—ありのままの自分を、好きな男に知られたくない。だってきっと、また引かれてしまうから…。

高杉えりか、25歳。プライベートはほぼ皆無、男社会に揉まれ、明け方から深夜まで拘束される報道記者。しかも担当は、血なまぐさい事件ばかりだ。

だけど、恋愛も結婚もしたい。そんな普通の女の子としての人生も願う彼女は、幸せを手に入れられるのかー?

◆これまでのあらすじ

えりかは、創太から告白された。だが同時に「2年間博多に行く」と告げられる。

遠距離恋愛に迷い、先輩の桑原に相談したところ、「じゃあ俺にする?」とまさかの展開になり…

▶前回:彼を受け入れる準備は出来ていたのに…。25歳の女が3回目のデートで男からされた、衝撃の告白



夜9時半を回った『タル家』の店内は、華やかな男女の笑い声で賑わっている。チーズフォンデュが煮詰まって、ぐつぐつと泡立っ。

「…ごめんなさい」

小さな声で言うえりかに、桑原は笑って首を振った。

「謝んなよ」

言いながら、火が通り過ぎてとろみのなくなったチーズにミニトマトを絡める。えりかは持っていたチャミスルの瓶を、テーブルに置いた。

「桑原さんといると楽しいんですけど、甘えすぎちゃうんです」

頼れる先輩で、細かな機微にも気付いてくれる。これまでずっと桑原に支えられてきた。仕事でもプライベートでも、いつでも助けてくれた。

「『ごめんなさい』なのは、それだけが理由?」
「え?」

ミニトマトを口に運んだ桑原は、弾けた実の熱さに「あちっ」と顔をしかめながら続けた。

「彼ジャケくん。保留にしたものの、結局答えは決まってんじゃない?」

えりかが思わず顔を上げると、視線がぶつかった。

そこで初めて、桑原に対して「かっこいい」という感情を抱いた。先輩としての「かっこいい」は数えきれないほどだったが、男性としてそう感じたのは初めてだった。

「…桑原さんって、ほんと良い男ですよね」

桑原は瞬きをしてから、「だろ?」と小さく笑った。




大人も子どもも、楽しそうにはしゃいだり、くつろいだり。風にそよそよと揺れる葉擦れの音が、耳に心地よい。

―この前のお返事したいので、会えませんか。

えりかがLINEを送ると、創太は「代々木公園でお散歩しながらお話ししましょう」と提案してきた。

あの告白からちょうど一週間、日曜日の昼下がり。肌をなでる風の涼しさに、秋が少しずつ始まっているのを感じる。

「お返事までに時間かかってすみません」


えりかが創太に伝える本心とは…?

「全然。むしろ会ってくれてありがとう」

隣を歩く創太は、いつもと変わらない調子で微笑んだ。その様子を見ていると、えりかのほうが緊張しているかもしれないとさえ思う。

「そこのベンチ、木陰になってるから座りましょうか」

創太はハンカチをベンチに広げ、「どうぞ」と促した。こういう所作のひとつひとつが、えりかの心をとらえてきた。えりかは小さく頭を下げ、腰掛ける。

鳥の鳴き声と、楽しげな人々の声と、葉っぱの音。

「…私、創太さんのこと、好きです」



重ねるように静かな声で、えりかは言った。

「仕事をしている私を女性として受け入れてくれて、好きになってくれて本当に嬉しかったです。創太さんのこと、出会った時から気になってて、優しくて穏やかで独特の世界観持ってるところとか、ほんとに好きです」

