「どうしても会って話したい」

元夫・紘一からの突然の電話。彼らしくない強い口調。

あれから2週間、友梨は気が気ではない時間を過ごした。

さらには、紘一が指定した場所もよりいっそう友梨を混乱させた。かつて彼からプロポーズを受けた、東京タワー近くの懐石料理店だったからだ。

―この店に来るのは、あの時以来だ。

東京タワーのふもと、広い敷地を先に行くわけにもいかず、予定より早く到着した友梨は、門の前で待つことにした。

―私って緊張すると待ち合わせに早く着くんだな。

紘一は待ち合わせ時間ぴったりに現れた。

「ごめん、待たせた」

「ううん、平気」

その後は「久しぶり」とか「元気だった?」とか「仕事は?」とか恒例の挨拶をしながら、店の人に案内されて個室へ通された。

上着を脱いで着席した紘一は、3年前と変わらずシャツを綺麗に着こなしている。

会話は、お互いの仕事の状況についての話になった。

小学校の教諭をしている紘一は、このご時世、ホテルに勤める友梨以上に多方面に気を配らないといけないらしい。

「まったく、元に戻ってほしいよ」

飲み物をオーダーして一息つくと、紘一は真面目な顔で尋ねてくる。

「ところで友梨は、再婚の予定はあったりするの?」


元夫からのドキリとする質問に、友梨は…。

予想していなかった問いに、友梨は軽く目を見開いたが、「ないよ」と正直に答えた。

最近まではするつもりでいたけど、と心の中で呟くが、それは声にも顔にも出さない。

「そっか」

紘一は静かに頷く。

「なんでそんなこと聞くの?」と言いかけた友梨を遮るように、「実はね」と紘一が切り出した。

「祖母が、亡くなったんだ」

思いもかけない言葉に、唖然とした。

「えっ、茅ケ崎のおばあちゃんが…?」

「もうお葬式も終わった」

「…そう…」

茅ケ崎に住む紘一の祖母のことは、今でもすぐに思い出せる。初孫の結婚相手である友梨をとても大事にしてくれたのだ。

紘一はハンカチを差し出しながら、静かに順を追って話した。話を遮らないように、友梨も黙ってそれを受け取った。

「ばあちゃんは、友梨のこと可愛がってたから、離婚したことをずっと言えなかったんだ。だって最期の最期まで『友梨ちゃんは元気かい?』って聞いてくるんだよ…」

友梨はなんと言って良いかわからず、ただ静かに言葉の続きを待つ。

「ごめんね、本当は最期に会ってほしかったんだけど、連絡できなかった」

紘一の言葉には、昔と変わらず、周りの人への気遣いがあった。

「ううん。紘一が謝ることじゃないよ。離婚して3年も経ってたら連絡しづらいよね」

友梨の返事も自然と優しくなる。結婚している時に、こういう風に相手を思いやれればよかった。

紘一は黙って頷いていた。

「でも、やっぱりどうしても、ばあちゃんのこと友梨に伝えたくてさ。電話とかメールじゃなくて、面と向かって話したかった。それが、ばあちゃんの供養になると思ったんだ」

「ありがとう。教えてくれて」

それは友梨の本心だった。

「ばあちゃんのことで、俺、本当に思ったんだ…」

目を少し赤くした紘一が、ポツリと言う。

「結婚は、家族が倍になるから楽しい。でも離婚は、家族が半分になるから悲しい」



友梨も、それは大いに実感していた。

実際に紘一は、友梨の両親からも愛されていたし、今でも紘一は元気にしているのかと聞かれることがある。

「元気にしてるみたいだよ」

確証もなしにそう答えると、両親は安心した様子を見せるのだ。まるで本物の息子のように。

たった3年という短い期間であったが、その間にふたつの家族はひとつになっていた。それが離婚によって元通りになった。それだけの話なのに…。

寂しく思うが、当時の友梨と紘一には離婚せずに良い方向に行く術はなかったように思う。

そんなことを考え始めると、結婚というものが何なのか、何のためにするのかということがわからなくなってきた。

意図せず沼にはまり始めた友梨の思考は、紘一の声によって戻された。

「俺たち、また新しい家族を作ったりするのかなあ」

「どうだろうねえ」

「さっき『再婚の予定はない』って言ったでしょ?」

「うん」

「今、付き合ってる人はいるの?」

友梨は思わず口ごもる。同時に“あの人”の顔がなぜか思い浮かんだ。


友梨が咄嗟に思い浮かべてしまった『あの人』。それは、もちろん…。

