—ありのままの自分を、好きな男に知られたくない。だってきっと、また引かれてしまうから…。

高杉えりか、25歳。テレビ局に新卒で入社し、花形部署で働いている…といった、表向きは華やかなキャリアを突き進む女。

しかしその実情は…。プライベートはほぼ皆無、男社会に揉まれ、明け方から深夜まで拘束される報道記者。しかも担当は、血なまぐさい事件ばかりだ。

だけど、恋愛も結婚もしたい。そんな普通の女の子としての人生も願う彼女は、幸せを手に入れられるのかー?

◆これまでのあらすじ

えりかは、明け方から深夜まで休日返上で血なまぐさい事件ばかり取材する警視庁捜査一課担当の事件記者だ。

幸村創太と出会い恋の始まりを予感するが、殺人事件が発生し忙殺される。取材中に、人1人の命が奪われたことを痛感し…。



事件発生から3日。未だに大山里美を殺害した容疑者は逮捕されていない。

『…次のニュースです。今月20日、練馬区の路上で何者かに背後から刺され、大山里美さん(20)が殺害された事件で、凶器とみられる包丁が近くのコンビニに捨てられていたことが捜査関係者への取材でわかりました』

「うお、包丁捨てられてたんかい…」

他局のアナウンサーが淡々と読み上げる内容に、TQBテレビ・捜査一課担当記者リーダーの桑原は頭を抱えた。

「夕方までにウラとってね」

古い事務イスを回転させ、桑原とえりかに冷たくそう言ったのは、本郷キャップだった。

警視庁記者クラブは、霞が関の警視庁本部内に存在し、テレビや新聞が各社ごとに部屋を割り当てられている。

そして全局の放送を一気に確認できるよう、部屋の中に6台横並びで設置されたテレビ画面は、常に電源がついているのだ。

お昼のニュースは全局同時に始まるため、知らない情報が放送される。つまり“抜き”がないかを、手に汗かきながらチェックするのだが…。

「高杉、今日の夜空いてる?」

本郷の視線から逃げるように背中を小さくするえりかに、隣に座って新聞を読んでいた先輩記者が声をかけた。

「今日さ、担当の警察官と飲み会あるんだけど、一緒に来てくれない?」

「担当って、生活安全部ですよね?」

生活安全部、通称「セイアン」は、薬物事件や風俗、違法賭博の一斉摘発などの事件を扱っている課だ。えりかたち刑事部の捜査一課とは別もので、本来えりかが行く義理は全くない。

