「僕は、彼女のことを何も知らなかった…」

プロポーズした直後、忽然と姿を消した彼女。捜索の手掛かりは、本人のものだと思われるインスタグラムのアカウントだけ。

―彼女が見せていたのは、偽りの姿だった?

インスタグラムに残されていた、慎ましやかな彼女の姿からは想像もできない世界とは…。

◆これまでのあらすじ

2019年4月。プロポーズの数日後、前触れもなく消えた敏郎の恋人・明子。手掛かりは、彼女のものと思われるインスタグラムだけ。

そんな中、彼女のインスタに投稿がある。投稿時間は数分前。敏郎はなりふり構わず、その店に向かうのだった。



「すごい店だな…」

「@emodaw_sihrtoa」のストーリーにあった位置情報をもとに、敏郎は神楽坂の路地にある和食店『神楽坂 石かわ』へとたどり着いた。

無理矢理ついてきた香澄によると、神楽坂では言わずと知れた名店だそうだ。

―このドアの向こうには、明子がいるかもしれない。

敏郎は趣ある店構えに怖気づきながらも、意を決して店の扉を開けた。



「どうだった?」

店の前で待っていた香澄は、すぐ出てきた彼にその答えを察しつつも、儀礼的に尋ねた。

「軽く店内を見させてもらったけど…。いなかった」

「ま、投稿したときにその場にいるとは限らないからね」

「でも、いい店だったな…」

「だよね。私も仕事で行ったことあるけど、洗練された雰囲気でご飯も美味しかった。こんな素敵なお店、誰と行ったんだろうね」

香澄の言葉に何も言えなかったが、敏郎もまた同じことを思っていた。明子の同僚からの証言で判明した“嘘”が、いまだに敏郎の中でくすぶり続けていたからだ。

店を出てからあてもなく歩き、小道から神楽坂通りに出たところで、香澄は敏郎の腕を掴む。

「どこ行くの?ご飯行こうよ。せっかく神楽坂に来たんだし」


「話があるの」香澄は敏郎を誘った理由を告げようとするが…

何事もなかったように食事に誘う香澄の腕を、敏郎は思わず振り払った。

「そんな気分じゃない」

「愚痴ならつき合うよ。私、今日敏郎さんに話があって呼び出したの」

「…また今度にして」

目を合わせない敏郎に、香澄もすぐ諦めることにした。

「そ。じゃあ、また今度」

そう言うと香澄は敏郎に背を向けて、街の中へと消えていく。あまりにも簡単に引き下がった彼女に多少の寂しさを感じながらも、敏郎もまた、まっすぐ駅の方面へ吸い込まれて行った。



