「好きになった相手は、高嶺の花だった」。

もしもあなたが、手の届かないような存在の相手を好きになってしまったら、どうしますか?

石崎健人(27)が恋に落ちたのも、自分には釣り合わないと諦めていたような“高嶺の花”。

それまで身の丈にあった、分相応な人生を送ってきたはずの男が、憧れの女性を手に入れ、結婚まで漕ぎ着けた方法とは…?

◆これまでのあらすじ

花奈(かな)からプロポーズされた健人。高嶺の花の彼女からプロポーズされるなんて、まさに奇跡だ。

だが一方で、花奈には健人に言えない事実があったようで…?



あれは2年前、25歳だった頃のこと。

健人が花奈(かな)に告白したのは、忘れもしない、会社の同期会の帰り道だった。

健人の喉はカラカラに乾いていた。それなのに、口の中は妙に粘っこかった覚えがある。人は極度に緊張すると、こうなるものなのかと初めて知った。

だが、そんなことを考えている場合ではない。早く言わなければ。そう思った瞬間、痺れを切らした花奈が訝しげに聞いてきた。

「どうしたの?」

焦った健人は、気づけば、当初予定していたのとは違う言葉を放っていたのだ。

「つ、付き合ってください!!!」

しまった、と思った時にはもう遅かった。

「え…?それって…」

花奈は驚いた様子で、健人のことを見つめている。

−ああ…。付き合ってなんて言うはずじゃなかったのに…。

緊張のあまり頭が真っ白になり、勢い余ってわけのわからないことを口走ってしまったのだ。

しかし、今さら違うなんて言えない。それに自分が彼女に惚れているのは事実だから、否定するのも間違っている気がした。

「…」

二人の間に、痛いほどの沈黙が流れた。

どのくらい時間が経っただろう。花奈は、たっぷりと時間をかけて何かを考え込んでいた。

健人に出来るのは、彼女が何か言ってくれるのをじっと待つことだけだ。そうしてしばらくして、ようやく花奈は口を開き、こう言ったのだ。

「…うん。よろしく」

健人は、信じられない気持ちでいっぱいだった。

家に帰る途中、何度も頬をつねって夢でないことを確かめてみる。頰がジンと痛むたび、「現実なんだ…」という実感が湧き、嬉しさが込み上げてきた。


予期せぬ告白が成功し、浮かれる健人。しかし、厳しい忠告をされてしまい…。

まさかの「ご報告」


「石崎。そろそろ出られる?」

翌日。経理部の上司・指田藍子が、健人のデスクの横で不満そうな声を上げた。

「すみません、指田さん。もうすぐ終わります」

健人のキーボードを叩く音のスピードが、にわかに上がる。その時、横を通りかかった一人の女性が、顔を輝かせて藍子のもとに駆け寄ってきた。

「わあ、藍子さん!」

「おー、久しぶり。どう、新しい配属先は?」

健人の隣で暇を持て余している時でさえ、藍子の周りには人が絶えない。今もこうして、女性社員が楽しそうに彼女とお喋りに興じている。

指田藍子は、その面倒見の良い性格から、主に若い社員からの人気が高い。

彼女へのOG訪問がきっかけでこの会社を志望した社員も多く、この女性社員もきっとどこかのタイミングで藍子が世話を焼いたのだろう。

会話がひと段落したのか、藍子が立ち上がって健人に声をかけた。

「エレベーター混むから、先降りてるよ」

「終わりました!行きます!!」

メールを送信した健人は、スタスタと歩く彼女の後を急いで追った。エレベーターを待つ間、藍子がニヤッと笑って聞いてくる。

「何か良いことあったでしょ?」

「え? あぁ…」

不意を突かれ、ビクッとする。

昨日のことをどこから説明するべきか迷い、一瞬答えに窮した。しかし、口元が緩んでいるのが自分でもわかる。

「まぁ詳しくは、お店の中で聞かせてよ」

今日の目的地は、同じビルの地下にあるレストランだったので、まずは店に入ることにした。



「…えっ!? まずはデートに誘うって話じゃなかったっけ」

藍子は目を丸くして、店内に響くほどの大きな声を出した。

彼女はおどけて口に手を当てるが、時すでに遅く、周囲の何人かは顔をしかめてこちらに視線を向けている。

「そのはずだったんですけど、本人を目の前にしたら、つい口が滑ったというか。気づいたら告白していて…」

健人は声のボリュームを抑えて、昨晩の事情を説明した。

