「好きになった相手は、高嶺の花だった」。

もしもあなたが、手の届かないような存在の相手を好きになってしまったら、どうしますか?

石崎健人(27)が恋に落ちたのも、自分には釣り合わないと諦めていたような“高嶺の花”。

それまで身の丈にあった、分相応な人生を送ってきたはずの男が、憧れの女性を手に入れ、結婚まで漕ぎ着けた方法とは…?

◆これまでのあらすじ

それは2年前、健人が25歳の頃のこと。花奈と付き合い始めたものの、彼女を狙う人事部のエリート・狭間が出現する。それでも健人はめげずに…?



子どものころから、花奈は家では孤独だった。

「今日はこれを温めて食べてね。ママ、出かけてくるから」

普通の家庭にあるような、家族団らんを楽しみながら食卓を囲むといった思い出は一切ない。

花奈にとって食事とは、袋から出したものを電子レンジで温め、それを広いリビングで1人虚しく食べるものだった。

「また、ひとりぼっちで食べるの…?」

「…あんまりワガママ言わないでちょうだい」

「はい」

黙って頷くことしか出来ない。少しでも反抗する態度を見せれば、母親はヒステリーを起こすのだ。

「パパには内緒って言ったわよね?どうしてママの言うことを聞けないの?」

父親に告げ口して怒り散らされた記憶は、今でも鮮明に残っている。

そのとき、子供心に悟ったのだ。食事のことでワガママを言うと母親が不機嫌になるので、あまり口に出すべきではないということを。

そんな過去もあって、花奈には食事に関する良い思い出がほとんどない。そのせいか、今でも食べることにさほど興味がなく、サプリやドリンクで栄養を取って済ませることもある。

パーティーや飲み会でも、料理には目を向けずに話し続けていることも多い。“食べることに夢中になる”なんてことは、これまでなかった。

「お弁当、作っていくから」

今日はこれから健人と出かけるが、彼がこう提案してくれた時、真っ先に浮かんだのは「私、楽しめるかな」という不安だった。


一抹の不安を抱きつつ、デートに臨む花奈。当日、健人は彼女の心をつかむことができるのか…

感動の初体験


『まるで、宝石箱のようです』

昔、花奈がテレビを見ていた時のこと。海の幸が盛られた丼ぶりを前に、こんなことを言っていたタレントがいた。

−そんなはずないじゃない。

花奈は、母親のジュエリーが入っている本物の“宝石箱”の方がよっぽど美しいと、そう思っていた。

しかし今日。そんな考えを持っていたことを恥じたのである。

「今日は欲張りセットです」

健人がそんなことを言いながら差し出した弁当箱には、まさに宝石が詰められていたのだ。

花奈は息を呑んだ。

ケチャップのかかった一口ハンバーグ、タコさんウインナー、甘い卵焼きにアスパラガス。おかか、こんぶ、さけと3種類のおにぎりに加えて、別の容器にはカットフルーツが入っている。