創太の瞳が、こちらに向けられたのを感じた。えりかは手をぎゅっと握り、言葉を続ける。

「でも私、基本的に都内を出られないし、付き合った直後に2年間遠距離って大丈夫かなって考えたんですけど…」

その時だった。

タラランタン。いつも響く、スマホの電子音。

タイミングの悪さに、思わず眉間に皴が寄る。創太に小さく頭を下げ、ポケットから取り出すと「本郷キャップ」。嫌な予感しかしない。

「高杉です」
「品川で火事!画が強いからとりあえず行って!」
「ええ…」
「しょぼかったら帰っていいから!」

一方的にまくしたてられ、電話は切れた。「ええ…」ともう一度呟くが、誰にも届かない。

「仕事?」

小首を傾げる創太に、えりかはすみません、と頭を下げた。

「はい、行かないと……」

でも、もう少しだけ。えりかは立ち上がり、創太の前に立つ。創太はぱちくりと瞬きをした。

「私はこんな風に仕事ばっかりです。今日もデジカメ持ち歩いてます」

気が急いて、自然と早口になる。

「創太さんが東京にいない2年間、全力で仕事に打ち込んで頑張って良い記者になります。だから」

一気に言い切り、深く息を吐いた。

「……だから、よろしくお願いします」

創太の切れ長の目が、僅かに見開かれた。そのまま両手で顔を覆う。

「よかった…」

呟くような声だったが、えりかの耳には届いた。感情の起伏が薄い創太の、初めて聞く声音だ。えりかのポケットの中では、スマホが振動を続けている。

「創太さんごめんなさい、そろそろ行かな…」

言い終える前に、温かな体温に包まれた。

創太に抱きしめられているのだと気付いたのは、借りたジャケットと同じシャボン玉のような柔らかな匂いが鼻腔をくすぐったのと同時だった。


遠距離恋愛を決意したえりか。そして二人は…

「えりかさん、離れていても大切にします」

驚きで固まっていたが、えりかはおずおずと両手を創太の背中に回す。

想像していたより細くて骨っぽくて、どきどきと心臓が跳ねる。少し体を離した創太は、真っすぐにえりかの瞳を見つめていた。

「大好きです」

優しい声と、熱をはらんだ眼差し。

「…私も、大好きです」

この思い出さえあれば、なんでも頑張れる。そう思った。





―2年後。

「高杉〜、明日の夜、お前んとこの山崎ちゃん借りられない?」

軋む古びたイスをくるりと回転させ、吉川はえりかに向けて両手を合わせた。

「何でですか?張り込み要員?」

デスクトップに向き合ったまま、キーボードを叩く。基本的に2年で卒業と言われる警視庁記者クラブに来てから、3年。えりかもすっかり古株となった。

先月から捜査一課担当の仕切りを任され、2人の部下がいる。そのうちの一人が、今年入社したばかりの女性社員である山崎えみだった。

「いやー、飲み会に付き合ってほしくて。女の子が来ると、先方喜ぶんだよ」

へらへらと笑う吉川の言葉に、えりかは手を止めて振り向いた。吉川の笑みがわずかに強張る。

「行くかどうかは、山崎に決めさせます。いずれにしても、条件があります」

「条件?」

「山崎が望まないのであれば、“女であること”を消耗させないでください。交際関係に言及したり、当然ですが容姿のことを言うのもダメです。あと絶対に守ってほしいのが…」

えりかはそこまで言うと、かかとで床を蹴ってイスを転がした。吉川との距離が、膝が触れ合いそうなくらいに近づく。

「相手が山崎にちょっかいをかけそうだったら、絶対に守ってください」

3年も同じ担当をしていると、付き合いの深い警察官ばかりになる。信頼関係が出来上がり、土足で踏み込もうとする人はいない。

だがここまで来るのに、いろんな思いをしてきたのだ。

“オッケー?”とまっすぐ見据えるえりかの勢いに押され、吉川はたじろぎながら頷いた。

「わかったわかった。…ったく昔は可愛かったのに、3年も一課担やると人が変わっちゃうな」

「聞こえてますよ。強くなった、って言ってください」

吉川のぼやきに被せながら、えりかはスマホの連絡帳をスクロールした。

『山崎えみ』の名前をタップしようとしたちょうどその時、「お疲れ様ですー」という声に顔を上げる。山崎だった。

「山崎、ちょうどいま電話しようとしてた」
「え、なんですか?」

ちらり、と吉川がこちらを見ている。えりかはため息をつき、立ち上がった。

「1階のコンビニ行くからついてきてよ」


2年が経過し、先輩となったえりかが後輩女子に伝えたコトとは…

「吉川さんがね、明日の夜、当局との飲み会に来てほしいんだって」
「私にですか?」
「女の子が来ると喜ぶって」

2人だけのエレベーター内で、山崎は戸惑ったように眉を寄せた。短く切られたショートヘアが、まだあどけない。

「私もしょっちゅうそうやっていろんな飲み会に呼ばれたよ。セクハラされたり、セクハラと言い切れないレベルのセクハラされたり」

厄介だよねえ、とえりかが言うと同時にドアが開く。

「それで適当に我慢してたらネタとれたこともあって、一概にデメリットだけっていうわけじゃないから厄介なんだけど。行くか行かないかは山崎が決めていいよ」

「行かなくていいって選択肢もあるんですか?」

「嫌な思いをしてまでやらなきゃいけない仕事じゃないからね」



山崎がくりくりとした目を、驚いたように丸くした。

「警視庁クラブって、なにがなんでもネタ取ってこい!ってとこだと思ってました」

「私もそう思ってたけど、先輩が言ってくれたんだ。『嫌な気持ちになる相手なら無理しなくていい。でも心が擦り減らないなら、使える武器は何でも使え』って」

「先輩って、桑原サブキャップですか?」

「そうそう。当時桑原さんが一課担の仕切りで、私が一番下っ端だったの」

庁舎内のコンビニで、えりかはぎっしりと並ぶ飲み物のコーナーに目を向ける。半歩後ろで、山崎が感嘆の息を漏らした。

「えりかさん、ほんと格好いいです」
「別に普通だよ」
「私なんて学生時代から付き合ってた彼氏に、付き合いきれん!ってフラれちゃいました」

暗い調子で話す内容は、どこかで聞いたような話だ。しゅんと肩を落とす山崎の姿に、2年前の自分が重なった。

「事件記者やってる女の子なんて、プライベート充実させるの無理ですよね」
「無理じゃないよ」

烏龍茶のペットボトルを手にしたまま、思わず強い口調で被せた。

山崎がぱちくりと瞬きをする。えりかは首を振り、「無理じゃない」と繰り返した。

「自信を持てば、仕事も恋も両立できる」

言い切ったと同時に、ポケットの中でスマホが振動した。

社用を取り出すが、通知はない。こっちか、とプライベート用の画面を確かめる。

『20時羽田着の便で帰るよ。そのままえりかちゃんの家で待ってるね』

ポン、と新しいメッセージが表れた。

『2年間待っててくれてありがとう。一緒に暮らせるの、すごく楽しみ』

柔らかな口調で話す創大の姿が容易に想像ついて、思わず頬が緩む。

えりかは素早く親指を動かし、文字を打ち込んだ。送信。

『私も楽しみ!これからもずっとずーっと、よろしくね』

Fin.


▶前回:彼を受け入れる準備は出来ていたのに…。25歳の女が3回目のデートで男からされた、衝撃の告白