あなたはもう、気づいている?

あの笑顔の裏に潜む、般若の顔。

『なんで、あんな女が彼と…』
『こんなにも彼に尽くしたのに…』

復讐なんて何の生産性もないってこと、頭ではわかっている。だけど…。

激しい怒りに突き動かされたとき、人はどこへ向かうのか。

これは、復讐することを決意した人間たちの物語。

◆前回までのあらすじ

恋人(豪太)に婚約者(紗由里)がいたと知り怒り狂った愛菜は、2人に執拗に連絡するも、むしろそれが後押しとなり豪太と紗由里はついに結婚してしまう。

今回は、その紗由里が2年前に復讐心を抱いたときの物語。

▶前回:「ブロックされたら、新しいアカウントを作るだけ」浮気相手は自分だと気づいた女が見せた狂気



紗由里:「愛菜さん、気持ちわかるよ…」


『愛菜:紗由里さん?どういうことなの?こっちは2年も付き合っているわけよ。27歳から29歳までの時間捧げているわけ。それに豪太は私のこと愛しているって何度も言っていたし、浮気相手はあなたでしょ?さっさと別れてよ、往生際悪すぎるでしょ。何とか言ったらどうなの』

『愛菜:いつになったら返事してくれるんですか?紗由里さん。こっちはね…』

鳴りやまないスマホの通知にうんざりしながら、自分に向けられた敵意にちょっとは傷つきながら、でもどうしてだろう、彼女に対して怒りという感情が湧いてこない。

それは豪太が彼女を捨て、即座に私を選んだという自信から来ているのかもしれないけれど、それだけじゃない。

彼女の気持ちが、分かるから。自分が大切にしてきたものとか、心を寄せてきたものを踏みにじられたときの、憤り、悔しさ。どうしようもないほどの悲しみが、痛いほどに分かるから。

愛菜の新しいアカウントをブロックしながら、私は2年前の自分の身に起こったことに思いを馳せた。


紗由里が思わず愛菜に同情してしまった、2年前に起きたある出来事

今までの人生で、将来やりたいことなんて何もなかった。

上智大学を卒業後は、最初に内定をもらったメーカーに入社を決めたけれど、それは名の知れた大手企業だったから。理由はそれだけだった。

毎日毎日、上から降ってくる仕事をこなすだけの淡々とした日々。大手企業の総合職、一般的にはバリキャリと呼ばれるらしいけど、内情はとても地味なものだった。

「社会人ってまあ、こんなものよね」

どこか達観したような気分で過ごしていた、24歳の夏。私は運命の出会いを果たすこととなった。

海外駐在から戻ってきたばかりの女性が、私のいた部署に配属されたのだ。

「紗由里ちゃん、よろしくね。由香って呼んでくれていいよ!」

当時24歳だった私にとって、31歳の由香さんとの出会いは衝撃的なものだった。



顔の造形が美しいというわけではなかったが、醸し出される魅力的な雰囲気、抜群のファッションセンス、周囲をパッと明るくするオーラ。

由香さんの存在はまるで、おじさんたちばかりの鬱蒼としたジャングルに咲いた、一輪の美しいひまわり。そんな印象だった。

それに由香さんは、仕事の能力もずば抜けていた。年功序列がまるで法律のようにはびこっている日本企業において、彼女は異例のスピード出世を遂げた上に、最年少で海外赴任に抜擢され31歳でマネージメントとして帰任したのだ。

そのうえ仕事だけに没頭しているのではなく、素敵な恋人もいるらしい。

仕事もプライベートも楽しそうにこなす由香さんの姿は、いきいきしていて素敵すぎて、本当に電撃が走ったような感覚。

―私、由香さんみたいになりたい…!

