5.2%―。それは、日本国内で“妻の方が稼ぐ”世帯の割合。

「妻には、仕事を頑張ってもっと輝いてほしい」

笑顔でそう言いながら腹の底では妻を格下に見て、本人も自覚せぬまま「俺の方が稼いでいる」というプライドを捨てきれない男は少なくない。

そんな男が、気づかぬうちに“5.2%側”になっていたら…?

男のプライドが脅かされ、自らの存在意義を探し始めたとき、夫はどんな決断をするのだろうか。

◆これまでのあらすじ

妻の伊織が書き残していた日記。離婚は“彼女の言いがかり”だと思っていた新太だが、実は自分に非があると知ってしまい…?

▶前回:プライドの高いエリート夫を打ちのめした、妻の日記。そこに記されていたのは…?




「なに?これ…」

伊織は、リビングテーブルに置かれた一通の封筒に目を止めた。

白地に薄ピンク色の桜が並んだ、少し季節外れとも言える封筒。近くの文具店で安売りしていたものでも買ってきたのだろうか。

表には「伊織へ」と書いてある。その傍らには、先日渡したあの日記が置いてあった。

今日は家を出る準備をするため、片付けにやってきていた。

これから法的な手続きに移るし、やるべきことは残っているが、新太から「離婚を受けいれる」という返事をもらった今、別居の準備を進めている。

結婚生活とは反比例するように、仕事は順調そのものだった。

先日はインタビューでも取り上げてもらい、社内での評価も上々。ありがたいことに仕事も副業も忙しく、経済的にもゆとりがある。1人暮らしなら、それなりのエリアに住めそうだ。