−これって…。

頭の奥底にしまっていた記憶が蘇る。それは、花奈が小学生だった頃の記憶だった。

運動会で両親が来なかった花奈を混ぜてくれた同級生。その家族が囲んでいた重箱に入っていたものばかりだ。

私もああいうお弁当が食べたい、と母親に頼んだら、翌年の運動会で花奈の元に届いたのはケータリングのオードブルだった。

知らない人が運んで来た料理。本来なら数人でシェアする量のオードブルを1人で食べる惨めさ。このことを境に、彼女は運動会が嫌いになった。

もう細々としたことは覚えていないが、そんな出来事が重なって自分は食への興味を失っていったのだ。



「…すごい食べたね。もう少し作ってくればよかったかな」

健人がそう言うまで、花奈は一言も発することなく食べ続けていた。もしかしたら途中で何か会話したような気もするが、覚えていない。

それほどまでに夢中だったのだ。

20年来憧れていたものが目の前に差し出され、あの時の惨めな思い出を塗り替えるような、そんな気分だったのもある。

「…ごめんなさい」

夢中で食べていたので気付いていなかったが、残りの量から類推するに、自分は相当な量を食べているだろう。花奈は、箸を止めて謝罪した。

「え?大丈夫だよ」

そう言いながら、健人は残ったおかずを花奈の取り皿の上にのせた。

「いいの?」

「どうぞ」

恐る恐る聞くと、健人は快諾してくれた。

それ自体はなんでもないやりとりだったはずなのだが、花奈は自分の心の中に柔らかく温かいものがじんわりと広がっていくような感覚を覚える。

「ごちそうさまでした」

花奈がお礼を言うと、軽く片付けをしながら、健人は朗らかに笑った。

「おそまつさまでした。食べ方がすごく綺麗で、感動したよ」

彼の言葉に、脳裏には母の顔が浮かぶ。

食への興味を絶った原因でもある母親だが、それでも“神谷家の娘として恥ずかしくないように”としつけには厳しかった。

こうやって彼に褒められた今、あの時感じた辛さも帳消しに出来るのではないか、そんな気分になったのだ。

花奈の心は、健人の笑顔に一気に惹きつけられた。


花奈の憧れを叶えた健人。そんな彼に花奈がとっさに取ってしまった行動とは…?

残りのふくろ


夜まで一緒に過ごした2人は、横浜駅で別れることにした。別れ際、花奈が微笑みながらこう言った。

「今日はありがとう。最高の食事だったわ」

「あ、そう?」

健人は照れ隠しに笑ったが、心の底から安堵していた。

−よかったぁ〜!

同期から、花奈が食事にあまり興味がないということは聞いていた。詳しいことは知らないが、どうやら家庭環境が複雑で、本人もあまり話したがらないらしい。

その時、ピンときたのだ。

実は今回このチョイスをしたのは、家庭環境が理由で偏食だった大学時代の友人が、恋人の手料理を食べたのをきっかけに、食べ歩きが趣味になるほど変わったことがあったから。

恋人である彼女曰く、“憧れを再現するのがコツ”なのだそう。

普通の家庭で普通に育った健人には特に珍しくもないメニューだったが、その彼が“運動会のお弁当とか憧れる”と言っていたのを思い出し、実践してみたのだった。

それが見事に功を奏した。前日の夜から準備した甲斐があったというものである。

「あ、ねぇ」

改札前で見送る健人に、花奈は何かを思い出したように振り返った。

「昨日は人事部のBBQだったの」

健人はそう言われて、先週、一緒に勉強していた時に龍一が放った言葉をハッと思い出す。

“今度の土曜どう?”

あの時、彼が花奈を誘っていたイベントは、これだったのだ。

そして、花奈はこうも言った。

「でも今日のほうがずっと楽しかった。また誘ってね、お願い」

健人はいつも堂々としている花奈が好きで、それは今も変わらない。しかし、次のデートを本当に心待ちにしている様子の彼女はとても可憐で、思わず直視できずに目を逸らした。

だから、気がつかなかった。彼女の顔がすぐ近くにあることに。

いつの間にかすぐそばに立っていた花奈は、健人の頬に軽く口付けした。

「じゃあね、健人。また明日」

花奈はにこりと笑い、手を振って去っていった。健人は、そんな彼女をなかば呆然としながら見送る。

その頬に感じた体温が夢ではないことに気づいたのは、10分も後、電車に乗ってからのことだった。



帰宅中の電車内。

健人は、油断すれば緩んでしまう頰を必死で真顔に戻そうと、躍起になっていた。しかし、そうすればするほどに車窓に映る自分の顔が滑稽なものに見えてしまう。

その時、となりのグループの会話が耳に飛び込んできた。

「やっぱり“3つの袋”は定番だよな」

その男性3人組は、どうやら結婚式の帰りらしい。

「そんなにウケなかっただろ」

「俺はヤマモトが結婚したのが一番ウケる」

共通の友人の式で聞いた、スピーチの話をしているようだった。あまり盗み聞くのも悪いと思い、健人は意識を自分の頭の中に向けた。

−“3つの袋”か…。

夫婦円満の秘訣とされるそれは、一般的な結婚式のスピーチなどでは「堪忍袋」「給料袋」「お袋」だなんて言われている。

だが、健人のイメージはすこし違っていた。

まず1つ目は、“胃袋”だと思っている。そしてそれは今日手に入れた、と思う。

残る2つのうち1つは、よく言われているとおり、やっぱり“給料袋”だ。今の会社でも十分な収入は得られるが、キャリアアップの機会は多ければ多いほどいい。

—やっぱり、今年こそ…。

花奈との関係が深くなり始めた今だからこそ、心に決めたことがあった。


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花奈との交際を新たなステージに進め、決意を新たにする健人。ところが花奈は、とある人物に健人の秘密を明かされて…?