今年、私たちの生活は大きく変わった。

“ニューノーマル”な、価値観や行動様式が求められ、在宅勤務が一気に加速した。

夫婦で在宅勤務を経験した人も多いだろう。

メガバンクに勤務する千夏(31歳)もその一人。最初は大好きな夫・雅人との在宅勤務を喜んでいたのだが、次第にその思いは薄れ、いつしか夫婦はすれ違いはじめ…?

2020年、夫婦の在り方を、再考せよ。

◆これまでのあらすじ

夫・雅人の心のない一言にキレた千夏。寝室を自分の部屋にするため、雅人の荷物をつまみ出すが…?

▶前回:「寝室に入らないで」妻が夫に突きつけた、入室禁止令。妻は隠れて…?



「よく眠れなかった…。最悪」

ソファの上で目を覚ました雅人は、身体にだるさを感じた。

−千夏のやつ…。何考えてんだ。

昨日、突然、ベッドルームへの立入を禁止された雅人は、リビングのソファで寝る羽目になった。

ソファからはみ出た足を折りたたんで寝たせいか、足が重い。変な体勢で寝たからだろう。腰にも痛みを感じる。

寝室のエアウィーブが恋しい。

「はあ…」

恨めしげにベッドルームに目をやるが、ドアには、“入室禁止。違反した場合、罰金100万”の張り紙がされたままだ。

−俺、そんなに悪いことしたっけ…。

正直言うと、千夏がなぜあんなに怒っているのか分からない。心当たりがないのだ。

「放っておけば良いか」

数日もすれば、あっちからすり寄ってくるだろう。喧嘩をしたことはあるが、これまでもそうやって仲直りしてきたのだから。

とりあえず目を覚まそうと、ミネラルウォーターを取りに行く。だが、しかし。冷蔵庫を開けた雅人の目に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。

“千夏専用”

冷蔵庫のほとんどの食べ物、飲み物に付箋が貼られていたのだ。

雅人は、付箋が貼られていない数少ないものの1つ、ミネラルウォーターを取り出し、一気に飲み干した。


冷戦状態の2人。従順な妻だった千夏のさらなる挑発に、雅人は…!?

妻の挑発


「わあ、美味しそうなエッグベネディクトができたー!」

コンビニで買ってきたプロテインバーをかじりながらパソコンに向かっていると、キッチンから甲高い声が聞こえてきた。

”キッチンは共用スペース、ソファとテレビ周辺は千夏のプライベートタイムは出入り可能。
9−18のワーキングタイムは、雅人の占有エリアになります”

昨日、千夏から一方的に送られてきたLINEの内容だ。全く何を考えているのか。

これ見よがしな演出に、雅人のこめかみがピクッと動く。

昨日までの朝食は、トーストとスクランブルエッグだけだったのに。エッグベネディクトの作り方はよく知らないが、トーストとスクランブルエッグよりは手が込んでいることくらい分かる。

「いっただきまーす!」

ソファに座った千夏は、音楽を聞いている雅人の耳にも届くほど大きな声を出した。声につられて、思わずテーブルに目をやった雅人は驚いた。テーブルには随分豪華な朝食が並んでいるではないか。

