“思い出”はときに、“ガラクタ”に変わる。

ガラクタに満ちた部屋で、足を取られ、何度も何度もつまずいて、サヨナラを決意する。

捨てて、捨てて、まだ捨てて、ようやく手に入る幸せがある。


合言葉は、ひとつだけ。


「それ、あなたの明日に必要ですか?」



徳重雅矢は、お片づけのプロ。カリスマ整理収納アドバイザーだ。

“お片づけコンシェルジュ”を名乗る雅矢は、新人アシスタントの樋口美桜とともに、まるで魔法のように依頼人の部屋を片づけ、過去との決別を促し、新たな未来へ導いていく。

今回の依頼人は…仁科千恵美(32)ネイルサロンオーナー。

美容整形によって新たな顔と人生を手にした女が、捨てたいと願うものとは…?



代々木上原にあるネイルサロン“アンジェリク”は、女の子のときめきを凝縮したような、愛らしさに満ち溢れた空間だ。

上品なミニチュアのシャンデリアに、白を基調とした家具。天使をモチーフにした小物やアート。ピンクのシャクヤクを挿した花瓶。どれもヨーロッパ製のアンティークのもので、コツコツと集めてきたのだと、千恵美は言った。

「お店の中全部、すごく可愛くて、本当にすてきです。本当に千恵美さんがこだわり抜いて作ったお店なんですね」

美桜は、片手を千恵美に預けたままそう言った。千恵美は器用に筆を動かしながら、視線だけをこちらに向ける。

「他の店舗は、もう少しモードだったりカジュアルだったり、気楽に立ち寄れるサロンをコンセプトにしているんですが…。1号店のここは、私の趣味が全開です。好きなデザインのものしか置いていない。…私のこの、顔と一緒」

そう言って、今回の依頼人の仁科千恵美は、美桜に微笑みかけた。

その表情が、まるで美術品のような美しさをたたえているのは、至極当然といえるかもしれない。

千恵美の美貌はその全てが…大掛かりな美容整形によって手に入れたものなのだという。

「私、子供の頃、お姫様になりたかったんです。でも容姿が悪いせいで、みんなにバカにされて…」

お片づけの依頼を翌日に控え、ヒアリングをかねてうけることになったネイルトリートメント。苦しそうに視線を落としたまま筆を止めた千恵美を見て、美桜は思い切って踏み込むことにした。

「あの…千恵美さんが捨てたいと考えているものって、もしかして…」

美桜の問いかけに、千恵美はおずおずと視線を合わせる。

そして、悲痛な決意の滲んだ瞳を向けて、コクリと首を縦に振ったのだった。


千恵美が決心したきっかけは?

「捨てたいものは、”整形前の過去”…ですか」

千恵美から過去を聞いたその翌日。

千恵美の自宅マンションへと向かう車の中で、雅矢は噛みしめるように呟いた。

美桜は、上品なフレンチネイルを施された爪をうっとりと見つめながら「はい。ずいぶんと、思いつめている様子でした」と答える。

そんな美桜に一瞥さえくれずに、雅矢は問いかける。

「…ご依頼人のお店はどうでしたか?」

「すごくすてきなお店でした。きれいでセンスも抜群で…とても千恵美さんの家が散らかっているとは思えないです」

そう興奮気味に美桜が言うと、心底うんざりしたように雅矢はため息をついた。

「お片づけを依頼=汚部屋暮らし、だと思ってるなら大間違いですよ」

「…家が片付いているのに整理収納アドバイザーを呼ぶ人なんているんですか?」

目的に着き、ゆっくりと車を止めた雅矢は、じろりと美桜の顔を見る。

「美桜さんは、僕のレッスンを通して一体何を学んだんですか?」

その迫力に気圧された美桜は、黙り込みうつむく。

美桜が雅矢に弟子入りを志願したあの日から1ヶ月。

「収納アドバイザーと依頼人」から「師匠と弟子」という関係性になった途端、雅矢の態度は驚くほど厳しく豹変したのだった。今ではすっかり、ドSな雅矢にこき使われてしまっている。

