「僕は、彼女のことを何も知らなかった…」

プロポーズした直後、忽然と姿を消した彼女。捜索の手掛かりは、本人のものだと思われるインスタグラムのアカウントだけ。

―彼女が見せていたのは、偽りの姿だった?

インスタグラムに残されていた、慎ましやかな彼女の姿からは想像もできない世界とは…。

◆これまでのあらすじ

2019年4月。プロポーズの数日後、前触れもなく消えた敏郎の恋人・明子。必死の捜索でたどり着いた現在の彼女は、敏郎が知っている慎ましい姿からはかけ離れたものだった。

そんな中、敏郎はスキャンダルで会社を謹慎になってしまう。思い余った敏郎は、明子のインスタのコメント欄に自らの想いを書き連ねてしまい…?

▶前回:「ベッドの上で見せた笑顔は、幻だった…?」付き合いたての彼女の態度が、一変したワケ



私が“それ”を見たのは、実家の近所にある『周中菜房 白金亭』に家族4人で集まり、両親の結婚記念日ディナーを楽しんでいた時でした。

鮮やかに彩られたお料理の数々はどれも美味しくて、いつものように記録代わりに写真を撮影しました。

「またインスタ?」

兄が私を見て、笑いながら両親に言います。

「聞いてよ。明子さ、この前丸の内のパブで父さんの会社の人と3人で呑んだ時も、パシャパシャ撮っていたんだよ」

「いいでしょ。唯一の趣味なんだから」

お行儀が悪いことだとは分かっています。だけど海外暮らしが長かった私にとって、インスタグラムは国内外の友人と気軽にコミュニケーションを取れる場なのです。

日記代わりに日々の食生活をアップしていたところ、見知らぬフォロワーも思いのほか増えましたが、特に不便はありませんでした。

そう、この瞬間までは。

「あれ?」

コメント欄に、ざっと見て30行以上あるかもしれない長文が投稿されていることに気付きました。

投稿者名は…。

私が少し前まで一緒に暮らしていた男性でした。


元カレからの“長文コメント”を見た明子は…

自分のインスタアカウントを教えたつもりはありません。ただ2年ほど前、彼のアカウントを偶然見つけた時に、はずみでイイネをつけてしまったことはあります。

全く気付いていないようだったので、取り消しもせず放置していましたが、おそらくそこから辿り、特定したのでしょう。

私はその執念と長文の恐ろしさに、すぐスマホを伏せました。

「明子、どうしたんだ。顔が真っ青だぞ」

父が私の顔を心配そうにのぞき込みます。

「インスタに変なコメントが来ていたから、ちょっと動揺して…」

私がぎこちなく微笑むと、弁護士の母は言いました。

「何かあったら、お母さんの事務所で責任もって対処するよ」

「大丈夫、些細なことだから」

私の家族は父が会社社長、母が弁護士、兄が音楽家で、皆それぞれ忙しい人たちです。

小さな頃から、自宅に家族が集合することはめったにありませんでしたが、その代わりに記念日は料亭やレストランで会食をしたり、近況や問題を共有しあうのは当然のことでした。



もちろん、あの人のことは家族全員知っています。

メディアで働く人であること。プライドが高く古風な考え方で、昭和の男性の典型のような人であること。そして結婚するつもりはないけど、一緒に暮らしていることも…。

そのことを話すと、家族、特に兄からはたしなめられることが多かったです。

「結婚しないと最初から決めつけるのはひどいんじゃないか?アンディの大ファンなんだろう?そんな男に悪い奴はいないよ」

音楽家の兄は、自分や友人が関わっている作品のファンには甘いのです。

「そうね。悪い人じゃないわ。でも、先方も『自分は仕事人間だから、この先も結婚する気はない』って言っているの」

「明子も30近いから、後々揉めないためにも先手を打っているだけだよ」

兄も同性の気持ちが分かるからこそ、擁護したい気持ちもあるのでしょう。

「そうかな?まあ私も仕事好きだし、彼と方針が一致しているからいいでしょ。お互いを高められるような素敵な人がいたら私も結婚しないとは言い切れないけど、あの人とは考えられないもの」

「ならいいけどさ。ウラがあると思うなぁ。俺は」

その言葉を当時はよく理解できませんでしたが、あの日『ジョエル・ロブション』でハリー・ウィンストンを渡された時、やっと分かりました。

女性は結婚に憧れて当たり前という思い込みのもと、「その気はない」と私を泳がせながら品定めしていたんですね。

あの瞬間、彼が見せた得意げな顔は忘れられません。

ハリー・ウィンストンもロブションのディナーも、本当は自分の力で手に入れられるのに…。

私は小さい頃から、勉強はできた方でしたが、男性のウラの意図をくみ取ることはまだまだだったようです。


アッパークラスに生まれた明子が、ひそかに抱いていた夢とは

憧れは「普通の専業主婦」だった


え?彼のことを好きだったか、って?