おしゃれな皿に盛り付けられたエッグベネディクト。付け合わせにベビーリーフ、別皿にはフルーツも用意されているらしい。

それだけでもイラついた雅人だが、さらに我慢ならなかったのは、彼女の無神経な態度だ。

千夏は、食事を取りながらニュース番組を見ていたのだが、これでもかと言うほど、テレビの音量を上げたのだ。

隣で自分が仕事をしているのを知っていながら、彼女はわざと音量を上げたのだろう。

何がなんだか分からないが、自分を挑発していることは分かる。雅人はついに声を荒げた。

「うるさい!」



すると千夏は、涼しい顔でこちらを見つめた。口元は薄く笑っていて、なんだか不気味だ。

「まだ8時、雅人のリビング占有タイムじゃないでしょ。私のプライベート時間、邪魔しないでくれる?」

それだけ言うと、再び視線をテレビに戻し、エッグベネディクトを頬張った。

「おい。昨日から何なんだよ!」

立ち上がった雅人は、先ほどよりも大きな声で怒鳴る。だが、千夏には一切響いていないようで、「近所迷惑だからやめて」と、言うだけだった。

怒りがフツフツと湧いてくる。雅人は、感情に任せてつい攻撃的な言葉を発してしまった。

「食事は作らない。家事はしない。夫が隣で仕事していても、お構いなし。嫁失格だな!」

すると千夏が、ギロリとこちらを睨み、静かに持っていたナイフとフォークを置いた。

その場がシンと、静かになった。千夏は、瞬きひとつせずにこちらを見つめ、黙っている。

無音の重苦しい空気が2人の間に流れる。どのくらい時間が経ったのだろう。ついに千夏は口を開いた。

「その言葉、そっくりそのままお返しします。あなたも、夫失格よ」


最悪の亀裂が入った2人。雅人はあることを試すが…?

夫が、まさか


−家でコンビニ弁当、か。

その夜。

自宅近くのコンビニで買ってきた弁当を1人寂しく食べながら、雅人は惨めな気分になった。

在宅勤務が始まる前や、独身時代だった数年前まで、毎日のようにコンビニ弁当を食べながら残業していたはずなのに。

−味噌汁、飲みたい…。

一昨日まで千夏が作ってくれていた、温かい味噌汁。当たり前のように出されていた時には気づかなかったが、今はあの味噌汁が猛烈に恋しかった。

味噌汁のことを考えていた雅人は、ふと思った。味噌汁なんて、味噌と具材があれば簡単に出来るはずだ。

冷蔵庫の中には、さっき買ってきた豆腐があるし、味噌には“千夏マーク”がついていないから使っても良いだろう。

雅人は、実に高校の家庭科の授業ぶりに料理というものをすることにした。大学の時も実家通いだったから料理することはなかったし、独身時代はもっぱら外食だったのだ。

鍋にお湯を沸かした雅人は、豆腐を入れて味噌を溶かす。

豆腐はそのまま入れて菜箸で切ってみるがうまくいかない。結果、ぐちゃぐちゃになってしまった。

少し見た目は悪いが、味には影響ないだろう。

「なーんだ、簡単じゃん」

食べかけの弁当を再度温めた雅人は、出来立ての味噌汁を口に運んだ。



「ん…?」

一口飲み込んだ雅人の思考が停止した。自分の想像とはかけ離れた味がするではないか。

「これは一体…?」

もう一度飲んでみるが、お湯と味噌の味しかしない。味噌汁ではないのだ。

自分が飲みたいのは、千夏が作ってくれる、あの味。

−何が違うんだ…。

雅人は、不味い味噌汁を前に、がっくりと肩を落とす。

これまで、味噌汁なんか簡単だと思っていた。だから、千夏が「仕事で疲れたから今日は味噌汁パス…」と、作り置きをただ並べた時には、正直、味噌汁くらい作れるだろうと思ったりもしていた。

だが、味噌汁というのは、どうやら簡単ではないらしい。自分にはよく分からないが、手順やコツなどがあるのだろう。雅人は失敗して初めて、千夏の大変さが身に染みて分かったような気がした。



−まさか、料理始めた…?

ベッドルームで読書していた千夏は、リビングでなにやら怪しい動きをしている雅人の様子を感じ取っていた。

チチッとガスコンロを点ける音がする。カップラーメンを食べるなら、ティファールでお湯を沸かすはずだ。

ドアを開けて様子を伺うことは出来ないが、雅人がいつもと違う行動をしていることは明らかだった。

−ちょっとは反省したのかしら…?

“男子厨房に入るべからず”という言葉があるが、雅人はそれを忠実に守っていた。

千夏が料理していても手伝うことはないし、無論、自分で料理することなど全くなかったのだ。

そんな雅人がキッチンに立っているなんてどういう風の吹き回しだろう。

−まあ、私の大変さを思い知れば良いわ。そろそろ謝ってくるでしょ。

千夏は、いつもと違う雅人の行動に期待を抱きながら、彼からのアプローチを待ってみることにした。


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冷戦状態の雅人と千夏。味噌汁をきっかけに、ついに雅人が動く…?