「できれば幼稚舎、ダメなら青山」

夫の一言で始まった息子のお受験。

渋谷区神宮前アドレスを手に入れ、理想の結婚をしたはずの京子だったが、とある幼児教室の門を叩いた日から、思いがけない世界が待っていた。

◆これまでのあらすじ
自粛中の夫の不審な行動に一時亀裂の入った春樹と京子。だが、それぞれが息子のためにできることを考え始めた。そんな時、東山先生より志望校についてある提案をされる…。

▶️前回:「こんな一面もあったとは…」ステイホーム中、夫が気付いてしまった妻の意外な本性



「志望校の変更ですって?」

お昼すぎから数時間ほど、縄跳びとボールをたずさえ京子は隼人と代々木公園まで出かけていたが、家に戻るや否や、春樹が言い出したことに呆れていた。

これまで“幼稚舎か青山”のどちらか、とさんざん圧をかけてきたくせに、また気が変わったのか。

「違うんだ。俺の考えじゃなくてさ、東山先生に『一度ご夫婦で考えてみてください』と言われたんだ」

「で?どんな提案なの?」

隼人におやつを食べさせながら、話を聞く。

「志望校を見直してはどうか?という提案だよ。俺もよく考えたんだけど、東山先生の言うとおりだなって思ったんだよ」

先生と面談したくらいで志望校を見直してしまう春樹に、一抹の殺意さえ覚える。

ー今までの私の努力は、なんだったわけ?


東山先生の助言で、志望校を変更?コロナ禍でのお受験は例外だらけ!

そうは言っても、他ならぬ東山先生の提案。話を聞かないわけにもいかず、「それで?」と京子は続きを促した。

先生が言うには、青山が例年通りに試験を行う場合、11月頭に2日間考査がある。多くの学校が11月頭に考査を予定しているが、その時期に2日間も青山で日程を取られてしまうと、他校を受けられる可能性が狭まってしまうそうだ。

「もし、青山にこだわらないのであれば、他校にも願書を出しておいた方がいいのでは?と先生は言ってたよ」

春樹の話では、どうやら後ろ向きな話ではないようだ。

「隼人は、語彙力も豊富で利発な印象だからって。例えば、成蹊や暁星、早稲田実業、それから東京農大附属の稲花小学校とかいろいろ提案してもらった」

確かに、大学までエスカーレーター式で進学できる附属校もよいが、進学校として実績のある暁星なども大学進学を考えると魅力的だ。

そうなると幼稚舎はどうなるのだろう?

「幼稚舎の入試に関しては、男子は他校と日程がかぶらない可能性があるから、ぜひ受けてくださいってさ。あと慶應横浜初等部にも願書を出しておくことを勧められたよ」

青山にこだわらなくてもよいのでは、という提案をされたことを春樹は密かに喜んでいるようにも見える。

しかし、東山先生の提案だ。きっと隼人の特性を見た上でおっしゃっているに違いない。

「わかったわ。青山を受けない場合の志望校について、いろいろ調べてみる」

京子は春樹に対して言いたいことを、ぐっと飲み込んだ。





2020年7月。

自粛期間が明け1ヶ月ほど経ち、徐々に通常の生活に戻りつつあった。

梅雨も明け季節はすっかり夏。蒸し暑い季節だが、もはや季節を問わずマスクを手放すことはできない。

京子は由香里、リナと表参道のオープンカフェで待ち合わせをしていた。

到着すると、由香里がすでに軒先に出されたテーブルに座り、マスクを中途半端にずらし、アイスラテを飲んでいるところだった。

「どこの小学校も学校行事は中止だし、学校説明会もオンライン。今年のお受験ってどうなっちゃうんだろう?」

開口一番、由香里がため息混じりに言う。

「うちなんて準備を始めたの遅いから、去年までもどこの学校にも行ってないし、このまま学校に行くことなく本番を迎えることになりそう。それに、オンラインだと学校の良さが今ひとつわからないのよね」

