—ありのままの自分を、好きな男に知られたくない。だってきっと、また引かれてしまうから…。

高杉えりか、25歳。プライベートはほぼ皆無、男社会に揉まれ、明け方から深夜まで拘束される報道記者。しかも担当は、血なまぐさい事件ばかりだ。

だけど、恋愛も結婚もしたい。そんな普通の女の子としての人生も願う彼女は、幸せを手に入れられるのかー?

◆これまでのあらすじ

えりかは、殺人事件の特ダネをゲットするなど、必死で取材を続けている。

一方で恋愛も、創太とデートし充実しつつあるが、えりかには元カレにキャリアを否定されたトラウマがあり…。

▶前回:「私、こんな格好でどうしよう…」。西麻布で男とデート中、25歳の女を襲った悲劇とは



空港の自動ドアが開くと、むわっとした熱気がえりかを包んだ。

寒すぎるほど効いていた冷房との温度差に、ぶるりと震える。南国を連想させるヤシの木が、穏やかな風にそよそよと揺れる。

カンカン照りの太陽、青い空、ヤシの木。目を細めて、『八丈島へようこそ』と書かれた看板を見る。まさにリゾートだ。

「えりかー、ジャンボタクシー来たぞー」

…台風取材の仕事でさえなければ。

テレビの撮影に使われるENGカメラや三脚、映像の伝送機器など、物凄い量の荷物をせっせと積み込むカメラマンたちの姿に、思わずため息が漏れた。

「なんだよ、そのユニクロの袋。エアリズムの仕入れでもしてきたの?」

からかうように言う荒谷カメラマンは、浅黒く焼けた肌と白い歯のコントラストがまぶしい。「チョイ悪」という言葉が似合う、一般企業にはまずいない風貌だ。

「違いますよ。急に言われたんです、『明日台風来るし、お前あと1時間後の飛行機で八丈島行ってもらうから』って。だから羽田で全部調達したんです」

恨めしげに言いながら、えりかは限界まで膨らんだ袋を機材の横に放り投げるようにして置いた。

「週末映画に行く予定だったのに…」
「あの“彼シャツ中継”の男と?」
「その言い方やめてください。…それに、正確には“彼ジャケ中継”です」

助手席に乗り込み、えりかは頬杖をついて窓の外を眺める。

動き出した車に、流れる景色。創太のジャケットから匂った、石鹸のような柔らかい香りを思い浮かべた。


デートの思い出に浸るえりか。そんな矢先、ある人物と再会してしまう…!

あの後、えりかは創太から借りたリネンジャケットを羽織って、中継に臨んだ。

きらびやかなワンピースはごまかせたが、ジャケットのサイズ感はごまかせなかった。

案の定、中継を終えた瞬間に本郷キャップから「お前男物着てなかった?」と電話があり、誰のせいでこうなったと思ってんじゃい、と癪に障ったえりかは一部始終を説明したのだ。

