誰にだって、人生の中で選択を迫られる瞬間があるだろう。そんなとき、何を軸にして進むべき道を選ぶ?

登場するのは、一見輝かしい人生を送る28歳の女たち。彼女たちには、迷ったときの道しるべとする「人生の羅針盤(コンパス)」があったー。

心に闇を抱えた女たちは、どんなコンパスを頼りに、逞しくしたたかに生き延びるのか。

今回登場するのは28歳の専業主婦、冬本ミユ。北海道のお寺の後継息子と結婚し、夫の両親と同居生活を送るミユの胸の内は…。

▶前回:「利用されてるだけでしょ」周囲からの嫉妬に振り回される女の、人知れない悩みとは



「ミユ、ちょっと痩せた?」

画面の向こうから、学生の頃の読者モデル仲間・令子が問いかける。

「そう?まあ独身時代に比べたら外食も減ったし、割と健康的な生活だからかな」

ふすまの隙間の窓に映る自分の顔は、昔とそう変わらないように見える。久しぶりの2人きりのオンライン女子会で真っ先に言われた言葉を気にするように、ミユは自分の頬をそっと撫でた。

ー痩せた?って最近、よく言われるな…。

窓の奥に広がるのは、昔ながらの日本庭園の景色だ。東京にいた頃とは全く違う景色の前でしばらくボンヤリとしてしていると、画面越しの令子が懐かしそうに言った。

「こうして話すの、4年ぶりだもんね。ミユがお寺に嫁いでもうそんなに経つんだ」

令子の声に引き戻されたミユは、慌てて相槌を打つ。

「そう考えると、あっと言う間ね。まだまだお義母さんに教えてもらいつつだけど、なんだかんだで毎日充実してるわ」

気のおけない女友達とのおしゃべりなんて、いつぶりだろう。ひしひしと喜びを感じたミユは、浮き立つように言葉を続ける。

「令子こそ、仕事や恋愛はどうなの?順調?」

だが、その言葉を言い終わらないうちに…、ふいに寝室のドアがノックされた。

聞こえてきたのは、同居している義母の声だ。

「ねえ、ミユさん?お取込み中ごめんね、ちょっといい?朝の書類ってどこにあるかしら?」


突然の義母の乱入。ミユのとった行動は…

「あ、お義母様。すぐに参ります」

突然の義母からの声掛けに、ミユは慌ててドア越しに返事をする。そして、慌ただしく椅子から立ち上がると、パソコンの中の令子に向かってささやいた。

「令子ごめん。ちょっと呼ばれちゃって。すぐ戻る」

ミユが義母の用事を手短に済ませてオンライン通話に戻ると、令子はなにやら微笑んでいる。

「どうしたの?」とミユが問いかけると、令子は感心した様子で言った。

「ミユ。すっかり廉くんの家の”お嫁さん”ね。廉くんと結婚するかどうかって、頭抱えて悩んでた頃が懐かしいよ」

「ね。当時、廉との結婚は誰も応援してくれなかったわ。まあ、こんなにたくさんの”条件”があるんだもの、それも仕方ないか…」

からかうような令子の言葉に返しながら、ミユは当時のことを思い出すのだった。



夫・廉との出会いは、ミユが大学3年生の時。ゼミの同期として出会った廉は、ミユにとっての初めての彼氏だった。

慎重派で大人しめなミユと、反対に、社交的でムードメーカーの廉。

廉からの猛烈なアタックに折れる形で付き合い始め、周囲と同じような気軽な学生カップルとしての交際をしている…はずだった。

それがある日、廉の”ある一言”で、すっかり変わってしまったのだ。

交際から約1年経った頃の、廉に言われた言葉。

「ミユ、今度、北海道に遊びに来ない?」

軽い口調での誘いに、何の疑問も抱かず旅行感覚で訪れた北海道で、ミユは衝撃を受けることになった。

訪れた先は、有名な観光地でも流行りのレストランでもなく、廉の実家であるお寺だったのだ。

しかも、ミユが廉の実家に到着すると、廉のご両親・同居しているおばあさん・おじいさんまでが総出で、客間にはご馳走が用意されている。



「ミユさんは、廉のいう通り素敵なお嬢様ね。それで、来年の4月には引っ越せそうなのかしら?」

食卓につくなり唐突に始まった廉の母からの質問攻撃に、ミユは戸惑うことしかできない。

「…え?」

「廉にはね、来年から北海道に戻ってきてもらって、お寺の次期住職としてお父さんから色々習う予定なのよ。だから、ミユさんも一緒のタイミングで引っ越すといいわ」

「え?え?」

「ミユさんと廉のお部屋は、家をリフォームして用意しておくからね」

ミユは急展開の話についていけず、口をあんぐりと開けたまま、廉を見た。

「うんうん。きっと、うまくいくと思う」

廉はミユを見ながら、そう強く頷いている。

廉の両親も、同じようにニコニコとミユを見て頷いている。

そんな状況の中、ミユはとにかく「ありがとうございます。ちょっと、考えてみます…」とだけ返事をすると、どうにかその場をやり過ごしたのだった。

ー大学卒業後は就職をせずに、廉と結婚するっていうこと?
ーお寺に嫁いで、ご両親とは同居ってことよね?
ーお寺のお嫁さんって何するの、大変そうよね?
ー仮に廉と別れれば…全然違う未来があるわよね?

