あなたの暮らしに彩りをあたえてくれるものって何ですか?

これはそんな“モノ”を見つけた主人公たちのオムニバスストーリー。

前回は、セカンドから脱却し、不毛な恋を終わらせた椿を紹介した。



―まさか、この緑の紙にサインする日が来るなんてね。

品川駅近くの高層マンションの一室。ダイニングテーブルに置かれた離婚届を前に、奈美は自嘲気味に笑う。久しぶりにみる夫の角ばった文字を眺めながら心の中で呟いた。

―別に、賢太なんか居なくたって私は生きていけるし。

ファッション雑誌の編集の仕事をする奈美は、外資系投資銀行勤務の4歳年上の賢太と食事会で出会い交際を始めた。順調にことは進み付き合って1年後にプロポーズされ、今は結婚3年目。

出版社の仕事は忙しい。入稿前は、朝帰りはザラだし土日も無い時が多い。最近こそリモートワークも増えたものの、それでもやる事は山積みだ。

元々料理は苦手だから、昔から食事はもっぱら外食。それに殆ど家にいないから、掃除はルンバや家事代行に任せっきり。

そんな奈美を賢太は、全面的に理解してくれていたはずだった。

「お互い仕事人間だから、奈美は好きなように働けば良いよ。それに、せっかくの休みも家事に追われることはないよ」

そう言ってくれてたのに、”やっぱり炊飯器が家に無いのは変だと思う”とか“たまには手料理が食べたい”なんていい出した時「約束が違う!」と逆上してしまった。

きっかけは、些細なすれ違い。

だが、お互い譲らない性格のせいで、ここ半年、顔を合わせる度に喧嘩をするようになってしまった。

そして極めつけは、あの問題だった…。


夫婦が離婚の危機に陥った、あの問題とは?

「奈美は、本当にずっと子ども要らないって思ってるわけ?」

「賢太だって、子どもは欲しくないって言ってたじゃない」

家事うんぬんによる喧嘩も原因の一つではあるが『子どもが欲しいか欲しくないか』その認識の違いが最終的な引き金になった。

2人とも激務なこの状態で子どもを産んでも、きちんと育てられる自信が無かったし、今は仕事に全力を注ぎたいと思っていたから。

「欲しい欲しいって言うけど、結局子育てのウェイトは女に傾くじゃない。賢太は料理しろ、掃除やれっていつも私に命令ばっかりして自分は何にもしないでしょ。子育てだってどうせ同じになるもん」

「命令ばっかりって、そんな言い方ないだろ。手料理が食べたいって言っただけなのに。それに『どうせ賢太はやらないでしょ』って、いつも奈美はそうだよな。思い込みが激しいし、すぐ人のこと決めつけるし」

話し合おうとしても、会話が噛み合わずに平行線。どんどんギクシャクする夫婦関係。顔を合わせれば嫌味の言い合いになり、最終的には賢太が根を上げたのだ。

「もう俺たち別れた方が良いんじゃないか」と。

結局離婚を切り出されて以来「俺、暫くホテルに泊まるわ」と言って賢太は家に帰って来なくなった。

本当は、他に好きな人でも出来たのかもしれない。けれどそれを責める権利すら無いほど、奈美は仕事を優先し家庭をおざなりにしてきた自覚がある。

30歳の若さで、会社の花形である女性ファッション誌の副編集長まで登り詰めることができたのは、何よりも奈美が仕事を優先させてきた証拠だ。





“奈美、意地張ってないで自分に素直になれよ”

金曜夜。自宅に戻った奈美は、景吾から来たLINEを見て溜息をついた。

つい先程、大学時代からの男友達・景吾を呼び出し、お酒も入った勢いで盛大に愚痴をぶちまけてしまったのだ。

離婚の悩みなんて、女友達には話したくなかったから。

「奈美はまだ未練ありそうじゃん。離婚するにしてもお互い納得してからじゃないと後悔すると思うよ」

景吾の放った言葉に、何も言えなかった。

―普段はチャラチャラしてる癖に、こういう時は図星を突いてくるのよね…。

自分でも意地になっているという自覚はあった。けれど、もう仕方ないのだと言い聞かせていた。

―それに、素直になるって言ったって、今更どうすればいいのよ…。

静かなリビングに、奈美の独り言は虚しく吸い込まれていく。

ぐるぐると考えあぐねては、悶々とした時間を過ごす。

何となく落ち着くことができずに、棚の上に置いてある物を並べ替えたり、意味も無くテーブルの上のリモコンを整列させたりしてしまう。

何となくリビングにある戸棚の引き出しを開けてみたのは、ほんの偶然だった。

黒い布地で包まれた、長方形の物体が目に留まる。

―えっ。何これ?


