―まだ東京で消耗してるの?

2014年、あるブログからこんな問いが投げかけられた。

そして6年経った今、同じように聞かれたら人々はどう反応するだろうか?

オンラインが当たり前になった生活を考えれば、狭い部屋に家賃を払い続ける理由はない。

しかしここに、それでも東京にこだわる一人の女がいる。名前は莉々(32)。

◆これまでのあらすじ

大手広告代理店に入社し、理想の先輩・菜緒にも出会い、充実した生活を送る莉々。だが大学時代からの恋人・圭太と別れてしまう。すぐ次の彼氏が見つかるが…。

▶前回:「男の憂さ晴らしじゃない?」昭和のオジさんを操る、“高学歴美女”の正体とは



―2014年―

憧れていたものが手に入ると、今度は別の何かがもっと欲しくなる。

26歳。私は社会人4年目になって、そんな感覚を覚えていた。



「最近、仕事にはすっかり慣れたけどさ、なんか飽きてきちゃったんだよね…」
「…そっか」

4個上の会社の先輩・悠斗さんと正式と付き合い始めて3年たつというのに、彼は相変わらず私の考えていることに興味がない。

…でも、今日はいつにもまして様子がおかしい。

「悠斗さん、最近どうしたの?仕事忙しい?」
「あのさ…」

彼のどこか改まった姿に一瞬、プロポーズされる?と構えたことが、今思い返しても恥ずかしくてたまらない。

「莉々ちゃん。俺さ、めっちゃ莉々ちゃんのこと好きだよ」
「…うん」
「だけどね。そろそろ、他の子と結婚しなきゃいけないみたいなんだよね」
「……どういうこと?」

私はドキドキしながら、次の言葉を待つ。

彼がこのあと語った“私とは結婚できない”理由が、今でも忘れられないのだ。


彼氏である悠斗が突然切り出した、衝撃の一言に莉々は…?

悠斗さんの口から淡々と語られる言葉たちは、あまりにも信じがたい事実ばかりで、最初は作り話を聞かされているのかと錯覚するほどだった。

彼はこの会社の取引先の御曹司でコネ入社であること、ゆくゆくはその会社を継ぎ社長になること、結婚相手を両親から打診されていること。

肩書だけ聞いてしまえば雲の上の存在のような男が目の前に、いや、自分の恋人であるということに、じわじわと衝撃を覚えはじめた。

「…嘘だよね?」
「別れるために嘘つくなら、もう少しマシな嘘つくよ」

確かに、彼の言う通りではある。

「じゃあ、この会社には、何か勉強するために入ったの?」

「ん〜まぁ、最後のモラトリアム的な?」

そして、この言葉一つであることが腑に落ちた。

思い起こせば、仕事の話に対する反応が悪かったが、それは私の話に限ったことではなかった。そもそも、この男は仕事に対し全く熱がない。

残業している姿なんて見かけたことがなかったし、仕事の愚痴一つ聞いたことがなかったが、それは仕事ができるからではなかったのだ。

九州にある老舗酒造メーカーの跡取りだという彼は、来年その会社に入社し、3年後には代表取締役社長に就任予定という。

大きな問題が起きない限り、裕福な生活と羨まれるステータスが保証されているという環境が、その野心をそぎ落としたのだろう。

でも…。会社を守り抜く、ということがエネルギーとなって彼を駆り立てなかったのだろうか?と、私はつい考えてしまった。

「あ〜俺の自由時間もあと残り少し…。最初は自分の身分隠して入社してさ、営業部で現場を学べとか言われててさ…。あ〜もっと莉々といたいよ俺…」

「…そう、がんばって。じゃあ」

最後の彼への言葉からは感情は全くもって消えていた。

かなりの高スペックな男と付き合っていたという事実に少しだけ興奮した自身を恥じながら、自分の置かれている状況にあぐらをかきつづけている彼の姿に、一気に熱が冷めていった。