―依頼人の前じゃめちゃくちゃ優しいのに、これじゃ詐欺だよ。迫力すごすぎ…。

そんな事を思いながらふてくされる美桜だったが、心は裏腹に高揚している。

―僕は、厳しいですよ。覚悟してください。

弟子入りの時にそう言い放った、雅矢の鋭い視線とセクシーな微笑み。その瞬間を思い出すだけで、美桜の胸の奥はぎゅっと締め付けられるのだった。



招き入れられた千恵美の部屋は、雅矢の予想した通りとても綺麗に片付いていた。リビングやダイニングの居住スペースに手を入れる必要はなさそうだ。

しかし、行き届いた部屋の中で千恵美は憂鬱そうにうつむく。

「…どうしても開けられない部屋があって。そこに、私の過去が全て詰まっているんです。そこを片付けたいんです」

千恵美の言葉を聞き、雅矢は問いかけた。

「わかりました。よろしければその部屋を片付けたいと思ったきっかけを教えていただけませんか?」

千恵美は少し顔を赤らめて、ためらいがちに続ける。

「実は…近々結婚するんです。新居の購入を機に引っ越すので…」

ここまで言うと、千恵美は再び視線を落とした。

「そこが開かずの部屋になってしまった理由は、美容整形する以前の私の過去全てが詰まっているからです。子供の頃からの写真や、美容クリニックの資料、手術の経緯とか…。

私、過去の人間関係は全部切り捨てたんです。だから今、周囲に昔の私を知っている人はいません。全部捨ててしまえば良いのですけど、負の感情を全部閉じ込めた部屋なんです。1人じゃ、ドアを開けることすら怖くて…」

千恵美は「きちんと過去と向き合って、受け入れてから物を捨てなければ…。新しい人生なんて、始められないですよね」と、消え入るような声で言った。

すると雅矢は、きっぱり言い切ったのだ。

「そんなことありません」


雅矢の言葉の真意は?

驚く千恵美に向かって、雅矢は続けた。

「写真や物は“過去そのもの”ではありません。物は物ですよ。ありがとうと感謝しながら処分した方が良いこともありますが、僕は、目をつぶったままゴミ袋に投げ捨てるのも、悪いことではないと思っています。ただし…」

不安そうに戸惑っている千恵美に向かい、雅矢は柔らかな微笑みを見せた。

「あなたがずっと抱えている、その気持ち。自分を責める気持ちは、あなたの明日に必要ですか?」

千恵美はハッとしたように顔を上げると、雅矢の顔をじっと見つめた。

「千恵美さん。あなたは美容整形し、過去と決別した。人生で一番の決心はとっくに終わっています。もうそれ以上、自分を追い詰める必要はありませんよ。あとはただ、物を捨てるだけ。それは“過去”ではなく“部屋を占領するガラクタ”ですから、処分は簡単なことですよ」

千恵美は、ようやくほっとしたような笑顔を見せると、本音を吐露した。

「美容整形する前の過去を開かずの部屋に押し込んだのは、どこかに罪悪感があったんです。でも、結婚することになったから、どうしてもそのモヤモヤから解放されたくて」

「結婚するためのお片づけなんて、幸せなだけですよ。羨ましいくらいです。ね。美桜さん」

突然話を振られた美桜は、勢いよく「はい!私は逆に結婚しそびれたのが理由でお片づけしたので、めちゃくちゃ羨ましいです!」と言って、千恵美と雅矢の笑いを誘った。



案内された開かずの部屋のものは、すべて段ボール箱に詰め込まれていた。

「箱の1つは、クリニックや手術の経緯に関する資料ですが…。病院選びはかなり慎重だったので、量も多くて。ただ、もうこれ以上手術はしないと決めているので、これは箱ごと捨てます」

千恵美は箱をそっと押し出し、雅矢はそれを受け取りすぐに部屋から出した。千恵美はほっとしたような顔をすると、こう続けた。

「私、整形した過去を背負ってないといけないと思っていたんです。生まれながらの顔じゃない。自分でお金を稼いで、手術を受けて、手に入れた顔だってことに、無理やり誇りを持とうとしていました。

でもそれと同時に、“天然美人ではない”ことを忘れてはいけない。調子に乗るなって…自分に押し付けていたんですよね。こうして処分するにあたって、今、全部わかりました」

雅矢は柔らかい口調で言った。

「生き様によって、誰でも顔立ちはどんどん変わるものです。加齢もあるし、女性ならメイクもする。いちいち昔の顔にとらわれていては大変だと思うので、捨てるのに良い機会だと思います」

その言葉を聞いた千恵美は、勇気付けられたように写真の段ボール箱に手をかける。

「矛盾するようですけど、私…。生まれてから整形する25歳までの写真、すべてを捨てたいとも思えないんです。それも、寂しい気がして。昔の顔は見たくないのも本音だし、でも楽しい思い出まで失いたくないという気持ちもあって」

うつむいた千恵美に、思わず声をかけたのは美桜だ。


美桜のアイディアに雅矢は?

