新しい命をお腹に宿し、赤ちゃんとともに過ごす十月十日。

花冠をつけて、マリア様のようにやわらかく微笑むマタニティーフォトの裏側には、さまざまな物語がある。

たくさんの笑顔と涙に彩られるマタニティーライフ。

あなたに会える、その日まで。

◆これまでのあらすじ

市川優は、独立したばかりのテキスタイルデザイナー。結婚5年目の33歳だ。

不妊治療の末、念願の赤ちゃんを授かるも、切迫流産での入院や、母親の孫フィーバーと、前途多難だ。

「出産まで性別を聞かない」と決めた2人だったが…

▶前回:「お腹の子の性別、知りたくないです」産婦人科で宣言した夫婦の本心



いよいよ臨月。優は今日の出勤を最後に産休に入ることになっていた。

とはいえ、フリーランスのデザイナーの優は、企業勤めのようないわゆる産休や育休というシステムや保証があるわけではない。

周囲のデザイナーを見ると、出産後、保育園の入園前からできる範囲で仕事を再開している人が多い。

―この子は12月生まれだから、4月入園を待つと、1歳4ヶ月か…。もう少し早く仕事は再開したいかな。

とはいえ、0歳4ヶ月で保育園に預けるということも、今の優にはイメージが湧かない。そもそも東京の保活激戦区では、認可保育園に預けられる保証もない。そうなると、認可外保育所やベビーシッターだろうか。

子育てと仕事の両立という全く未知の世界のことを、優は懸命に想像する。

「今は仕事のことより、無事に出産できることを祈ろう」

焦りはあるものの、結局はいつも通りの結論に落ち着く…というのを、ここのところ幾度も繰り返していた。

すっかりお腹も大きくなり、冬の厚着でも一目で妊婦とわかるようになった。

電車内で席を譲ってもらうことも多く、ありがたさを感じる。子育て経験がありそうな女性のほかにも、とくに、若いサラリーマンの男性が気にかけてくれることが多いのは意外な発見だった。もしかすると、小さい子供を持つお父さんなのかもしれない。

聞けば夫の亮介も、最近はマタニティーマークがよく目に入ってくるようになり、車内で席を譲ることが多いと言っていた。

「急に妊婦さんの人口が増えたわけじゃあるまいし、それまで自分があまり意識していなかったってことだな。反省して、今は積極的に席を譲ったり、混んでる電車で妊婦さんが立っていたら、防御壁のつもりになって勝手に守ってるよ」

亮介が、妊婦が潰されないように必死に体を張っていることを想像すると、頼もしくもあり、微笑ましくもあった。


産休前最後にオフィスを訪れた優を待っていたのは…

「亮介もどんどん”パパ”らしくなっていってるってことかなぁ」

駅からオフィスまでの道のりで優は、仕事に向かう途中だというのに思わずニヤニヤしてしまい、慌てて口元を隠した。



表情を引き締めた優がオフィスのドアを開けると、目に飛び込んできたのは予想もしない光景だった。

「え?…すごい…」

優は思わず言葉を失う。

カラフルな風船でオフィス内が飾り付され、中央には大きなダイパーケーキ。かわいらしいテーブルセッティングには、ベビーグッズ型のアイシングクッキーなどのたくさんのおやつ。その横にはプレゼントの山。

アルファベット型の風船の文字は、「BABY SHOWER」と書いてある。

産休に入る優をオフィスで待っていたのは、嬉しいサプライズのベビーシャワーパーティーだったのだ。

目を丸くして仰天している優を、仲間たちが拍手で迎える。

そのデザイナー仲間たちの姿を見て、優は大きなお腹を抱えて大笑いをした。優のブランドMini mi by Yu Ichikawaの布を使ったスタイ…、赤ちゃんのヨダレ掛けをつけているのだ。

「ほら、早く入って入って」と、沙樹に促されて中に入ると、あまりのおしゃれで可愛い装飾にめまいがする。ベビーシャワーは欧米では定番の、安産祈願のパーティーだ。優も、海外ドラマの中でしか見たことがない。

驚きと嬉しさで言葉が出ず、ただオロオロしている優にも、いつの間にかスタイがつけられている。

「みんなありがとう…。びっくりして言葉が出ないよ」

全員が第一線で活躍しているデザイナーなのだ。飾り付けのセンスもクオリティーもあまりにも高く、圧倒される。随所にMini meのアイテムを使ってくれていることにも愛を感じた。



「優、元気な赤ちゃんを産んでね」

と、仲間たちから口々に言われ、うっかり涙をこぼしてしまう。涙もろくなったのも、妊娠してからだ。

「だから、沙樹はずっと赤ちゃんと私の体調を聞いていたのね」

ここ数日、やたらとお腹の子の様子を気にかけてLINEしてくるのを不思議に思っていたのだ。

「だって、優も赤ちゃんも元気じゃないと、こういうサプライズってできないから慎重になるよ。でもよかった、元気そうで。ねえ、ほら、プレゼント開けて」

こんなにも、赤ちゃんの誕生を待ちわびてくれている仲間たちがいる。たくさんの飾り付けと、プレゼントと、仲間の笑顔に囲まれて、優は心の底から幸せを感じていた。

先の見えない不妊治療。切迫流産。そして無神経な母親との諍い。

正直、不安や孤独感を感じたことは一度や二度ではない。

―きっとみんなが手を差し伸べてくれる。安心して、赤ちゃんを産もう。

優は仲間たちの笑顔を見ながら、心からそう思えた。


ベビーシャワーの時間は夢のようにすぎて…

ちなみに、このベビーシャワーをプロデュースしたのは、帰国子女でアメリカ暮らしの長い陽平だ。

「普通は女友達が主催するのが一般的だけど、どうせやるならアメリカと同じくらい本格的にしたいだろ」と、張り切って仕切ってくれたのだ。

ベビーフードを味見して、中身当てゲーム。優と亮介の写真を使って赤ちゃんの顔を予想する、モンタージュゲーム、優のお腹のサイズ当てゲームなど、パーティーは終始大盛り上がりだった。