十数年ぶりに再会した、将人。

互いに愛を失ったばかりの同級生は、思いもよらない流れで同居はしているが、決して恋人という関係ではない。

「いないよ。紘一は?」

「俺はいるよ。再婚も考えてる」

あまりにあっさりと紘一は言った。

「そうなんだ。付き合って長いの?」

「2年くらいかな」

それを聞いて、なんだかホッとした。

別れた元パートナーが未だに自分との離婚を足かせになんかしたりしていたら、罪悪感で自分も恋愛なんてできない。

しかも2年付き合っているということは、友梨と駿が付き合いだしたのと同じ時期に付き合い始めたということだ。

ーそれなら私が恋愛をしていた話をしても、大丈夫だよね。

「私は再婚しようとしてたけど失敗しちゃった」

少し笑いながら、そう言う。最近はだんだんと駿のことを話すときに、胸が痛まなくなってきた。

「2年付き合って、同棲もして、相手の親への挨拶も予定してたの。私もこのまま結婚するんだって本気で思ってた。でもね、彼、浮気してたの」

「は!?」

紘一は目を白黒させた。

「しかも5人」

「…本当に?」

「うん、結婚前の遊びで、結婚してからはしないからいいだろうって。それが許せなくて別れちゃった。挙げ句の果てに『結婚するなら相手も初婚が良かった』なんて最近になって送ってくるんだよ。私がバツ1なの知ってたはずなのに」

「別れて正解だと思う。友梨はそんな最低な奴といるべきじゃない」

友梨は驚いた。声こそ抑えているものの紘一は怒っている。

嬉しい反面、そんなに私のことを思ってくれるなら、結婚当時にもっと…、とも感じてしまう。

わがままな自分に気づき、思わずクスリと笑みがこぼれた。

「紘一は今のカノジョと幸せにね」

すると紘一はハッとして、恐る恐る聞いてくる。

「…今の、それ、嫌味?」

「私を差し置いて、再婚することが、後ろめたいの?」

「それは…難しい質問だな」

腕組みをして表情を曇らせた紘一の反応を見て、友梨は笑った。本当に面白くて笑った。

それが伝わったのか、紘一も笑った。

やっと雪解けしたような気がする。

残りの時間は、付き合う前の友達だった頃のような感覚で、会話と食事を楽しんだ。



穏やかな気持ちでディナーは終わった。

「じゃあ、またね」

「うん、またね」

次の機会があるかなんて、当の本人である自分たちが分からない。しかしそれでも「またね」と言い合って友梨と紘一は別れた。

店の前からタクシーに乗るとすぐ、友梨は「今から帰る」と将人にLINEをする。

それは、紘一と結婚しているときも、駿と同棲しているときも、一緒に暮らす相手に対して同じように繰り返してきたことだ。

奇妙な同居を始めてから、帰る前にはいつも将人へLINEしたし、将人も同じようにLINEをしてくれた。

だがこの夜、将人からのLINEは届いていなかった。

今朝、出かける前に「今日は遅くなる」と伝えたが、将人が遅くなるとは聞いていない。もうすっかり帰宅したのだろうか。それとも…?

少し嫌な予感がした。そして嫌な予感がしている自分に驚いた。将人はただの同級生であって、恋人ですらないのに…。

家の鍵を開けると部屋は暗く、やはり将人はいなかった。冷たい部屋の空気は既視感があるもので、友梨の指先も急激に冷えていく。

落ち着け、あの時とは状況も関係も全く違うじゃない、と自分に言い聞かせ、電気をつけた時、スマホが鳴った。

将人からの着信だった。

すかさず出ると、何かを急いでいるような将人の声が耳に飛び込んできた。

「もしもし尾形さん?もう家に帰ってる?」

「うん、今着いたところ。今日は帰り遅いの?」

「今日は帰れなくて……。というかしばらく、尾形さんの家には帰らない。荷物を置かせてもらってて申し訳ないんだけど」

そして早口に、本当にごめんね、と言うと一方的に電話は切れた。

友梨はしばらく立ち尽くしてしまった。

将人の声は焦燥していて、いつもののんびりしたものとは正反対だった。また真由子絡みで何かあったのだろうか。考えてもしょうがないことだとわかっていながらも頭が勝手に動く。

その夜、友梨はなかなか寝付くことができなかった。


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