―こんな野心のない男…。私、いやだ。

でも…。今思うと、もしかしたら私も、彼とそんなに大差ないかもしれない。

「何者かになれるのではないか」と野心に掻き立てられてもがく私と、「何者か」を既に決められてしまっていた彼。

彼を責める理由は、ないような気がした。



「菜緒さん、提案資料置いておきますね」
「ありがとう、今回も完璧ね、さすが」

まだまだ未熟な部分があることはわかっているけれど、これまで全力で仕事に向き合ってきたおかげで、憧れの先輩・菜緒さんに認めてもらえるまでにはなった。

菜緒さん以上に仕事のできる同世代にも何人も出会ったし、その都度刺激を受けてきた。

…けれど。

最初はキラキラしてみえたこの大企業も、菜緒さんたちも、今はもう私の心を1mmも動かさない。



思わずブックマークした、『次世代を担う、20代のリーダーたち』と銘打たれたインタビュー記事を再度開いて見つめてみる。

記事の内容は興味深いのだけれど…。

スマホの小さな画面の中で、ろくろを回すような手つきで何かを一生懸命に語りながら、まっすぐにこちらを見つめるその懐かしい顔。

悠斗さんにはなかった野心を隠し持っていたこの顔が、私の心を大きく揺さぶる。


莉々の心を動かす、インタビュー記事の中の人物の正体

『この新しいサービスをローンチしたときは、正直ここまでの反響を得られるとは思っていませんでした。でも、ずっとやりたいと思っていたことで…』

思いの丈を語るその真剣な表情は、3年前に比べどこかやつれたような印象を受けたが、それは紛れもなく元彼の圭太だった。

―俺、大きいことやりたいんだよ

思わず、別れのきっかけとなった言葉がフラッシュバックする。



「いつかビッグになる」的な発言をする人間は所詮口だけだと思っていたし、圭太もその類の男なのだろうと見限っていた部分があった。

けれど、圭太は着実に自分のやりたいことに向かって努力し成果を残していた。少なくともこうした人気サイトの記事になるレベルには。

私は、悠斗さんなんかになびくべきじゃなかったのだろうか?

そんな思いが頭をよぎらずにはいられなかったし、それ以上に、思わず自分の今後の身の振り方も考えはじめてしまう。

つい最近、大学時代の友人も仕事の傍らで続けていたブログがじわじわと人気になり、書籍化することになったという【ご報告】をSNSで見かけたばかり。

彼女は、これからは「個人が発信する時代」だと主張し、勤めていた大企業を退職していた。噂によれば、会社員時代の倍近い年収を稼いでいるという。

ちょっと自分が置いて行かれたような気分になるが、私だって決して低くはない年収と、一流企業の社員というステータスを手にしている。

けれど一度手にしてしまえば、その状況に慣れてしまえば、もっともっとと欲がでてしまう。

「菜緒さん、この企画稟議通りました?」
「あ、まだ決裁これからなのよ、ちょっと待ってて」

慌ただしく働いている菜緒さんだって結局は大企業の一歯車でしかないことくらい、3年も働けば嫌でもわかってくる。

私は一体、何がしたいのだろうか?

身近な人間が、大企業というブランドで武装せずに個人で戦い成果をだしている様を見ると、なぜだか自分の無力さに嫌気がさしてくる。

東京という場所は、上を見れば際限のない青天井なのだけれど…。

横を見れば、全然違う、自分がみたことのない世界だっていくつも隣接していたりする。

花織:ちょっと久しぶり!!ねえ、今日飲まない?ちょっとした飲み会があってさ…

そんなことをぐるぐると頭で考えていると、大学時代の友人からLINEのメッセージが入った。大学時代はクラブで派手に遊んでいた花織とは仲が良かったが、PR会社に入社しバリバリと働き始めたところで、彼女の情報は止まっていた。

莉々:久しぶり!OK、いく!

ちょうど仕事がひと段落したタイミングでもあり、彼女の久しぶりの誘いに応じ、赤坂の指定された店に向かったのだが…。

「花織久しっ…。…え?」

その場にいた想定外過ぎる人物に、思わず花織の人脈を見せつけられたような気分になる。

そしてこの出会いが、私の人生をさらに迷走させるのだった。


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すっかり変わり果てた友人との再会で、莉々の人生に思わぬ転機が訪れる。