大抵どんな夫婦にも、互いに“秘密”があるものだ

しかし、SNSを通じて相手のことを簡単に暴ける時代

あなたは、相手の全てを知りたいと思いますか?

『愛しているからこそ、全てを知りたい』

そう考えた一人の男がいた

愛しすぎることは、罪なのか……?



『一度でいいから、ぜひお会いできませんか?』

榊原里紗(33)が自身の料理教室のために開設したInstagramには、男性からこういった類のDMがよく届く。

最初こそ「うわ…気持ち悪い…」と敏感に反応していたが、最近では慣れてきてしまい、何も思わなくなっていた。

しかし、今日届いたDMは気持ち悪さの種類が違った。

『もう一度、お会いしませんか?』

すぐに、送り主のアカウントを確かめたが、まったく見覚えのない顔。どこかで会ったのかもしれないが、記憶にない。

「この人、知ってる?」

帰宅した5歳年上の夫・毅(つよし)に尋ねてみたが「知らないなあ」と返された。

「また変なメールが来たの?」

「そう。もう一度私に会いたいなら、料理教室に来ればいいのに」

とはいえ、最近はこのご時世。もっぱらオンライン料理教室だが。

「里紗が美人すぎるんだよ」

毅はいつだって大真面目にそう言う。

「美人じゃダメ?」

照れもあって冗談っぽく言うが、彼は「美人で最高だよ。見た目も中身も世界で一番だよ」と恥ずかしげもなく語る。そして「こんなDMで里紗の心が動くと思われていることがムカつく」と言葉を続ける。

夫は嫉妬を隠さない男だ。里紗はそのたびに「愛されている」と実感する。

―それにしても、この男の人、誰なんだろう…?

いつものように毅に抱かれて眠りにつくまで、DMの送り主のことが無性に気になっていた。


謎の男からのDMに、里紗の返事は…?

毅は「美人だ」と言ってくれるが、33年間生きてきて自分が美人だと思ったことは、あまりない。

むしろ、いたって普通だ。

共働きの両親のもと長女として生まれ、杉並区のごくごく普通のマンションで育ち、成長が止まったときには平均身長、平均体重。恋愛経験も学歴も平均的で、特筆すべきものはない。

もちろん“普通”が難しい時代だからこそ、それだけで十分に恵まれているとも思う。

ただ何より恵まれているのは、毅と出会えたこと。

彼とは4年前、仕事を通じて知り合い、その1年後には入籍したから、結婚してまもなく丸3年が経つ。

夫は、未だに自分のことを全肯定してくれる。

―彼は私のことが好きだから、褒めてくれるだけなんだ。

勘違いしないように自分にそう言い聞かせるが、それでも毅が褒めてくれるたびに里紗は「私って特別なのかもしれない」と思ってしまう。

結婚後、一度は専業主婦になったものの、子供のころに抱いていた「料理教室を開きたい」という夢を実現することができたのも、彼が背中を押してくれたお陰だ。

毅は精神的に支えてくれただけではない。金銭的にもすべてサポートしてくれた。空間プロデューサーという仕事を活かし、素敵な内装のキッチンスタジオが、池尻大橋の自宅近くに完成した。

―こんなに完璧な人はいない。こんなに私を愛してくれる人はいない。

常々、里紗はそう感じていた。それどころか「どうして私なんだろう?」「毅は私みたいな人でいいのだろうか?」とすら思ってしまう。

一度だけ、酔った勢いで「もっと他に素敵な女性が現れたら、乗り換えてもいいんだよ?」と口走ったことがある。

毅は真剣に怒って「里紗は世界でひとりしかいない。俺は里紗がいいんだ」と言ってくれた。

その時は、嬉しくて泣いてしまった。



世間では、毅のような夫を“愛妻家”と呼ぶのだろう。

しかし、彼はそう言われることに不満を感じるらしい。

「愛妻家って言葉があっても、その逆の、愛夫家って言葉はないでしょ?」

「うん、たしかに、聞いたことないね」

「それってつまりさ、妻が夫を愛してるのは当たり前、でも夫が妻を愛してるのは珍しい、ってことだと思うんだ。珍しいからわざわざ“愛妻家”なんて言葉を作ってレッテルを張るんだよ」

いつもの大真面目な顔で彼は言う。

「夫が妻を愛して何が悪いんだよ」

毅がいるかぎり、里紗の人生に、新たな男は不要だ。

だから、知らない男から誘いのDMが送られても、心が動くことはない。返事なんてするわけがない。

―毅に出会い、愛されて、私は真実の愛を知った。

恥ずかしい発言も大真面目に言いのける彼と違って、里紗は照れてしまうので伝えたことはない。だが紛れもない本心だ。

『毅に愛されている』そう思うだけで、どんな困難にも立ち向かえる気がした。

だから、例の見知らぬ男から『お願いですから無視しないでください。もう一度会ってください』という2通目のDMが届いても気にならなかった。

…3通目のDMが届くまでは…。


3通目のDM、その内容とは…?