今までこれといった熱を持つことがなかった私が、人生で初めて“憧れ”という感情を覚えた瞬間だった。

それから私は、本当に、本当に必死で仕事をした。

常に由香さんの後ろをついて回り、見様見真似で必死に仕事を覚えていった。そして、徐々に仕事の面白さにのめり込んでいった。

上を目指して努力していれば、また更に上を目指したくなる。当然の流れに組み込まれるように、私も由香さんが経験した海外赴任というものに強い憧れをいだくようになった。

そして、27歳になったとき、ついに人事に呼び出されたのだ。

「おめでとう、君にイギリス赴任の話がでているよ。もちろん、行くよね?」

「本当ですか?!」

人生で初めて、夢が叶うことの、目標を達成することの快感を覚えた。

欲しいものを努力して掴み取るって、こんなにも気持ちがいいものなんだ!ちょっと大袈裟かもしれないけれど、自分の足で人生を歩んでいる手ごたえを感じていた。

そして、この吉報を一番に伝えたかったのが、当時付き合っていた恋人・和也だった。

大手金融機関でシステムエンジニアとして働く彼は、私のキャリア志向を大いに理解してくれていた。

「いつか僕のこと養ってよ」

冗談交じりにそんなことを言ってくることもあった。

きっと自分のことのように喜んでくれるはず。そんな自信とともに、すぐに彼に報告したのに…。

彼が放った言葉は、思いもよらないものだった。


紗由里が当時の恋人・和也に赴任辞令を伝えた時、和也が放った思わぬ言葉

「…行かないよね?」

イギリスへの赴任を打診された、と嬉々として伝えたとき、彼の表情からは感情が消えた。そして、放たれた言葉がそれだった。

和也は、普段から冗談を言ってばかり。ひょうきんもの。お調子者。そんな言葉が彼を表すにはぴったりだ。

けれど、この時に彼が見せた表情は、無。真っ黒な生気を失った瞳が、こちらをじっと見つめる。

「…行こうと思ってるんだけど」

「どうして?2,3か月の話じゃないよね?数年行くんだよね?」

「…うん」

「遠距離になるんだよね?僕と結婚とか考えてないの?」

「考えてるけど…、30歳になってからでも遅くないよね?」

「僕はそんなに待てないよ」

「…え」

正直、そこまでは考えていなかった。結婚願望はあるけれど、仕事に夢中すぎて、具体的に自分がいつ結婚するのかまで、考えは及んでいなかった。

それに、結婚は1人でするものじゃない。和也の考えを一切聞かずに自分1人で判断しようとしたことを、この時やっと反省した。

「僕より赴任をとるなら、しょうがないよ…」

初めて見る和也の悲しそうな目。彼が別れを視野に入れていることを察した私は、初めて思い知らされた。自分がどれだけ和也のことを愛しているか。付き合い始めて3年。彼への愛情が冷めたことは、一度たりともない。

和也を失うかもしれないという恐怖に、知らぬ間に涙が流れていた。

「私、和也と一緒にいたい!結婚したい!!」

「じゃあ…赴任、断ってくれる?」

私は静かにうなずくと、彼は優しく抱きしめてくれた。

彼の首筋に顔を埋めながら、涙がとまらなかった。だが次から次へと流れ出る液体は、徐々にその意味を変えているような気がした。

―あんなに頑張って、嫌な思いもいっぱいした。それくらい必死で食らいついて、やっと手にした海外赴任への切符だったのに…。本当は諦めたくないけど…。でも、和也のことは絶対に手放したくない…。

自分が男だったら、こんな苦しみを味わうことはなかったのだろう。そんなことを思ったりした。

そして私は、断腸の思いで、海外赴任を断ったのだ。

和也と海外赴任。この2つを天秤にかけたとき、振り子はわずかにだけど、確実に和也に傾いた。だから、迷いはなかった。

けれど、それから1年後、悲劇が起きた。

『紗由里:クリスマスどうする?』

普段はどんなに遅くても数時間以内に返信をよこす和也から、2日以上返信がない。

『紗由里:25日にしない?料理つくるから、うちでパーティーしようよ!』

追いLINEをしても2日以上返信がない。この時点で、何かおかしいと頭ではわかっていた。

けれど、1週間、2週間と彼からの連絡を待った。事故にあったのではないか、死んでしまったのではないか、本気で彼の安否を心配してしまうほどだった。

そして、ようやく連絡がきたのは、最初のLINEをしてから1か月たってからのことだった。

『和也:ごめん、寝てた』

明らかに適当な、自分のことを蔑ろにしているメッセージ。私は怒りと勢いに任せて、彼の自宅へ詰めかけた。

そして…そこにいたのは、知らない女だったのだ。



「…どういうこと?」

「いや、これは違うんだ…」

「もう、違わないでしょ…。私と結婚するんだよね?さすがにハメ外しすぎでしょ…」

「…いや、それは」

明らかに歯切れの悪くなった和也に、そこにいた見知らぬ女が割って入った。

「和也と結婚するのは、私です」

何をバカなことを言っているのだと思い呆れ、返事すらする気になれなかったが、ふと、和也が否定もせず俯いていることに気づいた。

「和也。どういうこと」

「…ごめん」

結局のところ和也は、新しい恋人に乗り換えていたようだった。もう私と結婚する気はなく、その女に本気になっていたらしい。

徐々に、現実を理解しはじめると、本気で吐き気に襲われた。

和也にフラれたこともだし、夢だった海外赴任を和也のために諦めたという事実が、じわじわと私の心に重くのしかかってきた。

―あんな男のために、私は夢を諦めたの…?

彼と婚約していたわけでもない、赴任を断ったのは自分の判断。自分に全く非がないわけじゃない。けれど、和也のために、自分の夢を諦めたのは事実。

ぐるぐると回り続ける思考の渦の中で、最後に残ったのは、和也への強い、強い、憤り。

「…絶対に、許さない。引きずり降ろしてやる」

逃げ出すように和也のマンションを飛び出し、彼とあの女がいた部屋を見上げ、つぶやいた。

「たとえ、自分が一緒に破滅することになったとしてもね…」


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和也に仕掛けた、復讐とは?そして、その結果もたらされた思わぬ展開…。