もちろん好きでしたよ。私の“憧れ”を叶えてくれる人でもありましたから。

憧れというのは、女性がずっと家にいて家庭を守るような、昔ながらの普通の生活です。

小さな頃から夫婦という枠にとらわれず互いを尊重し合い、多忙に生きる両親の背中を見て育った私。

成長するにつれ、両親の偉大さと共に、先進的で恵まれた家庭環境だったことを理解しましたが、幼い頃はそのような“人と少し違う環境”に疎外感をおぼえることもありました。

幼少期に見たアニメやホームドラマに出てくる、昔ながらの家庭環境が、憧れとして自分に刷り込まれていたのでしょう。

ただ憧れといっても、南の島に行きたい(けど、住みたくはない)というような程度の夢なんですけどね。



彼と出会ったのは、私が前職で心身ともに疲労して退職したあとでした。将来的に父の会社経営に携わるため、MBA取得を目指してビジネススクールに通い始めた頃ですね。

あの時期は、経験したことがないものにもチャレンジしてみようと、胸を膨らませていました。

その一環で、高校時代の先輩に誘われ、生まれて初めて食事会というものに参加したんです。

そこでサラダを取り分ける私を、大げさに褒めたたえた彼にピンと来たんですよ。

「これがいわゆる、亭主関白の男性というものか!?」って。

これまでも偉そうな態度の男性と接することは多々ありましたが、皆、私のバックボーンを知っているせいか、完全に心を開いてくれることはありませんでした。昔の恋人もみんなそうでしたしね。

尊重されながらも、どこか一線を置かれていたような気がします。

だからそのとき思ったんです。もしかしたら今が、憧れの『専業主婦ごっこ』ができる最後のチャンスなのかもしれないって…。

それで私は全ての経歴を告げず、彼と一緒に過ごすことを決めました。『自分は仕事人間だから、この先結婚する気はない』という彼の宣言も、その気のない私としては好都合でした。

正直で無遠慮な彼との生活は、ある意味驚きの連続で楽しかったです。

でも暮らしていく中で改めて認識したのは、やはり自分が家庭に入るタイプの人間ではなかったということ。

指輪を貰ってから離れる決意をするまで、時間はかかりませんでした。…むしろ、早く去らなければいけないと思いました。

話し合いをしたら彼の性格からして、絶対に許してくれない予感がしたので。だから何も言わず、手紙だけで去ることにしたのです。

幸い、自分の情報は相手にほとんど知らせていません。

自分勝手ではありますが、それしか方法はなかったのです。


考えが甘かった…。手紙だけで去った明子の誤算

無言の別れの代償


「近藤さん、テレビの件はどうなりましたか?」

両親に旅行をプレゼントするため、かつてパート勤務をしていた旅行代理店を訪れたところ、同僚だった杉山さんに言われました。

「…なんのことですか?」

「3か月くらい前かな。テレビ局の人が近藤さんを訪ねて来たんですよ」

杉山さんはその時に貰ったという名刺を見せてくれました。…その名刺は案の定、彼のものでした。

インスタのコメントをすぐに削除し、ブロックをした矢先のことです。

「…彼、本当にここに来たんですか?」

私の困惑ぶりに杉山さんも真っ青になり、丁重に謝られました。

当たり障りのないことだけしか話していないようなので、その点はホッとしましたが、彼は局員だと言って杉山さんをランチに誘ったにもかかわらず、自分の分しか代金を払わなかったようです。

「おかしいと思ったんですよ。仕事なら経費で落とせますよね」

本当にその通りです。私はなんだか恥ずかしくてたまらなかったです。

時を同じくして、彼と出会った食事会に誘ってくれた高校時代の先輩・サナさんからも連絡がありました。

「明子ちゃん、あの人と付き合っていたよね。別れたの?」

聞くと、彼は今、スキャンダルの渦中にいるとのことなのです。芸能ニュースは普段あまり見ないのですが、確認するとそれはひどいものでした。

彼が、新人の女性モデルにセクハラをしているというのです。

「明子ちゃんはうまくいってるようだったから言えなかったけど、男性側の幹事も、ロクな人じゃなかったもの。あの界隈の人だったらなんか分かる」

サナさんの言葉に、鳥肌が立ったのはいうまでもありません。

時期的に、私が中途半端に別れを告げた結果、周りの人に迷惑をかけているようです。

とにかく、罪悪感でいっぱいでした。



会ってけじめをつけないと、他の人たちにも迷惑をかけるかもしれません。

でも、どうやって切り出したらいいでしょうか。今さら会いたいと申し出たら、彼のことですから、何か勘違いをしてしまうかもしれません。

会ったとしても、何もされない保証はありませんし。

悩んでいると、兄との共通の友人である徳田さんから、結婚お披露目パーティーに招待されました。

そして“あの人”も招待していいか、と尋ねられたのです。

この文言があるということは、私たちの関係を知っているということでしょう。どうやら、あの人は新婦の方の古い友人なのだそうです。

私は、いい機会だと思いました。

衆人環視であれば、多少の安全は守られるでしょう。兄が参加することも心強いですし、お祝いに水を差すことがないよう、何かありそうなら場所を変えるつもりです。

全ては私の安易さが招いた結果なのですから…。


▶前回:「ベッドの上で見せた笑顔は、幻だった…?」付き合いたての彼女の態度が、一変したワケ

▶Next:8月17日 月曜更新予定
明子と敏郎はついに対面する。ついに関係に決着が…。