「僕は、彼女のことを何も知らなかった…」

プロポーズした直後、忽然と姿を消した彼女。捜索の手掛かりは、本人のものだと思われるインスタグラムのアカウントだけ。

―彼女が見せていたのは、偽りの姿だった?

インスタグラムに残されていた、慎ましやかな彼女の姿からは想像もできない世界とは…。

◆これまでのあらすじ

2019年4月。プロポーズの数日後、前触れもなく消えた敏郎の恋人・明子。手掛かりは、彼女のものと思われるインスタグラムだけだが、なかなか消息が掴めない。

そんな中、敏郎のスマホに見知らぬ番号からの着信が。恐る恐る出た敏郎は…。



「トシ君、お父さんの七回忌はいつ来るの?せっかくだからゆっくりしていきなさいよ」

電話の主は、故郷・富山に住んでいる、母の典江だった。敏郎はガッカリしつつも、こうやって母の声を聞くのも久しぶりだなと、どこか懐かしい気分になる。

「ママさ、何なのこの番号」

「ふふ。安いって電気屋さんがいうからスマホにしたの。で、どうなの」

典江も敏郎と久々に話せたからか、声が弾んでいる。しかし、敏郎は振り払うかのように言い放った。

「忙しいし、朝行ってとんぼ返りだよ。時間、連絡するから迎えに来てよ」

冷たい態度だとは分かっている。頑固でプライドの高い歯科医だった父親に、似ている部分もあるのだろう。

それに上京するまでワガママ放題に育ってきた彼にとって、今さら親孝行をしたり優しく接するのは、どこか気恥ずかしさがあるのだ。

専業主婦一筋の典江も、自分に対して好んで世話を焼いているようだし、それに乗じて甘えている部分もある。

すなわち、典江のような母親の背中を見てきたからこそ、明子のような家庭的で尽くしてくれるような女性に敏郎が惹かれるのは当然のことだった。


親戚から襲い掛かる結婚の圧力。独身男の肩身は狭く…

5年ぶりの帰郷と、母の姿


富山駅近くの駐車場に着くと、敏郎を待っていたのは母ではなく、姉・智子だった。

「あんたさ、その年になって、お母さんに迎え頼むってどういうこと?自分でタクシーくらい呼びなさいよ」

軽乗用車の中からぶつくさ文句を言いつつも、結局来てくれるあたりが姉の優しいところだ。

「だって迎えに来てくれるっていうんだもん。断られたらそうしたさ」

敏郎は当然のように智子の車の助手席に乗り込む。車はすぐに寺に向かって発進した。

智子は地元で父と同じ歯科医の男性と結婚し、2人の子供がいる。若干口うるさいところはあるが、それも敏郎をかわいがるゆえのことであり、彼もそれを十分理解していた。

「ママは最近どう?スマホ買ったとか言ってるけど、必要なのかね」

北陸新幹線が開通し、変貌する富山の市街を車窓から眺めながら、敏郎は智子に切り出した。



「ああ、母さんね。最近K-POPにハマったらしくて。仲間と連絡とるのに必要なんだってさ」

「K-POP?なんでまた」

「あの人、昔からアイドルとか好きでしょ。遠征とかコンサートの情報とか、グループ作って仲間とやり取りしてるみたいよ」

彼女がアイドル好きだというのは初耳だ。何かのコンサートに姉と一緒に行くこともあったが、それは単に付き添いだと思っていた。

それを話すと智子は笑って言う。

「むしろ私が付き添いだったの。父さんが亡くなってからそれに拍車がかかっちゃって、毎日忙しそう」

「そうなんだ…」

「あと最近、ハンドメイドでブローチを作ってるんだよ。道の駅に出したらよく売れるみたいで、スマホからネットで売って遠征費稼ぐって張り切っちゃって」

智子の口から聞かされる彼女の充実ぶりは、敏郎にとって嬉しくもあったが、どこか複雑な寂しさをおぼえた。

ふと最近、それと似た感情をおぼえたことを思い出す。

―明子のインスタを見た時だ。

自分の知らないところで、親しい女性が充実した生活を送っていることに対する、モヤモヤ。

それは、自分がそこにいない寂しさからくるものなのか、知らされていなかったことに対する失望なのか、それともまた別の感情なのだろうか。

敏郎は煩悶した。

「トシ君、おかえり!」

寺の駐車場で出迎えてくれた母の満面の笑みは、敏郎が知るその笑顔よりも輝いて見えるのが切なかった。



「トシならテレビ局の人だし、芸能人にモテモテだろ」

法事を終えたあと、近所の料亭で開かれた小さな会食。その席で、敏郎の叔父は豪快に笑った。

「手なんてだせないよ。大事な商品なんだし」

「でも、あわよくばって思ってるだろ。なぁ?」

叔父は親戚の中でも一番下世話で厄介な人間である。彼の絡みから逃げようとするものの、上京後ほとんど帰郷していない敏郎は、物珍しさからどうしても親戚の輪の中心になってしまう。

