あなたの暮らしに彩りをあたえてくれるものって何ですか?

日常を豊かにし、気分を上げてくれるモノ。

これはそんな“モノ”を見つけた主人公たちのオムニバスストーリー。

前回は、ジョンロブの靴を購入し自分に自信がついた男を紹介した。今回は彼の友人、椿が見つけた「モノ」に触れてみよう。



―はぁ。またやってしまった…。

土曜日の朝。

気怠い身体を起こすと、雄大(ゆうだい)が隣でスヤスヤと寝息を立てていた。ブランケットからチラリと覗く小麦色の肌は、悔しいけど綺麗だ。

床に脱ぎ散らかしたままの下着を身につけ、雄大の分は綺麗に畳む。

彼を起こさないように気遣って身支度をし、朝ご飯まで作ってあげる自分は何てお人好しなのだろうか。

「30にもなって、何やってんの。そんな男早く切って次行きなよ」

「ホント。その男、椿のこと完全にナメてるよ。悔しくないの?」

友達からは呆れ顔で諭される。

―そんなこと分かってる…でも…。

これ以上彼を問い詰めて、捨てられるのが怖いと思うほど、椿の中で雄大が大きな存在になっていた。

「椿、好きだよ」

逞しい腕に抱かれ甘い言葉を囁かれると『今日こそ別れよう』と決心していた気持ちが、どこかに消えて無くなってしまう。

―あんなこと言われたのに、まだ好きなんて私もどうかしてるよね。

1ヵ月前に彼から受けた仕打ちを思い出すと、どうしようもなく虚しくなる。


付き合っていると思っていた雄大から、1ヵ月前に言われたとんでもないこととは?

商社マンの雄大との出会いは半年前。

勤め先であるPR会社の同僚と訪れた六本木のバーで声をかけられたのがキッカケだった。

背が高くて端正な顔立ちは椿の好みそのもの。スマートな振る舞いと、積極的なアプローチ。一瞬で恋に落ちた。

連絡先を交換し、すぐにデートに誘われた。

西麻布のイタリアン。

「もっと一緒にいたい」「椿は、本当に俺のタイプ」など歯の浮くような言葉を沢山言ってくれた雄大。

その後乃木坂にある彼のマンションに招かれ、一夜を共にした。

今思えば典型的な遊び人の行動そのもの。しかし、当時の自分は愚かにも「イケメンの恋人が出来た」と舞い上がっていた。

「好きだよ」「可愛い」といつも言ってくれる雄大。「付き合おう」の言葉こそ無かったが、彼の態度から自分は彼女になれたと信じていた。

他の女の影に気がついたのは、関係をもって5ヵ月ほど経ったとき。

自分の馬鹿さがとても悔しい。

怪しい兆候はいくつもあったのに…。

家に行くようになって数ヵ月も経つのに合鍵をくれないこと、私物を置くのを嫌がること、誘いのLINEは当日にならないと来ないこと、など。

全て自分の良いように解釈して、都合が悪いことからは無意識のうちに目を背けていたのだ。



ー1ヵ月前ー

「今晩来ない?」と金曜日の夕方にLINEがきた。仕事終わりに雄大の家を訪ね、泊まった翌朝。

朝食を済ませた後、シャワーを浴びると言って浴室に消えていった雄大。

掃除でもするか、と廊下の収納から掃除機を取り出そうと扉を開けた時。真新しいジミーチュウの紙袋に気がついた。

―ん?何これ。もしかして、来週私の誕生日だから?

自分へのプレゼントだと期待して思わず添えられていたメッセージカードをこっそり開いた。

『優香、Happy birthday』

え、優香って…誰?その場で固まってしまった。

「椿、何してるの?」

シャワーを浴び終えた雄大の呑気な声が背後から聞こえてきて、ハッとする。

「…雄大、これどういうこと?優香って書いてあるけど」

彼からの回答は予想の斜め上を行っていた。

「あれ、言ってなかったっけ?俺彼女いるよ。優香は、彼女の名前」

ショックのあまり、その場で固まってしまった。雄大が、慌てるでもなく、あっさり事実を認めたから。

「…じゃあ、私は…?」

泣きそうになるのを堪えやっと問いかけた椿に、ニッコリ笑って彼はこう言った。


他に女がいることを指摘された雄大が椿に放った驚きのセリフとは?

