーフィンじゃなくて、スケボー?」

「娘たちが最近スケボーにハマってるから、注意喚起のためにもそう言うよ」

ホテルの部屋に戻った静香はシャワーを浴び、服を着替えると、窓を開けてベランダに出て、今日一日の心の変化をもう一度噛み締めた。

―ああ、私、勇作のことが本当に好きだ。

その瞬間、初めて心の底から、思った。

―ハワイに来て、良かった。

部屋に戻ってベッドに仰向けになった静香は、スマホを手に、今夜のディナーをどうすべきか検索を始めた。

あの店もいい。この店もいい。

そう考えながら決め手を欠いた。どの店も勇作と一緒に行きたいからだ。

時間を忘れるほど検索に集中していると、突然、手に持っていたスマホが着信を通知した。

同時に、発信相手の名が表示される。

『健次』

あっ…と思ったときには遅かった。スマホを操作していた指が、そのまま応答ボタンに触れてしまったのだ。

電話が、健次と繋がった。

静香は固まった。声を発せずにいると、電話の向こうから健次の声がする。

「もしもし?静香?聞こえてる?」

ややあって静香は決意し、かろうじて声を絞り出した。

「うん…聞こえてる…」

「昨日はごめん。話ができなくて…」

「うん…」

「それで明日は空いてる?明日なら話ができるんだ」

会うつもりはない。すぐにでも電話を切りたい。でも、どういうわけかそれができなかった。

「大事な話があるんだ。どうしても聞いてほしい」

健次は懇願するようにそう言った。

静香は、それを断ることができなかった。


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静香を呼び出した健次は、衝撃の事実を伝えてきて…。