「芸能人と結婚したら典江さんも大喜びよ。ねぇ?」

さらに厄介な存在である叔母が、典江に言葉を促した。おそらく、結婚を急かす言葉を引き出したいのだろう。


結婚の“圧”から逃げる男に、ショックな出来事が次々降りかかる…

―余計なこと言うなよ、ママ。

実は2年ほど前、典江が縁談の話を持ってきた時に、敏郎は明子について話したことがあった。その際の彼女の喜びようは半端なく、何度か富山に連れてくるよう依頼されていたのだ。

当時は交際1年も経っていない時で、明子にいらぬ期待を抱かせないためにも実現はしなかったが。

敏郎は、典江にその記憶が残っていないよう祈った。そんな無言の圧が伝わっているのか、彼女は静かに笑うだけだ。

―あれ以来明子のことを話さないから、色々察しているのかもしれないな…。

しばらくして、智子の子供たちが話題の中心になったことを見計らい、敏郎は静かに席を立った。

「新幹線の時間があるから」

典江も立ち上がり、心配そうに彼に尋ねた。

「駅まで送る?」

「いいよ。子供じゃないんだし」

敏郎は、逃げるように部屋を出た。

「でも…」

「いいって。じゃあ、また」

だが何か言いたげに典江は敏郎を追いかけてくる。玄関に差し掛かった頃、典江はそっと口を開くのだった。

「あのね、トシ君。こっちには智子もいるし、あなたはゆっくりでいいんだから。むしろ、あなたはひとりの方がうれしいから」

深入りはせずとも、何もかもを悟ったような母の言葉が、敏郎の胸に刺さった。




見覚えのあるワンピース


敏郎が東京駅丸の内口に降り立った頃には、辺りは既に暗くなっていた。

ー法事の料理がまだ腹の中に残っているけど、何か軽く飲みたい気分だ。

敏郎は駅からほど近い建物の1階にある『P.C.M. Pub Cardinal Marunouchi』に入った。



ここも明子のインスタにあった店だ。

敏郎はオーダーしたハイネケンを傾けながら、しばらくぼんやりと店内の様子を眺める。

訪れている客たちは、スーツを着込んだビジネスマンや、エレガントで洗練された雰囲気の女性が多く、まさに都会の社交場。

―さっきまで、立山連峰を望む静かな故郷にいたことが信じられないくらいだ。

訪れている客の中には欧米系の客もチラホラ見受けられる。テラス席にはひときわ目を引く、大柄なアメリカ系の外国人がいた。

アルマーニのスーツを堂々と着こなし、連れの仲間たちと楽しそうに会話をしている。

仲間たちは日本人の男女らしかったが、身振り手振りを交え英語で会話をしているように見えるあたり、この近辺の外資系企業に勤務する同僚同士というところだろうか。

そんなことを考えながら彼らを眺めていると、その中の女性の後ろ姿に、どこか見覚えがあることに気づいた。

彼女の着ているワンピースが、明子のものとそっくりだったのだ。

オレンジ色の、大きく背中のあいたワンピース。

クローゼットの中でしか見たことがなく、見るたびに「いつ着るんだろう」と疑問だったのでよく覚えている。

―もう病気だな。こんな小さなことでも、明子を思い出してしまうなんて。

敏郎はそんな自分にため息をつきながらも、テラス席の女性をもう一度見た。

「明子…?」

不意に向いた横を向いた彼女の輪郭が、間違いなく明子そのものであったのだ。

敏郎は彼女のインスタに掲載されていた店だということを忘れてうろたえた。

―嘘だろ、なんでこんなところに。

いつの間にかハイネケンは空になっている。2杯目を頼むか、敏郎は躊躇するのだった。


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ついに明子と再会する敏郎。明子は彼に気づくのか、それとも…?