「椿のことは勿論好きだよ。可愛いし、良い子だし。でも彼女になってとは一言も言ってないよね?」

人は絶望すると何も言えなくなるのかもしれない。黙ってしまったのを「理解した」と受け取ったのか、雄大は優しく抱きしめてきた。

「俺は椿のコト好きだし、これからも一緒に居たいと思ってるよ」

彼から漂う爽やかなシトラスの香り。あの時、回された手を振り解けなかったのは、椿自身。

そこから今まで別れる訳でもなく、ズルズルと関係が続いている…。



「ちょっと、いつの間にそんな状況になってたの?雄大くん、酷すぎじゃない?」

日曜の昼下がり。大学時代の友人・奈美との銀座ランチ。

忌々しい先月の出来事と、今の状況を説明すると、奈美はまるで自分の事のように一緒に怒ってくれた。

彼女は既に結婚しているが、他の友人達と違ってどんなしょうもない恋愛話をしても、椿を決して否定しない。

けれど次の一言に「ハッ」とさせられることになる。

「…まぁ、好きになってしまったんだから仕方ないよね。周りは他人だから好き勝手言えるけど、最終的には自分の恋愛だし」

「…うん」

「椿次第じゃない?突き放すように聞こえるかもだけど。もっと嫌な目にもたくさんあうよ。辛い思いを続けてまで、その男と一緒にいたいか、その価値があるかどうかでしょ」

普段椿を諭すようなことは言わない奈美の言葉だからこそ、身に染みた。

「…奈美、ありがとう。頭では分かってるんだけどね…」

彼女と別れ、ショーウィンドウが並ぶ煌びやかな銀座の街を歩く。散歩していると重く沈んでいた気持ちが、少し紛れてくるのを感じた。

―あ、カルティエ。

先月男友達の潤に、婚約指輪として勧めたブランド。

1人でカルティエのブティックに入ったことなんて無かったが吸い込まれるように入ってしまった。

大きなシャンデリアが印象的な明るく開放感な空間に足を踏み入れた瞬間、すっと背筋が伸びる。

「…わあ、素敵」

2階に案内され、ガラスケースの中に飾られたカルティエの時計を見て、思わず声を上げた。

「着けてみますか?」

その中でも特に目についたタンクを勧められるがままにつけてみた。

『カルティエが似合う大人の女性になりたい』ずっとそう思っていたが、この時計を身につけたらなりたい自分になれるような気がした。

「シンプルで品のあるデザインなので、マイウォッチとして長く使っていただけると思います。実は私も同じもの持っていますが、かれこれ10年以上愛用してますよ」

ーずっと、誰かにプレゼントしてもらうのが夢だったけど。別に自分で買っても良いよね。

買うつもりじゃなかったのに、全てのタイミングが揃ってしまったとでもいうのだろうか。

気がつけば、そのまま腕に時計をつけたまま店員さんに笑顔で見送られ、店の外に出ていた。

―わぁ、ついに買っちゃったよ。

完全な衝動買いだったが、手に入れた満足感と高揚感で胸が高鳴る。

前よりも華やかになった手元を見ると、不思議と勇気が湧いてきた。

―ケリをつけるなら、今だ。

「奈美、さっきはありがとう。気が変わらないうちに、ちゃんと別れてくる」そうLINEを送り、深呼吸をする。

タクシーを呼び止め、後部座席に乗り込むと、素早く行き先を告げたのだった。

別れるだけならLINEを送るだけでも良かったが、未練なく終わらせる為にも直接会って別れを告げたいと思ったのだ。



「ちょ…椿。急にどうしたんだよ」

部屋の電気は付いているのに、インターホンを押しても誰も出てこない。不振に思い、何度かコールすると、慌てた様子の雄大がアタフタと出てきた。

追い返すような彼の態度を見て、一瞬で今置かれている状況を察する。

家に予告せず訪問したのは初めてだった。前の自分なら踵を返して逃げ去っていたかもしれないが、今日は違う。

「これを最後に、もう会わないって伝えに来たの」そう言った瞬間、雄大の背後から怒りを露にした女性の声が聞こえてきた。

「は?ちょっと雄大。どういうこと?」

雄大の後ろに立つ、キャミソールにショートパンツ姿の小柄な女。年齢は20代半ば位だろうか。

「ち、違うんだ、菜々子。これは」

「…え、菜々子?優香じゃなくて?」

思わずそう尋ねると、「しまった」と口を噤む雄大。

あまりの状況に笑ってしまった。セカンドだと思っていたが、自分はそれ以下のポジションだったのかもしれない。

慌てふためく情けない姿を見ていると、急に冷静に彼を見れるようになった。

ー一体何故こんな男に執着していたのだろうか。

「じゃ、バイバイ…」

そう言い残して彼のマンションを後にした。



―終わった…。

八丁堀にある自宅マンションの玄関にたどり着くなり、腰が抜けたようにその場に座りこんでしまった。

意図せず、涙が勝手に溢れてくる。

緊張の糸が切れた涙なのか、失恋の涙なのか、悔し涙なのか分からない。

でも、もうこの恋愛に未練はない。もう懲り懲りだ。

手元を彩る、カルティエの時計が目に入る。

―次は自分を誇れるような恋をするんだ。

立ち上がった椿の瞳には、前よりもずっと強く輝かしい光が宿っていた…。


【椿が購入したカルティエの時計】
カルティエ タンク ソロ ウォッチ


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椿の女友達、奈美。彼女が抱える夫婦の問題とは?