新しい命をお腹に宿し、赤ちゃんとともに過ごす十月十日。

花冠をつけて、マリア様のようにやわらかく微笑むマタニティーフォトの裏側には、さまざまな物語がある。

たくさんの笑顔と涙に彩られるマタニティーライフ。

あなたに会える、その日まで。

◆これまでのあらすじ

市川優は、独立したばかりのテキスタイルデザイナー。結婚5年目の33歳だ。

不妊治療の末、念願の赤ちゃんを授かるも、切迫流産での入院や、母親の孫フィーバーと、前途多難だ。

妊婦友達の夏実が、予定日より10週以上早く出産することになって…



初めての赤ちゃんを迎えるにあたって、優と亮介のバースプランに、新たな項目が追加された。

「赤ちゃんの性別は聞かない」

お腹の赤ちゃんは、逆子が治ってからも結局”隠し続けて”いる。その様子を玉木医師とエコーで見ながら、「もしかしてサプライズ好きな子?」と、夫婦で笑ったのだ。

「先生、こうなったら生まれるまでのお楽しみにします。ねえ、亮介」

「そうだな。赤ちゃんもきっとサプライズをしたいんだよ。その計画に乗ろう」

玉木医師は笑顔で頷いた。

「それも良いわね。私たちの親のころは、生まれるまでわからないのが当たり前だったし、ワクワクしながら待つのも良いものよ」

そう言いながら、モニターを優の視界から隠した。

「ただね、今のエコーは性能が良いから、知りたくなくても妊婦さんにも見えちゃうのよね。この子だって急にこっち向くかもしれないし。私も気をつけなきゃ!」

玉木医師の慌てた様子に、亮介と優は笑った。

「赤ちゃんの性別を知りたくないというご夫婦って、今は少ないのでしょうか?」

亮介がそう切り出す。たしかにこれまで2人の周りでは、妊娠半ばには性別を教えてもらってあれこれ準備をしている人ばかりだった。「なるべく早く知りたい」、とみんな口を揃えて言っていたし、優もたった今まではそう思っていたのだ。


「性別を知りたくない」意外な理由は?

「意外といるわよ。単純に生まれるまでのお楽しみにしたいってご夫婦もいるし、早めに性別が分かったことで、妊娠中に自分の親にああだこうだ言われるのが煩わしいから…なんて人もいるわね」

優と亮介は思わず目を合わせた。思い浮かぶのは当然、優の母親・悦子の顔だ。

その後、診察室に戻った3人の話題は、夏実の出産についてだった。

「玉木先生、私。夏実さんと赤ちゃんの所に、お見舞いに行って来たんです」

そう言うだけで声が詰まり、涙が出そうになる。優は、夏実と早産で超未熟児の赤ちゃんが入院している病院へお見舞いに行った、つい先日のことを思い出していた。

大学病院のNICU(新生児集中治療室)にいる赤ちゃんに、親族以外の優が面会することはできない。ただ、未だ入院中の夏実を見舞い、スマホに収められた動画や写真をたくさん見せてもらった。写真の中では、手のひらに乗りそうなほど小さな小さな赤ちゃんが、たくさんの管に繋がれながらひたむきに生きていた。

そして夏実は、術後で体が辛いのにもかかわらず懸命に搾乳をし、赤ちゃんの無事を強い気持ちで祈る、強く美しい母親だった。

夏実の話をすると、玉木医師の表情がガラリと変わる。

「母子ともに無事で本当に良かったわね…」

「玉木先生の機転ですぐに救急車で搬送してくれたから、赤ちゃんも夏実さんも助かったって…」

夏実に聞いた話では、お腹の酷い張りと痛みが続き、さすがに様子がおかしいと思い、急患で玉木医師のもとを訪れたのだと言う。

急遽診察に入った玉木医師は、診察するなり顔を真っ青にして、提携している大学病院にすぐさま電話をした。受け入れ態勢を整えてもらい、そのまま救急車で搬送。そして、その日のうちに緊急帝王切開での出産となったのだ。

夏実が早産に至った原因は、常位胎盤早期剥離だ。本来出産後にお腹から剥がれるはずの胎盤が、出産前に剥がれてしまう症状。そのせいで胎児に酸素が送られなくなり、赤ちゃんが障害を持ってしまう可能性もある。それどころか、場合によっては命の危険にさらされることすら考えられる状態だ。

また、出血が止まらなくなるので、母体の命までもがおびやかされることも珍しく無い。起きる確率は妊婦全体のうちわずか1%と言われているが、前触れなく起きることが多いのだ。



「胎盤早期剥離を起こしたら、緊急帝王切開ですぐに出産になるんですね。夏実さんのお腹にいた赤ちゃん、30週にも満たなかったから心配だったけど、NICUに入るのが間に合ってよかった…。玉木先生の所にすぐに来たのが正解でしたね」

優がそう言うと、玉木医師は真剣な表情をこちらに向ける。

「市川さんも、ひどい張りや痛み、出血とか、何か異変を感じたらすぐに連絡してね。大げさかもしれないって躊躇する方も多いけど、空振りなら空振りでいいじゃない。赤ちゃんとお母さんのために、早期発見がなにより大事よ」

優と亮介は、その言葉を聞いて大きく頷いた。


夏実のことを思いながら、2人は語り合い…

帰りの車内で2人は、夏実や赤ちゃんのこと、玉木医師に言われたことについて、真剣に話し合った。

夏実が生んだ子供は1,000gに満たず、まだ呼吸も安定していない。たくさんのチューブに繋がれた姿は確かに痛々しくもあったが、それでも写真や動画を通して伝わってくるのは、たくましさや生命力だった。