「千恵美さんの気持ち、よくわかります。私も元婚約者とのツーショットの写真は全部捨てました。でも、他の友達が写っている写真は、あえて残したものも多くて。だって、最低な人のせいで、楽しい思い出まで処分するなんて、悔しいじゃないですか」

雅矢のじろりとした視線を感じた気がするが、千恵美がハッとしたように顔を上げたので、美桜は続けた。

「基準を決めましょう。1枚ずつ手にとって、ご自身が見たくない写真は、さようならしましょう。でも家族や友達が愛おしく感じる写真は残す。それだけで、大好きな写真だけのアルバムができあがりますよ」

雅矢が押し黙る傍で、千恵美はパッと顔を明るくした。

「それなら、できる気がします」

その表情に安堵し、美桜も声を弾ませる。

「じゃあ、私が1枚ずつ写真を手渡すので、判断してくださいね」

作業は、思った以上にスムーズだった。「小さい時の写真は、意外と顔立ちが気にならない」「思春期以降は笑顔が減って、見ていて苦しいから手放す」「学生時代の写真は、誰でも今と別人。だから自分だけが恥じる必要もない」など、手に触れる写真が増えるにつれ、だんだん感覚が研ぎ澄まされてくるのだ。

ときに淡々と、ときに思い出話を交えながら、女性2人での作業は進んでいく。

「自動的に1枚ずつ写真を手渡してもらえるだけで、こんなに効率的になるんですね。写真の山から手に取る作業だと、あまり捗らないのに」

自ら選ぶという段取りを減らし、脳内を空っぽにして、ひたすら目の前に現れる写真と向き合う。それだけで決断に集中できるということを、美桜は自らのお片づけで学んでいた。

その間に雅哉は、持参したアルバムや写真立てに写真をきれいに収納していく。写真を選び終わるころにはアルバムができあがるという、完璧な段取りの下で思い出は整理されていった。

全てが終わり、開かずの部屋はすっかり片付いた。千恵美は宝物となったアルバムを胸に抱き「こんなに素敵なアルバムと一緒に新居で新婚生活が始まるなんて、幸せです」と、ほろりと涙を流した。

雅矢はそっと千恵美にハンカチを手渡し、一緒になって泣いている美桜に少々呆れながら「あなたの分はありませんよ」と言う。

「私が美容整形をしていることを、婚約者は知っているし、その事実を受け入れてくれています。でも、昔の写真を見せたことはなくて、なんとなく胸が苦しかったんです。でもこのアルバムを一緒に見ながら、思い出話をするの、すごく楽しみになりました」

美桜は大きく頷き、雅矢も満足そうに微笑んだ。



帰りの車内で、美桜はモジモジと切り出した。

「あの…なんだか私、今日、勝手なことをしたみたいで…すみません」

雅矢の鋭い視線を思い出し、美桜は今さら怖気付いていたのだ。

「僕の願いは部屋が片付き、依頼人が幸せになることだけです。だから美桜さんが何を謝っているのかわかりませんが…」

雅矢はまっすぐ前を見据えたまま、ぴくりとも表情を変えずに言う。

「僕には結局のところ、女性の気持ちが全然わからないのです」

「え?」

「でも、散らかった部屋は、人を不幸にする。それだけは分かっているんです」

雅矢は急に声のトーンを落とすと、黙り込んだ。

空が急に暗くなり、フロントガラスに雨が落ち始める。

雅哉はただじっとその雫を見つめているようだった。

―雅哉さんって、一体過去になにがあったの…?

美桜も言葉を失い視線を落とす。静かな車内に、雨音だけがただ静かに響き続けていた。


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男性の依頼人の登場に雅矢は?