テレビ局で働いている人は、ゴシップ好きばかり。それ以来、「デートしていた男のジャケットを着て中継に出たんだって?」と会う人会う人に言われる羽目になった。

八丈島から東京に帰ってこられたのは、出発してから5日後のことだった。

会社の思惑通り台風が直撃し、えりかは朝から晩までびしょ濡れになりながらカメラに向かって喋り続けた。

「荒谷さん、お土産すごい量ですね」

羽田空港で機内に預けていた荷物がレーンに流れてくるのを待ちながら、えりかはベンチに腰掛ける荒谷の手元の紙袋を見て言った。

「部署用だよ。お土産必須の文化だからさ。えりかは何か買った?」
「…一応」

このお土産を渡すときが、創太に「記者をしている」と打ち明けるときだ。八丈島へ出張に行ったなら、どんな仕事をしているのかも説明するのが自然だろう。

ーだから、その時に打ち明けるんだ。



到着ロビーで荒谷たちと別れ、えりかはふぅと一息ついた。寝るとき以外はずっと取材クルーで行動していたので、1人になるのは久しぶりだ。

うどんでも食べて帰ろうかなと思いながら、荷物を持ち直したその時。

「えりか?」

びくり、と足が止まった。その声に、懐かしさが込み上げると同時に、心が一気にざわつく。

笑わなきゃ。そう思うが、頬が引きつってうまく笑えない。動揺に気付く様子もなく、ネイビーのスーツに身を包んだ男が、えりかの正面に回り込む。

「やっぱえりかだ。久しぶりだな」

快活な声色に、動悸が早くなる。

「慎二…」

絞り出すように名前を口に出したが、その声はひどく掠れた。情けなくて顔が熱くなり、しょうがないじゃん、と心の中で自分に言い訳する。

ーしょうがないじゃん。5年近く付き合って、本当に好きだったのに、浮気されて捨てられて以来の再会なんだから…。





「中継見たよ」
「えっ」
「台風の。ヘルメット被って、『立っていられないほどの風です〜』って言ってたじゃん」
「嫌だ、忘れて」

恥ずかしさをごまかすように、えりかはジョッキに口をつけた。一杯だけ飲もうと言われ近くの店に入ったものの、断ればよかったと早々に後悔する。

慎二の無遠慮な視線に、居心地の悪さを感じていた。別れて3年近く経ち、付き合っていた頃どんな風に接していたのか、すっかり忘れてしまった。

「相変わらず忙しくしてんのな」

慎二はクラッカーにチーズを載せながら、何気ない調子で言った。箸を取ろうとしたえりかの手が止まる。

「相変わらず、ね…」

慎二の言葉を反芻した唇には、思わず苦笑が滲んだ。


えりかが過去に負った心の傷。キャリアを男性に打ち明けられなくなった本当の理由は…

出会いは早稲田大学のフットサルサークルだった。2学年上だった慎二は幹事長をしていて、とても目立っていた。

女子校出身のえりかは男性に免疫がなかったのに、慎二とだけはなぜか気楽に話せた。春の新歓で出会い、夏の合宿終わりで付き合い始めた。よくある話だ。

歯車が狂い始めたのは、それから2年後。慎二は第一志望だった大手商社に就職できず、金融機関で働いていた。学生の頃の明るさはなりを潜め、いつもくたびれていた。

えりかはずっと夢だった記者になれるなら、地方局や地方紙でもいいと考えていた。だが、就活を始め面接に行った2社目のTQBテレビから内定が出た。全く予期しない出来事だった。

「慎二、Tテレに内定したよ」

彼のワンルームマンションで帰りを待っていたのは、慎二に一番に報告したかったからだ。夕飯に作ったカレーを温めながら、えりかは声を弾ませて報告した。だが。

「えー、よかったじゃん」

そう言う慎二の声音は、少し上擦っていた。驚いているのかなと思い、笑いながらその表情を窺ったとき。思わず、鍋をかき混ぜる手が止まった。

「Tテレなら、俺より稼ぐようになるね」

焦げ茶色の瞳に光はなく、そこにあるのは仄暗さばかりだった。



「高杉!今から水戸市行って!」
「明日朝5時から横浜で張り込みしてほしいんだけど」
「悪いんだけど土曜日休出してくれる?」

「わ、わかりました!」

入社してすぐに配属された社会部は、猫の手も借りたいほどの人手不足で、あらゆる現場に駆り出された。

帰宅する時間も連日0時を回り、慎二と夜に食事を約束していても、直前にキャンセルせざるを得ないことが相次いでいた。

「慎二ごめん、今週土曜仕事になっちゃった…」
「えー、もう映画のチケット買ったんだけど。最近そんなんばっかじゃない?」
「本当ごめん…」

家に来たえりかを出迎えることなく、慎二はソファに寝そべって大きなため息をついた。

えりかはもう一度ごめん、と小さく言い、脱ぎ捨てられていた慎二のスーツを拾う。汗と煙草の匂いに交じり、ふわり、と甘い匂いが鼻腔をくすぐった。

「…ん?」

ジャケットに鼻を寄せ、今度はしっかり吸い込む。

知っている匂い。クロエのオードパルファムだ。なんで、慎二のスーツから。

「慎二、あのさ」
「映画キャンセルできないし、どーっすかなあ。あーあ」

上ずった声は、苛立ちを隠そうともしないわざとらしい独り言にかき消された。ゲーム機のコントローラーを器用に操作する後ろ姿に、えりかは唇を噛む。

「…ごめんね、ほんと」

思ったように声が出ず、ざらりと喉が掠れた。

スーツをハンガーにかけ、消臭スプレーを手に取る。プシュ、プシュ。4回、5回、6回。こみ上げる感情の行き場は、スプレーを押す人差し指にしかなかった。


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夢を叶えて働いているのに、応援してくれない慎二。さらに彼がえりかに告げた決定的な一言とは…。