「そういえば、夏実さんの赤ちゃんって性別はどっちなんだっけ」

「女の子よ。名前は、歩くに実るで、歩実ちゃん」

「お母さんの一文字をもらったんだな。すごく良い名前だね。すくすく大きくなりそうだ」

−一歩ずつ前に進み、実りの多い人生になりますように。

小さく生まれた我が子への、夏実の思いが、強く伝わる。

「うちも、そろそろ名前を考えないとな」

「男の子用と女の子用、どっちも考えないといけないね」



「俺は、優みたいな中性的な名前も良いなって思うよ」

「そう?デザイナーとしては悪くないけど、子供の頃は嫌だったな。”優くん”って呼ばれることもあって、男の子と間違えられるの」

「なるほどな。俺は、名前に“りょう”が付く友達が周りに多すぎて参ってた。今でも外で“りょうくーん”って呼ばれてる子供と遭遇すると、思わず反射的に振り向いちゃうもんな」

あまりにも個性的な名前も敬遠したいし、シンプルな名前でも亮介のような悩みもある。親から子供への最初のプレゼントだ。夫婦でよく話し合い、じっくり考えなくてはいけない。

「2人で候補を挙げて、あとは赤ちゃんの顔を見て決めようね」と、命名についての話は落ち着いた。

その時、LINEの通知が鳴った。スマホを見ると、ちょうど夏実からのメッセージだ。

『優ちゃん。私だけ一足先に退院できることになりました。これからは、搾乳した母乳を届けに毎日病院に通います。歩実に負けないくらい、私も頑張らなきゃね!優ちゃんも、くれぐれもお体大切に。赤ちゃんからのサインを見逃さないでね』

―赤ちゃんからのサインか…。

少しでも胎動を感じないと不安になる。胎動が激しすぎてもへその緒が首に巻きつかないか心配になる。血圧や体重を計るたびに妊娠中毒症にならないか恐ろしくなる…。

優にとって、はじめての妊娠は不安と喜びが半々だ。

―こんなにいちいち不安に思ってたら、赤ちゃんからの本当のサインを見逃しちゃうよね。

そんな、必要でないことまで考えすぎてしまうタイプの優にとって、仕事に没頭できる時間はありがたかった。


産休前の大仕事は意外な展開に…

いよいよ産休も近づいてきたが、デザイナー仲間の沙樹がオファーしてくれた仕事は、大成功を納めた。

テキスタイルブランド”Yu Ichikawa”のセカンドライン、“Mini me by Yu Ichiwawa”は、業界で話題を呼び、正式にブランドとして設立することになったのだ。

本家ブランドがクールでモダンな印象の一方、子供部屋や子供服をイメージしたMini meはポップでガーリーだ。お腹に命を宿しているからこそ生まれた感性を、優はしっかりデザイン化していた。お腹の子のおかげで生まれたセカンドラインと言っても過言ではない。

トントン拍子でアパレルメーカーとのコラボも決まり、雑誌に掲載するための撮影をする流れとなった。

今回誌面に起用されるのは、現在妊娠中の人気モデル・紺野リラだ。彼女のSNSはマタニティーライフを謳歌した投稿で埋め尽くされており、そのおしゃれで幸せいっぱいな写真は大人気なのだ。



リラはMini meのデザインもずいぶん気に入ったようで、撮影に立ち会った優に対してとても好意的だった。

「どのデザインも本当にすごくかわいい。赤ちゃんが生まれたらたくさん使わせてもらいますね」

センス抜群のモデルであり、同じ妊婦でもあるリラからそう評価されると、やはり優も嬉しい。撮影の合間にリラは優の大きなお腹に気づき、妊婦トークを持ちかけてきた。

「市川さんのお腹の子、性別はどっちなんですか?」

「聞いていないんです。生まれるまでの楽しみにしようと思って」

そう言うと、リラは驚きつつ、こんなことを言った。

「そうなんだー!私も聞かなければよかった。がっかりしちゃって」

「え?」

驚いた優は、あえて性別は聞かないことにした。どちらと言われても、優にとって不快な答えなのは間違いない。

慌てて話を変えようと、違う話題を振る。

「リラさんだったら出産後も、ママモデルとして大活躍でしょうね」

「すぐに現場復帰するつもりです。ママモデルって言っても枠が限られているから、悠長にしてられない。すぐに産後ダイエット開始ですよ」

「あまり無理しないでくださいね」

「母乳だとすぐに体重落ちるよって周りから言われるんですけど、私、一切母乳あげるつもりないんですよね。だって、胸が垂れるし、しぼむじゃないですか。モデルとしてやっていくのにきついんで、母乳止める薬もらえれば良いんですけど」

「……」

優は思わず口をつぐむ。それ以上リラと話しを続ける気にならなかったので、ポケットの中で電話が鳴ったふりをしてその場を離れた。

一瞬怒りや悲しみのような感情が込み上げたが、一呼吸して冷静になってみると、リラのような考え方もあるのだろう、と思うことができた。

ただ、同意できないだけだ。
優は、不妊治療、切迫流産を乗り越えて授かった赤ちゃんを守るために、何もかも捧げるような心持ちだった。しかし、リラのような妊娠、出産、子育てのプランも、身近ではないとはいえ、何通りもあるスタイルのひとつなのだ。

自分の考えが決して当たり前ではないということを、リラとの会話を通じて実感する。

―リラさんの話、聞けてよかったかも…。

そう思いつつも優は、やはり広告塔となるモデルに共感ができないことに、胸がつかえるのだった。

▶前回:「妊娠中の旅行は不安」落ち込む妻に、夫が提案したサプライズとは

▶NEXT:7月6日 月曜更新予定
いよいよ妊娠後期に突入した優に異変が…