「皆、ありがとう。準備も大変だったでしょう。こんなに本格的なサプライズパーティーをしてくれるなんて、本当に夢みたい」

優の感謝の言葉に、プロデュースを買って出た陽平が照れ臭そうにする。

「日本だと、出産前のお祝いはタブーっていうか…ほら、出産ってなにがあるかわからないから。避けるだろう?だから迷ったんだよ」と、心のうちを明かしてくれた。

「ううん。私、すごく嬉しいよ。何度も体調を確認して気を使ってくれていたし、私、鈍感でよかった。全然気づかなかったもの」

「妊娠してるせいで頭が働かない、って言わないの?」沙樹が軽口を叩くき、優は笑って否定した。

「私がいつもぼんやりしてるのを、妊娠のせいにしたら赤ちゃんに怒られちゃう」

一同大きく頷いて、大笑いし、幸せな時間は過ぎていった。

「妊婦を無事に家に送り届けるまでがベビーシャワー 」という仲間たちのコンセプトのもと、優は、たくさんのプレゼントと、引き上げる仕事道具を車に積んでもらい、沙樹の運転で自宅まで送ってもらった。



無事に帰宅した優は、プレゼントとおむつケーキと、持ち帰った装飾の風船などを綺麗にリビングに並べ直す。

会社から帰宅した亮介は、優がそうだったのと全く同じように、ベビーシャワーを再現した装飾を目の当たりにし感嘆の声を上げた。

「優は良い友達に恵まれたな。ベビーシャワーなんて言葉、初めて知ったよ。流行ってるのか?」

そう言いながら物珍しそうに、スマホでおむつケーキの撮影をしている。

もともと亮介はどちらかといえばドライで、淡々としている。…というより、「仕事のとき以外は、ぼーっとしている」と周りから笑われるタイプだ。

それが、お腹の赤ちゃんに会える日が近づくにつれ、よく笑いよく喋り、感情が豊かになっているように見えた。

ひとしきり装飾の写真を撮影した亮介は、優に報告をした。


真剣な表情で伝えたこととは?

「無事に育休を取得できることになった。人事と研究室の部長と話し合って、3ヶ月貰えることになったよ。その後もしばらくは、時短やフレックスで流動的な勤務もできる」

「亮介、ありがとう。きちんと取り合ってくれて、会社にも感謝だね」

亮介は同意するように頷くと、言葉を続ける。

「とはいえ、完全に業務から離れると復帰するのにも負担がありそうだからね。育休中も、月2回の定例会議には顔を出させてもらうことにしたよ」

「うん。それもありがたいね。白衣や実験道具とずっと離れ離れも寂しいでしょ」

「やっぱり恋しくなるかな」

亮介はほがらかな笑顔を見せると、決意を語った。



「父親学級で育休中の心得として保健師さんにオススメされたのは、授乳やミルクについてお母さんに口出ししないこと。そんなことより、せっせと哺乳瓶の消毒をして、使ったおむつの処理をする。お風呂掃除やトイレ掃除、家事全般を担うこと。食事の負担もかけないようにすること…だって。どうも、育休中の夫が邪魔って意見って少なくないみたいなんだ。自分がそうなるって想像するだけで、恐怖で震えたよ」

亮介は大げさなくらい真剣に言った。

「亮介、研究熱心だから、子育て論を色々調べたいでしょ。その欲求を抑えるの大変よ、きっと」

「その通り。でも、俺は家事担当だな。赤ちゃんのお世話は、軍曹に従います」

「軍曹ですって?!ま。本当は鬼軍曹って言いたいんでしょ」

「ばれたな」

2人が笑い合うと、お腹の赤ちゃんも足をバタバタさせたようだ。

激しい胎動に、「痛てて」とお腹をさする。

「今日も元気に動いているな」

「うん」

優はそう答えるも、少し様子がおかしいことに気づく。

―あれ。なんかすごく痛い。収縮してるみたいな…。

「ちょっと横になろうかな」

優が、一歩踏み出した瞬間だった。

―え?!

生ぬるい液体が、足を伝い、床に流れた。

―え?私、漏らした?

そう思った瞬間、違うことに気づく。

「亮介。もしかしたら、破水したかも…」

「え?!」

36週。赤ちゃんの産まれる準備が整う<正産期>を目前にしての破水に、優はパニックを起こしそうになりながらも懸命に心を落ち着かせる。

「大丈夫、大丈夫」

何度もそうつぶやく。

自分に、亮介に、そしてお腹の赤ちゃんに、語りかけけるように。


▶前回:「お腹の子の性別、知りたくないです」産婦人科で宣言した夫婦の本心

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予期せず破水してしまった優、いよいよ出産に…?