東京に帰ってきた後、生真面目なミユはたくさんのことを考え悩んだ。あまりに悩みすぎて食欲もなくなり、ストレスで体調を崩した時期もある。

しかし、そんなミユを前にして廉が笑顔で並べるのは決まって、あの手この手の説得の言葉だった。

「ミユにはさ、東京で会社員なんてするよりも、早く俺と結婚して北海道のお寺の嫁さんになるのが合ってるよ」
「ウチはさ、幼稚園も経営してるから、子供好きなミユは楽しいと思うよ」
「ミユはピアノもできるから、ちょっと趣味でピアノの先生とかやるのもいいんじゃない?」

繰り返されるやりとりに、ミユの気持ちもだんだんと落ち着いてきたのだろう。

ーこんな私のことを理解してくれて、私の将来のことまで考えてくれる人なんて、廉しかいないわよね…。

そんな考えに至ったミユは、ついに大学4年生の終わる頃、廉に正式に返事をすることになる。

「そうよね。私…北海道に一緒に帰るわ」

そう告げた理由は、ただ一つ。

ー絶対に、失いたくない。

ミユの羅針盤…コンパスが、そう、正直な気持ちを指し示していたからに他ならなかった。


北海道に嫁ぐことを決めたミユ。その理由とは?

ー絶対に失いたくない…廉のことだけは。

ミユのコンパスは、『廉と一緒にいられるかどうか』。

そのコンパスの前では、両親の大反対などもはや取るに足らないことだった。

「就職もしないで、結婚するの?ミユみたいなマイペースな子に寺の嫁なんてつとまるわけないでしょ」
「どんなにご家族がいい人でも、旦那さんのご家族と同居なんてうまくいかないわよ」
「代々続くお寺に嫁ぐなんて…子供ができなかったら立場ないのよ?男の子が生まれなかったら何て言われると思うの?」

どんな反対の言葉も、モノクロのサイレントムービーのようにミユの目の前をただ流れ去っていく。

ミユにとって、廉は人生そのもの。

廉と一緒にいるときだけ世界に色がついて、「好きな自分」でいられるのだ。

小さい頃から引っ込み思案で、自分の考えや感情を人に伝えるのが苦手だったミユは、ずっと狭い世界で生きてきた。

中学生になった頃から、活発でおしゃべりな女友達たちがどんどん恋愛に夢中になっていったが、そもそも男子と話すだけで緊張してしまうミユには、彼氏はおろか好きな人さえできなかった。

でも、ミユと正反対の性格の廉は、いつもミユの気持ちを理解してくれた。

ミユが不安になったり悩みがあったりすると、全部優しく包み込み、受け止めてくれた。

そして、ミユの世界を拡げてくれた。

読モにチャレンジできるほど社交的になれたのも、全て廉のおかげなのだ。

ー初めて出来た彼氏。私には、廉しかいないの。廉の前だと、私は「好きな自分」でいられるの…。



「ミユ?ねえ、聞いてる?ミユ」

画面の向こうで手を振りながら問いかける令子の姿を見て、ミユはハッと我にかえった。

「…ごめんつい、結婚当時のこと思い出してた。で、なんだっけ?」

「亜美、元気かなって。学生時代よく3人で遊んでたの、懐かしいよね」

亜美は、令子と同じく読モ時代の友人だ。テイストの違う3人はバランスが良かったのか誌面でもよく組まされ、プライベートでも仲良くしていた。

ー亜美かあ。廉と結婚するって報告したとき、「絶対ミユにはもっといい男いるのに!」て言われたなあ。

ミユは、この結婚に真剣に反対していた亜美の、生真面目な顔を思い出す。

「亜美のことだから相変わらず、派手な毎日送ってそうね。今度3人で、久々に集まりたいわね」

懐かしさに思わず笑みがこぼれた顔で、ミユはそう呟いた。

ー亜美に会ったら、伝えたいな。私、幸せにやってるよ。廉と一緒にいられて、ただそれだけで、幸せなんだ…


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