京子も由香里に同調した。

「幼稚舎なんて、オンライン説明会すらやってくれないわよね。学校側も強気な姿勢よね」

そこにしばらく会わない間に、だいぶふっくらとしたリナが現れた。

「うちも全然うまくいってないわ。母が学校関係に縁が深い方々に連絡を取ろうとしても、『コロナが収まってから』と言われてしまうの」

リナの話によると、お母様が必死で手を尽くしている様子。

縁の深い方々というのは、“ツテ”ということなのかもしれない。

リナはテーブルに着くと、コーヒーとキャロットケーキをオーダーした。

「なんのために娘が小さい時から家族一丸となってお受験に取り組んできたのか、わからなくなったわ」

大きくうなずきながら由香里が、志望校についての話をしてきた。

「みんな、どこ受けるか決めた?うちは、私立にこだわるなら、幼稚舎だけじゃなくてストッパー校も検討するようにって東山先生に言われちゃった」

「うちは青山以外の学校にも、いくつか願書を出したらどうかって提案されたの」と打ち明ける京子。

「あら!それで?」

リナは目を大きく見開き、続きを聞きたそうな様子だ。

「受験日程が2日間ある青山をやめれば、もう少し受験校を増やせるでしょ?だからその方向で志望校を再考しているの」

それを聞いて、リナがキャロットケーキの最後の一口にフォークを刺しながら言う。

「なるほどね。数打ちゃ当たる、ってやつね」


何気ないママ友の一言に悪意を感じた京子は…

リナの嫌味たっぷりな物言いに、京子はカチンと来た。

そもそも小学校受験の合否の基準には、謎が多い。

だからこそ、色んな学校を受けて、子供に合ったところに受かればラッキーなのだ。

「リナさんのご家庭は、聖心一筋だからそう思うのかもね」

由香里が曖昧な言い方で場を濁そうとした時。

「志望校をコロコロ変えられる京子さんの身軽さが、ほんと羨ましいわ」

リナが引き金をひいた。

明らかに怪訝な表情の京子に気づき、由香里が慌てて取り繕う。

「京子さんは、最近お受験しようって決めたんだし、学校行事にだって全く行けてないんだから、学校のことよく知らないもの。迷うのは当然よね?」

由香里もフォローになってない。もう少しマシな言い方があるだろう。それに、なぜそこまで言われる理由もわからなかった。

志望校を見直しただけで、リナに迷惑をかけるようなことをしているつもりはない。

リナは大きくため息をつき「ほんと、わかってないわね」と静かに言った。

「私は娘が年少の時から、由香里さんは幼稚園に入る前からお受験の準備をしているのよ。『どうしてもこの学校に入れたい』っていう強い思い入れがあるの」

溜まっていたものを吐き出すかのように、文句が止まらない。

「それに…京子さん、特別なお受験準備はしないってこの間言ったじゃない?思い入れもなく特別な準備もなく、闇雲に受けまくってどっか受かればいい、なんて都合が良すぎるのよ」

リナが何を言いたいのか、ようやく理解した。最近入って来た自分たちに、余裕しゃくしゃくと合格されてしまうことが嫌なのだろう。

「特別な準備はしない」とは言ったけど、何もしないわけじゃなく、できることをコツコツやっていくことにしただけだと、反論しようとしたが、口を挟む余地がなかった。

「コツコツ勉強さえやってりゃ受かるほど、お受験は甘くない。ねぇ? 由香里さんもそう思うでしょう?」

リナに突然話をふられ、由香里は「え、えぇ」と消極的にあいづちを打つ。

「そんなことは思ってない。ただ、お金をかければ結果がついてくるものでもない、って気づいたのよ」

京子も次第に言葉尻が強くなっていく。

「……私と由香里さんに対する侮辱だわ」

そう言い放つと、幼稚園のお迎えにいくといって、リナは去っていった。



もともと感情よりも理性が優先される性格の京子。なのに今日はなぜかママ友を相手に、普段なら口にしない思いまで吐き出してしまった。

しかし、子供の物心つく前から頃から覚悟を持って取り組んできたリナや由香里と自分との間に、こんなに乖離があったとは。

「由香里さん、気分を悪くさせてしまってごめんなさい」

京子はうろたえる由香里に詫びた。

「私のことは、全然気にしないで。リナさんも子供のことで、思うようにいかないことが多くてイライラしてるだけよ。私だってそういうことあるもの」

さっきまでのリナの様子を思い出し、確かにそうなのかもしれないと思った。

「気にしないで。私には、これからもなんでも相談してほしいわ、京子さん」

「ありがとう」

由香里の言葉に、さっきまでのリナの剣幕を忘れ、少しほっとした。

しかし、由香里の笑顔の下に隠された本心を、京子はこの時、まだ気づいていなかった。

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リナと不穏なまま夏を迎えてしまった京子。お受験の本番まであと3ヵ月を切った