「それで? オーケーもらったってこと?」

しかし、健人の気遣いはどこ吹く風。藍子は普段の調子で喋り続ける。

この豪胆さというか、図太さみたいなものはどこから来るのだろう。健人はいつも疑問に思っている。

「まぁ、そうですね…」

「へー。よかったじゃない」

いまだに健人も、実感が湧かない。

今この瞬間に、花奈の方から“やっぱり昨日のことはなかったことに”なんて連絡が来ても、おかしくないと思っているほどだ。

しかし、今のところそれはない。つまりは、健人と花奈は“付き合っている”ということで間違いないのだろう。

自然とふたたび口元がほころぶ。それを藍子は、見逃さなかった。

「でも安心できないわよ。神谷花奈さんみたいな子、他の男が放っておくわけないでしょ。油断してると、奪われるわよ」

喜んだのも束の間、藍子の厳しい忠告に少しだけ落ち込んだ。

−そうか、僕はまだスタート地点に立っただけなんだ。

健人は、ようやく現実を認識したのだった。


告白が受け入れられて安心しきっていたものの…。彼女と一緒にいるために、できることは何なのか?

誓い


「ところで、勉強の方はどう?」

そもそも、健人が藍子に相談したかったのは花奈のことではない。話の流れでいつのまにか彼女とのことを暴露してしまったが、もともと話したかった内容は、藍子の言う通り“勉強”のことだ。

実は健人は公認会計士を目指していて、すでに資格を所有している藍子にアドバイスをもらっているのだった。

健人の働く大手メーカーでは、簿記やビジネス法務などの資格取得が推奨されている。

だが、誰もが持っている資格を持っていても、他人と差別化出来ない。そう考えた健人は、せっかく勉強するなら、自分の強みになる市場価値の高い資格を取得しようと思い、公認会計士を目指すことにしたのだ。

「計算に慣れるので手一杯で、理論に手が回ってないです」

「まぁ今はそれでいいと思うけどね。受験だってそうだったでしょ」

そう言って彼女は、健人の模試の結果を眺めながら、具体的なアドバイスを付け加えた。

藍子のアドバイスは、いつも痛い所を突いてくる。たまに耳を塞ぎたくなるが、的確なので信頼できるのだ。

「でもさ、あんまり根詰めて仕事に影響が出ても仕方ないし。気楽にやったらいいよ」

そう言うと彼女は、最後の餃子を口に放り込んだ。会計に向かい、健人が財布からお札を取り出そうとすると、藍子はそれを制止した。

「ここはお姉さんが奢ってあげるわ」

「ありがとうございます」

お姉さん、と聞いて、藍子が一体何歳なのかふと気になった。だがそんなことを聞けるわけもなく、そっと心の奥にしまった。



「じゃあ、頑張ってね。勉強も恋愛も」

お店を出ると、藍子は立ち寄るところがあると言って、颯爽と立ち去った。

「はい…。ごちそうさまでした」

健人は頭を下げて見送った後で、歯磨きにトイレへと向かう。

“気楽にやったらいいよ”

藍子の言葉が、健人の頭の中でリフレインする。今までだったらその言葉を鵜呑みにしていただろう。

正直、試験を甘く見ていた。働きながら受かる人は少数派だ。大体は学生か、仕事をやめて勉強に専念していると聞く。

事実、健人は去年の短答試験で不合格だった。

「仕事が忙しくて勉強出来なかった」「受からなくてもしょうがない…」。

そんな考えが、本番が近づくにつれて頭の中にちらつくようになっていく。

−でも。これまでとは違う。

昨日の一件で、健人は心を新たにしていた。

正直ハプニングだった、花奈との恋愛スタート。どうしてOKされたのか、自分でもよく分からない。

だが藍子の言う通り、彼女のような“高嶺の花”を周りが放っておくわけがない。

努力して自分を磨かなければ、あっという間に彼女の気持ちが離れてしまうだろう。そんなのは絶対に嫌だ。

「よし!」

健人は、洗面所の鏡に映る自分の顔を眺めながら、頰をパンパンと叩いた。

ー花奈に自分のことを好きになってもらう。惚れさせるんだ。

こうして健人は、花奈のことも、試験のことも中途半端にしない、と心に誓ったのだ。


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花奈が健人の告白を受け入れた理由とは…?