「女の子来てくれると先方が喜ぶと思うんだよね。ねえ桑原、彼女借りていい?」


男社会で、縦社会。紅一点のえりかは、行きたくない飲み会に付き合わされる羽目に。そこで待ち受けていたのは…

桑原に茶目っ気たっぷりの笑みを向けたその男・吉川は、でっぷりと出た腹の前で両手を合わせている。

警察官と事件についてLINEをしているのだろうか、スマートフォンを必死の形相で操作する桑原は、画面に目を落としたまま首を横に振った。

「いや、今、一課やばめの事件起きてるんで無理っす。すんません」

「そう言わないで。1時間半で返す!18時スタートだから、19時半には返す。それなら夜回り間に合うだろ?ほんと、今日の相手は仲良くしておきたい人なんだよ。頼むよ」

ー借りるとか返すとか、私はネコの子かよ。

えりかはむっとした表情を浮かべるが、吉川はそれに気づく様子なく桑原ににじり寄って懇願を繰り返した。

「じゃあ1時間ね!1時間で返してください。それならいいすよ」

警察官とのLINEのやり取りに集中したいのか、桑原は巨体で迫る吉川のしつこさについに根負けしたらしい。

えー、と非難の声を上げるえりかをよそに、吉川はガッツポーズをする。

「わかった!絶対返すよ。あー助かった、ありがとなー桑原」

ー行きたくもない飲み会に行くのは私なのに、お礼を言う相手は私じゃないんかい。

しかし、TQBテレビの警視庁記者クラブは完全な縦社会だ。口には出さず、えりかは肩を落とした。





「いやー、急にヨッシーが高杉ちゃんも呼んだって言いだしたからさ。いつもの赤ちょうちんじゃ悪いと思って、店を予約し直したんだよ」

『美の』で機嫌よく日本酒をあおりながら、男は嬉しそうに言った。

愛想笑いを浮かべるえりかの横で、すかさず吉川が身を乗り出し、男のお猪口に徳利を傾ける。

「だって山口さん、いつも俺と飲むとき、『女の子がいればもっと口が軽くなっちゃう』とか言ってるじゃないですか〜」

「そりゃそうだろ、誰だってヨッシーみたいなおっさんと飲むより、高杉ちゃんみたいな美人と飲んだほうがペラペラ喋っちゃうよ」

ねえ?と生活安全部の警部・山口は、早くもうっすらと赤らんだ顔でえりかに視線を移す。

「高杉ちゃんは今いくつなの?」

「今年25になりました」

「若いねー。お年頃なのに、記者は不規則な生活で大変でしょ」

「いえいえ、皆さんのほうが大変ですよー」

「一課担当だって?一番大変じゃない。結婚もできないよねえ」

山口の言葉に、吉川が笑い声を重ねた。えりかは笑顔を崩さないまま返事はせず、艶々と輝く真ダコのお造りを口に運んだ。

警察官と記者の飲み会はよく開かれている。TQBテレビ警視庁記者クラブの紅一点であるえりかは、 添え物として呼ばれることがしばしばあった。

こうした場で特ダネが出てくることも少なくないので、飲み会も立派な仕事の一つとされているのだが。

―なんか、自分の中で大事なものを消耗してる気がするんだよな……。

ストローをくわえウーロン茶を飲んでいると、不意にテーブルがカタカタと音を立てた。吉川が置いていたスマートフォンだ。

吉川は画面を見て、あーあ、と声を上げた。

「そろそろ高杉返せって、桑原から催促されちゃったよ」
「え、高杉ちゃんもう帰っちゃうの!?」

渡りに船だ。ホッとするえりかに、山口は残念そうな声を上げる。

「すみません。練馬の事件がまだ解決してなくて…」
「そっか、そうだよねえ。また飲もうね」
「はい、ぜひ」

えりかはそそくさと荷物をまとめ、バッグを肩にかける。では、と会釈するが、その姿勢で一瞬止まった。

―…ちょっとセクハラっぽい人だけど、いつか担当が変わる可能性もあるし…。

自分を言い聞かせるように頷き、えりかはスマホを取り出して山口に笑顔を向けた。

「またお誘いするので、連絡先教えていただけますか?」


今後の利益を期待して連絡先を交換したえりかに、まさかの展開が…!

「自分から言ったものの、これは……」

山口との飲み会の2日後。朝4時にかけたアラームで起きたえりかは、眠い目をこすりながら確認したスマホの通知に、思わずため息をついた。

あれ以降、山口からのLINEが止まらないのだ。

『今日の昼メシは出前のカレーでした。中辛派なんだけど、高杉ちゃんは?』
『辛口が好きですね!』
『今日の夜は警察大学校時代の同期と飲みに行くヨ』
『いいですね!』

聞いてもないのに自分の近況を事細かに報告してくる、いわゆる“俺通信”が数時間おきに送られてくる。

しかも相槌を打ったところでそれ以上会話は膨らまず、次の報告が届くだけなのだ。「セイアン暇かよ」とぼやき、スマホを枕に向かって投げた。

記者は人脈づくりが命なので、念のためLINEを交換したものの、ここまで頻繁なやり取りは想定外だった。

しかし無視でもして万が一機嫌を損ねれば、吉川の顔に泥を塗りかねない。えりかはもう一度ため息をつき、パジャマのボタンに手をかけた。





午前10時を過ぎたころだった。

朝駆けを終え少し時間の余裕が生まれたので、ハイヤーの後部座席で横たわってうとうとしていたとき。ブブー、とスマホが振動した。

“ヤマグチ”と表示された着信画面を見て、えりかは眉を寄せた。これまでメッセージのやり取りだけだったのに、こんな昼間からどうしたのだろう。

「高杉です〜」
「おお、オレオレ。元気?」
「元気ですよ〜。どうしたんですか?」

窮屈な座席で体を丸めていたので、関節がきしむ。すると山口が電話の向こうで、不意に声をひそめた。

「あのさあ、被害者の女の子いたでしょ。キャバ嬢の。常連客からストーカーされてたみたいよ」

「えっ」

ドクリ、と心臓が脈打った。えりかは慌ててノートを開き、ペンを握る。

「練馬の事件ですよね?警視庁からの公式発表では、ストーカー被害について『捜査中』となってましたが」

「そうそう。ウチがやらかしてたみたいよ。去年から5,6回、常連の男に交際を迫って付きまとわれてるって相談来てたみたい」

「対応はどうしてたんですか」

「付きまとうって言っても、店の外とか最寄り駅で待ち伏せされたりするだけだから、ウチも男に簡単に注意だけしかしてなかった感じだねえ。正直、キャバ嬢ならよくあることでしょって温度感だったんだろうね」

常連客、ストーカー、5,6回、交際、待ち伏せ。

走り書きに、『注意だけ』と書き加え、ぐるぐるとボールペンで囲む。

「山口さん、少年事件課なのに何で…」

「きのうの夜、警察大学校の同期飲みだったって言ったでしょ?そこにストーカー対策課のやつがいてね。一課は相当焦ってるよ。高杉ちゃん、ハッパかけちゃいなよ」

「えっ、ストーカーってどういう…」

「あ、ごめん呼ばれちゃった。仕事戻るね。早く終わらせて飲みに行こう」

えりかの問いに返事を被せ、山口は唐突に電話を切った。

えりかは真っすぐ切りそろえられた前髪が乱れるのも構わず、両手で頭を抱える。

本当だとしたら、かなりの議論を巻き起こす大きなネタだ。大山里美は身の危険を感じて相談していたのに、警察に守ってもらえなかった。まだ、どこのメディアも書いていない。

一方で、山口の情報も伝聞の域を出ない。これじゃあまだ書けない。捜査に直接関わっている人たちから、ウラをとらなければ。


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都合が悪く隠されていた情報を得たえりか。ニュースとして成立させるために奔走するが…。