久しぶりに乗車した東西線には、仕事帰りの会社員や学生の姿がちらほらあった。

車内の乗客をぼんやり眺めながらも、敏郎の頭の中には『神楽坂 石かわ』の店内と、そこで食事を楽しんでいた客の残像がある。

彼らのすべてが上品な身なりであり、世間的な立場も自分と同等か、それ以上の層であることを思わせた。

敏郎は、明子が店にいなかったということより、彼女がその店を訪れている客のひとりであるという事実がショックだったのだ。

しかも、恐らく自分の知らない誰かと一緒に出掛けている。

―ほかに男ができていたのだろうか…。インスタの華やかな生活は、その男に影響されたのだろうか。

最悪の仮説が浮かんだところで、スマホが揺れる。

香澄からのメッセージだった。

暗い顔で帰った敏郎への気遣いの言葉と、現在、神楽坂の小料理店に入ってひとりで呑んでいるという報告がそこにあった。

「寂しいヤツ…」

思わず、小さな声でつぶやく。敏郎自身も人のことは言えないが。

そしてふと、香澄が別れ際に発していた言葉を思い出した。

「私、今日敏郎さんに話があって呼び出したの」

敏郎が多忙なことなど彼女はわかっているはずなのに、突然その日に呼び出してくるなんて、よっぽどの話なのではないか。

再会して間もないのにグイグイ距離感を詰めてきている香澄の様子からして、敏郎はある予感をふと抱く。

―“面倒くさいこと”になったら嫌だなあ…。せっかく、気楽な友人になれたと思ったのに。

まいったなと頭をかきながら、敏郎は暗い部屋に帰宅した。



数日後、敏郎はとあるwebのニュース媒体から取材に呼ばれた。

少し前にプレスリリースが出された、ハリウッドと日本のテレビ局が共同出資するオムニバス映画の件で、インタビューをするらしい。

「名前は知らない媒体だけど、いい目の付け所だよな」

広報部からの取材対応依頼メールを見ながら、敏郎は感心する。敏郎も製作陣のひとりとして、この企画に参加する予定なのだ。

ちなみにハリウッド側の製作陣には、尊敬する映像作家・アンドリュー=ロペスも名を連ねており、敏郎が今いちばん意気込んでいる企画と言っても過言ではない。

「よろしくお願いします。今回の取材を担当させていただくものです」

「制作局の村西です。今回の企画では演出を担当する予定ですが…」

取材場所の応接室に入り、名刺を交換しながら自己紹介していると、敏郎はライターの名前に目が留まった。


取材に来たライターの女性。よく見るとその女は…

「どうしたんだよ。こんなところで」

…その女性は、香澄だった。

いつもの個性的なファッションではなく、初めて会った時のような妙にかしこまった雰囲気に、一目ではわからなかったのだ。

「どうしたって…。仕事だけど」

「来るなら教えてくれればいいのに」

「あなたこの前、それどころじゃなさそうだったから。せっかく取材前に下調べしておこうと思ったのに」

敏郎は、あの時の“話”というのが、今日のことだったと合点した。それと同時に、変な勘違いをしていたことに気付き、恥ずかしくなる。



「では、時間もありますので、早速お話を伺わせていただいてもよろしいでしょうか」

「どうぞ。何でも聞いてください」

スイッチが切り替わったように、香澄の口調が変わり、取材が始まった。

―らしくないなあ。

仕事だとは分かっていても、彼女の丁寧な口調に、敏郎は違和感を覚えた。一方で、聞いてほしいことを突くような質問を次々投げる、インタビュアーとしての香澄に好感を持つ自分もいた。

普段の毒舌は影を潜め、敏郎が話し始めると前のめりでリアクションを取り、満足するまで聞き役に徹している香澄。

気付けば敏郎も、時間を忘れてこの企画に対する熱意や今後の夢などを熱弁していた。

予定時間を1時間以上もオーバーするほどに。

「すみません。お忙しいのにこんな時間を頂いてしまって」

取材後、丁寧に頭を下げて去って行った香澄の姿がむずがゆい。

―勝手にしゃべっていたのは僕の方なのに。

見送った後、デスクで敏郎はメッセージを送った。

『今日はびっくりしたよ。いつもと違う雰囲気だったネ。口調も敬語だったし。いつもそうしていれば可愛いのに(笑)』

いつもの仕返しとばかりに、辛辣な皮肉を送ってみる。

すると、すぐ返信があった。

『こっちもびっくりしたよ。いつもダルそうにしてるところしか見てないから。取材だからってカッコつけてたよね?』

相変わらずの香澄だったことに、敏郎はなぜだか安心する。

―しかしながら、いつもダルそうって…。カッコつけてるわけじゃなくて、それが素の自分なんだって。

確かに、香澄の前ではいつも気を抜いていた。だが「仕事の一面もプライベートの一面も180度違うけれど、どれも自分自身なのだ」と、敏郎は心の中で反論する。

―どれも自分…。もしかして、明子もそうだったのだろうか。僕に見せる姿以外の、本当の自分があったのか。

しかし、敏郎はどうしてもそう思えなかった。

…思いたくなかった。

真実を知るには、やはりインスタから直接確認するしか方法はないのかもしれない。しかし敏郎から行動を起こす気には、今はなれなかった。それが“逃げ”だと、自分でも理解している。

―連絡が来れば、すぐにでも返事してやるさ。

すると敏郎のスマホが、突然震えた。画面を見ると、知らない番号からだ。あまりのタイミングの良さに、敏郎はなにか運命的なものを感じる。

「もしもし」

電話に出ると、聞き覚えのある懐かしい女性の声が彼の名前を呼ぶのだった。

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突然の電話の主とは?懐かしい声に敏郎も思わず…。