引き出しに入っていた見慣れないモノ。その正体は一体?

―なんだ、何かと思ったら賢太の一眼レフじゃん。

重みがあるカメラをそっと手に取る。一瞬、電源を付けるのを躊躇したが、「もう最後だし、別に見ても良いだろう」と開き直る。

―うわ…。なにこれ、いつのデータ?懐かしすぎる。

結婚式、新婚旅行、はたまた付き合っているときのツーショット。他にもいつ撮ったのかわからない奈美の後ろ姿や隠し撮りショットまで。カメラにはたくさんの思い出が収められていた。

写真に収められた自分の表情をみて驚いた。



―わたし、なんて幸せそうな顔してるんだろう…。

「奈美の笑った顔、可愛い」カメラを向けるとき、いつも賢太はそう言ってくれた。「やだ、恥ずかしいから撮らないでよ」と言いつつも嬉しかった記憶が蘇る。

気がつくと、涙が頬を伝っていた。

―やっぱり、まだ別れたくない。

LINEを起動し、賢太にメッセージを送りたい衝動にかられた。でも、なんと送ってよいのかわからなかった奈美は一眼レフの画面に写る昔のツーショットを自分の携帯に転送し、その写真を賢太に送った。

しばらくして既読になり、返信がきた。

Kenta:なに?
奈美:話がしたいの。

ぶっきら棒な文章しか打てない自分を呪ったが、仕方あるまい。これで返事がなかったら潔く離婚届けを書こうと思った。

Kenta:了解。

無機質なやりとりの後、明日の午前中に賢太が家に来ることになった。



ーピンポーン

翌日、インターホンを鳴らしてから家に入ってきた賢太。その他人行儀な振る舞いに、一瞬心が挫けそうになる。

気まずい沈黙が2人の間に流れている。

「…あのさ、私が運転するから今からドライブでもしない?」

「え?」

唐突な発言に戸惑った表情を浮かべる賢太。しかし文句は言わず、奈美の後ろをついて来てくれた。

「…奈美の運転、久しぶりだな」

助手席で小さく呟く賢太。

1時間程無言で車を走らせた後、奈美が車を止め降り立ったのは昔よく一緒に行っていた鎌倉だった。

「実はね、賢太のカメラデータを見返して、久しぶりに行きたいと思ったんだ…。ちょっと散歩しない?」

小町通りを抜け、鶴岡八幡宮で参拝をした。

「そっか、もうこんな時期なんだ。鶴岡八幡宮の七夕祭り、昔一緒に行ったね…」

境内に飾られた色とりどりの七夕飾りをみて、賢太が言う。

「ねぇ、賢太はやっぱり子ども欲しい?」

今しかない、そんな気持ちで奈美が切り出した。

「子どもは、苦手なのもあるけど、こんな私に子育てが務まるか自信が無くて後ろ向きだったの。それにあと数年頑張れば、編集長のチャンスが回ってくるかもしれなくて…」

「…そっか」

しばらく間を置いた後、賢太も奈美に釣られるように話し始めた。

「子どもは、俺も要らないと思ってたんだ。奈美の気持ちも分かってたし。でも俺も年取ったのか、やっぱり子どものいる生活も良いなって思うようになったんだよね…。家事に関しては、一方的だったって思ってる。ごめん」

冷静になれば話は出来るのだ。今までは、賢太の一言一言に苛ついて、ちゃんと耳を傾けることが出来ていなかったのだと改めて気付かされた。

「…でもね、子どものこと、仕事がひと段落したら考えたいって言ったら今更?賢太の子どもだったら産みたいなって」

奈美の言葉に、嬉しそうな表情を見せる賢太。

賢太も、奈美も似た者同士だ。意地っ張りで、負けず嫌い、そしてこうと決めたら譲らない性格。

でもプライドや見栄は要らない。夫婦なのだから、お互い意固地になっていても仕方ない。

「ねぇ、由比ヶ浜まで散歩しない?」

そう提案した奈美を見る賢太の眼差しは、かつての優しい彼の姿だった。


【奈美が見つけた賢太の一眼レフカメラ】

CanonのEOS 90D


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奈美の男友達、景吾の恋の悩みと後悔とは?