夫に引け目や申し訳なさを感じず、堂々と仕事に打ち込める生活が、もうすぐそこに待っている。そんな日々に心を躍らせていたのだ。

封筒を開けると、そこには1枚の便箋が入っていた。

『自分の何気ない一言が、伊織を苦しめていたなんて気付いてもいなかった』

そんな文章から始まる達筆な字で書かれた手紙に、伊織は固まった。


落ち込んでいたはずの新太が、なぜ手紙を書こうと思ったのだろうか

自覚症状のない人間


それは、数日前のこと。

伊織の日記を読んだ新太は、頭を鈍器で殴られたような衝撃で、その場から動くことができずにいた。身体がカタカタと震えている。

「妻は自分と結婚できて幸せだろう」とばかり思っていたのに。日々の生活の中で、彼女をこんなにも苦しめていたなんて。

それに手紙の衝撃は、日頃の自分を省みさせることにもなった。

「こんな簡単な書類なのに間違えるのか?」
「資料を完成させるまで、随分時間かかったな」

昨日もつい、後輩にそう言ってしまったことを思い出す。

自分だったらもっと早くできるのに。自分ならこうするのに、という考えが働いてしまう。

―こうやって知らず知らずのうちに、周りを傷つけてたんだな。

ハラスメントという言葉をよく耳にする。社内の研修でも声高に叫ばれているが、そんなの自分には無関係。ひどいことだなと他人事に思っていた。

いつどこで誰を傷つけているのか分からないと思うと、恐ろしくなる。

新太は、少しほこりの溜まった床に突っ伏して、何度も拳で床を叩いた。





「俺たち、もう難しいかもしれない…」

同僚のエマに、新太は弱々しくこぼした。プライドが邪魔して誰かに打ち明けるなんてことも、かつてはなかったのに。なかなかやられてしまっているようだ。

「伊織からも聞いてる」

「そうか…」

ガックリと肩を落としていると、彼女は茶化すように続けた。

「随分落ち込んでるじゃない。初めて見るかも。いつも自信満々な新太はどこにいったのよ?」

エマなりに喝を入れてくれたのかもしれない。だが満身創痍の今、必要以上に落ち込むだけだった。

―その自信が諸悪の根源だからな。

心の中で吐き捨てるようにつぶやく。覇気のない新太に、エマは「ねえ」と切り出した。

「自分から何か働きかけたり、動いたりしないの?今、伊織に対してできることはないのかしら」

「えっ?」

予期せぬ言葉に、間抜けな声が出てしまう。彼女は一体何を言っているのだろうかと、首を傾げる。

―今さら、何ができるって言うんだよ。

「俺が悪かったんだ。このまま離婚を受け入れることに…」

すっかり自信を喪失した新太は、打つ手もなく応じる構えだった。するとエマは、手に持っていたマグカップを乱暴に置いて、問い詰めてくる。

「伊織が求めていたのは何だった?ただ謝罪することだけじゃないと思うわ」

「求めていたものって、離婚じゃないのか?それにもう遅いだろ。今さら俺が何かして、伊織が喜ぶって言うのかよ」

彼女に反論しても仕方ない。頭では分かっていても、つい感情的になって口から出てしまう。

「もう一度考えたら。最後くらいしっかりしなさいよ!伊織だって、そんなクヨクヨした新太はイヤなんじゃないの?」


エマに喝を入れられた新太が、最後に伝えようと思ったこととは…?

―随分、寒いな。

その日の夜。オフィスに残った新太は、エマの言葉を思い出していた。ガランと静かなオフィスは、19時になると自動で暖房が切れるらしい。

どこかに行けば手動でつけられるのか、ビルの管理センターに連絡したら良いのか分からず、とりあえず我慢しようとする。

「伊織が求めていたのは何だった?ただ謝罪することだけじゃないと思うわ」

そんなエマの言葉を、何度も反芻する。

―求めていたことって、何だよ…。

教えてはくれなかったが、彼女は何か伊織から聞いているのだろうか。

セミナーで言っていた言葉や、妻が書いていた日記を思い返してみる。だがパッとは思い浮かばなかった。

資格に合格した時や、評価されたことを報告した時の、伊織の気持ち。こう振り返ってみると、いかに適当に反応していたのかと、自分でも苦々しく思った。

どうしてこんなにもすれ違ってしまったのだろうか。相手の気持ちも考えず、コミュニケーションを疎かにしてしまったツケなのだろう。

結局自分たちは、何も分かり合えていなかったのだ。

―もしかして。

新太は、オフィスの事務用品が保管されている棚からレターセットを取り出す。季節外れの桜柄だが、まあ仕方ない。

今は、伊織に自分の気持ちを伝えることの方が大事だと思ったのだ。



“伊織へ

自分の何気ない一言が、伊織を苦しめていたなんて気付いてもいなかった。本当に申し訳なく思っている。

もう遅いかもしれないけど読んでくれたら嬉しい。

この前、伊織がインタビューされた記事を読んだ。今言うと本心に聞こえないかもしれないけど、改めて伊織の頑張り、すばらしさに気付かされた。

これまで、きちんと耳を傾けてこなかったことを反省している。

少しでも伊織のためにできることがないかって考えたんだ。

これからビジネスを大きくしたり、仕事を頑張るうえで、何か手伝えることはないかな。会計のことでも何でもいい。

力になれることがあれば嬉しい。的外れだったらそう言ってくれればいいんだ。離婚する夫に頼みたくない、そんな気持ちだとしても仕方ないけれど。

考えてみてくれないか?“

それは今、新太が表現できる精一杯の愛情だった。



初めての温もり


―あの新太が、私のことを認めてくれた…?

手紙を持つ伊織の手は、驚きで震えていた。

離婚直前にして、夫が自分のことを認めてくれたのだ。それは結婚してから、ずっと望んできたことだった。

こんなギリギリになって、どうして。

むしろ気付かないまま、イヤな彼で終わってくれた方がよっぽど良かったかもしれない。

先日の仮面夫婦の話の時とは違う、温かみを感じる。こんな温もり、初めてだ。

『手紙読みました。最後に一度、話しませんか』

そして伊織は、震える手でメッセージを送った。


▶前回:プライドの高いエリート夫を打ちのめした、妻の日記。そこに記されていたのは…?

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次週、最終回。離婚直前にして、ついにコミュニケーションをとることが出来た夫婦。その行方とは…?