その日、自宅での夕食が始まると、毅は「相談がある」と切り出してきた。

「里紗の料理教室なんだけど、規模を拡大してみない?」

「規模を拡大?」

「具体的には、レストラン部門を始めたい」

料理教室は法人化していて、れっきとした会社組織だ。代表取締役は里紗だが、資金を提供した毅が実質オーナーとなっている。空間プロデューサーとしての彼の個人事務所が、親会社というわけだ。

毅は事業プランを語り始めた。

「このご時世だから、店舗を構えるレストランじゃなくてさ。デリバリー専門のレストランなんだけど、どうかな?あのキッチンスタジオを使って調理するんだ」

たしかに完全オンライン教室に切り替えて以来、料理教室としてスタジオが稼働している時間は減っている。

対面式での料理教室は同時に受講できる数が多くても10人程度で、いつもは4、5人だった。しかしオンラインなら同時に20人近くが受講できる。

1回における生徒数が増えた分、講義自体の回数は減っているのだ。

「もちろん、すべて里紗が作るわけじゃないよ。調理スタッフは外部から募集する。君はレシピを考えるんだ」

「あー、いいかもね!」

さすが毅だと思い、里紗は乗り気になった。

「スタジオを始めて、私、本当に料理が好きなんだなって思ったの。教えるだけじゃなくて、お客さんに自分のレシピを振る舞ってみたいかも」

これぞ以心伝心と言うのだろうか。2人は夫婦ならではの阿吽の呼吸で、その夜、レストラン部門の展望を語り尽くした。

アルコールも進み、里紗だけでなく、夫もかなり上機嫌のようだった。

「じゃ、さっそく明日から準備を始めるよ」

毅は知る人ぞ知る気鋭の空間プロデューサーだが、同時に優秀な経営者でもあった。新しいビジネスアイディアに対して、フットワークが軽い。

「里紗は、調理スタッフの目星をつけといて」

「うん。教室の生徒さんたちで、やってくれる人がいると思うから、当たってみる」

「よしっ。乾杯だ。里紗のレストランの前途を祝して」

「乾杯」

2人でグラスを掲げた。

だが次の瞬間、夫が発した言葉に、耳を疑った。



「里紗がYouTubeやってる頃から、いつかはレストランを始めるべきだと思ってたんだよなー」

「…え?」

「ん?」

「YouTubeって何?」

ワインでほんのり紅潮していた毅の顔がみるみる青ざめていく。そして分かりやすく狼狽する。

「間違えた。YouTubeじゃなくてInstagramだった」

慌ててごまかす夫を前に、自分はいたって冷静だった。

たしかに、かつての里紗は――毅と知り合う前の里紗は――YouTubeをやっていたのだ。だからこそ彼の発言がただの言い間違いとは思えなかった。

会社勤めをしている20代の頃、“普通”な人生に飽き飽きして、実はたった2本だけ料理動画をアップしたことがある。

しかも男性目線を意識した“格好”で…。

若気の至りだ。すぐに羞恥と後悔が押し寄せ、動画は削除した。

動画を見た男たちから「会いませんか」というメッセージが次々に届いたことも大きい。恐怖を抱きながらも「逆に、こんな出会いもアリかも…」などと心が動いた自分がいた。そんな自分が許せなかった。

仲の良い友人にも言っていない、まさに黒歴史。

―なのにあなたはどうして、それを知ってるの?

口に出して質問したかった。しかし、できない。

奇妙な沈黙が生まれて、その後、何事もなかったように再びレストラン事業の話に戻る。

夕食を終えると、夫はシャワーを浴びにバスルームへと向かった。

その間、Instagramを開くと、例の男から3通目のDMが届いていた。

『お願いです。ボクともう一度、会ってください。ご主人のことで、どうしても、お伝えしたいことがあるんです』

そのメッセージを見た瞬間に、スマホを持つ手が震え始める。

どんなに落ち着こうとしても、震えは止まらなかった。


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