あなたはもう、気づいている?

あの笑顔の裏に潜む、般若の顔。

『なんで、あんな女が彼と…』
『こんなにも彼に尽くしたのに…』

復讐なんて何の生産性もないってこと、頭ではわかっている。だけど…。

激しい怒りに突き動かされたとき、人はどこへ向かうのか。

これは、復讐することを決意した人間たちの物語。

◆前回のあらすじ

会社の後輩・凜香(25)に思いを告げるもフラれた槙斗(35)。しかし、凜香が槙斗からの告白を面白可笑しく吹聴しているとこを知り、槙斗は…

▶前回:「僕に気がある」と思っていた女性部下を、自信満々で誘ったら…。待ち受けていた悲劇



凜香:「都合よく利用するつもりだった」


槙斗からの好意は、前々から感じていた。

自分の仕事ですら手一杯なはずなのに、彼はいつも私に目をかけてくれたし、同僚のコミュニケーションという域を越え、プライベートにも踏み込んできた。

私の部署は激務で、みなが多忙を極めている。そんな中、仕事で困ったときにすぐに頼れる存在として、彼は頼もしかったのだ。

でも私にとって、彼はそれ以上でも、それ以下でもない。

だから、彼からの好意をなんとなくかわしながら、絶妙な距離感をキープしていた。…つもりだった。

けれど、彼は相当に勘違いが激しいタイプだったらしい。私が拒絶しないことを、私からの好意と受け取り、不倫のお誘いを申し出てきたのだ。

なるべく彼を傷つけないよう、けれどはっきりと、その申し出を断ったのだが…。

「田島さん、ちょっといい?」

あれから、3か月たったある日のこと。いつものように出社すると、とある男が話しかけてきたのだ。

「…はい」

これが、彼からの復讐がはじまる合図だったなんて、この時は知る由もなかった。


凜香に声を掛けた男、そして槙斗の復讐とは…

「今、うちの部門で大きな組織変更をしようとしているという噂は耳にしてるかね?」

会議室に呼び出され、着席するやいなやそう切り出したのは、私の上司。

「はい、噂ではなんとなく…」

なにかの前置きであることはわかったけれど、彼が何の話を切り出そうとしているか、さっぱりわからない。

「それでね、まあ、色々組織変更に伴った人員配置も行われることになってね」

まさか、異動ではないだろう。私は半年前に異動してきたばかり。ようやく仕事にも慣れ、これから戦力として会社に貢献しようとしているタイミングだ。

「はい…」
「まあ、それでね。人事でも色々検討した結果なんだけど…」

…けれど、彼の口調は妙に優しい。もごもごと言いづらそうにしている雰囲気から、何か嫌な胸騒ぎがする。

「田島さんは、異動してきて間もないんだけど、別の部署で活躍してもらうことになった」
「…どこですか」
「東北営業所だ」

頭が真っ白になった。

「…なんで、ですか?」

なんとか絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しく、震えていた。

私がショックを受けていること、これが何か意図のあった人事だということ。それを彼は理解し、私を憐れんでいたのだろう。

申し訳なさそうに「組織変更に伴った人員配置を再検討した結果だ」、そう紋切り型の回答を口にするだけだった。

まさに、茫然自失。

なぜなのか、これからどうするか、考えが及ばないほどに脱力して、頭が動かなかった。

もうすぐ始業時間になる、とりあえず自席に戻ろうと会議室を出たとき、目にした景色に戦慄が走った。



槙斗がこちらを見つめ、不敵な笑みをこちらに向けたのだ。


槙斗の思惑と、凜香の反撃。

私はすっかり、彼との間に起こったことを忘れかけていた。けれど、あの目を見て、瞬時にすべてを理解した。これは奴の仕業だ、と。

槙斗は入社してから最初の5年、人事部の配属だった。当時はそれなりにモテていた彼は、同じ部署のとある先輩と食事会やらナンパやら、派手に女遊びをしてたという。

その先輩は、槙斗の人脈やノリの良さを痛く気に入り、彼を可愛がっていたという話を聞いたことがあった。

そして、その先輩にあたる人物が、私の部署の担当人事課長なのだ。

瞬時に、点と点が線を結び、その線に胸を激しく撃ち抜かれた感覚がした。

―やられた…。

そう思った。

会社の人事なんて、よくもわるくもブラックボックス。大人の汚い事情が、複雑に絡み合っていたりする。

真っ向勝負で直談判したところで、一度言い渡された辞令をひっくり返すことができないことくらい、入社3年目にもなればわかってくる。

確かに私は、彼の好意を最初からは拒否しなかった。彼に、私に弄ばれたと主張されてしまっても、致し方ない部分はある。

―だけど、許せない…。絶対に許せない。こんなに仕事に対して意欲がある、若くて優秀な私を…。会社にとっても、絶対に損になるはず。

…そして、私は行動にでた。





「田島さん…いや、もう凜香ってよんでもいいかな?」
「…はい」

人事課長は背が高く、すらっとしたスタイル。ぱっと見は、カッコイイおじさんだけれど、どんなに若作りをしたところで、お腹のたるみ、肌の弾力、刻まれた法令線は隠せない。

今年で43歳になるこの男に、異性としての魅力は全く感じない。

「凜香…」

彼は、そう言いながら私にグッと顔を近づける。鼻につく加齢臭に鳥肌がたつも、なんとかこらえ、彼を受け入れる。

「…ねぇ。ちょっと待って。…私のお願い、聞いてくれるんだよね?」

彼のスイッチが入ったところで、釘をさす。

「わかったよ、わかった。だけど、凜香。君もわかってるよね?僕が会いたいと言ったときには、必ず僕と会ってくれるんだよね?」
「…もちろん。だから、ちゃんとすぐに本社の部署に戻してね?」

こんなこと、絶対に会社の人には知られてはいけない…。

けれど、お互いが望むものを、お互いに与え合う。変に愛をささやいたり、取り繕ったりすることはない、ある意味とても健全な関係だと思う。

昔からそう、私は欲しいものがあったら手段を選ばない。どんな手を使ったって、取り返すのだ。


槙斗:「人の、本性」


“復讐”という言葉を聞いて、その首謀者を思い浮かべるとき、それは大抵の場合、女だ。

女は嫉妬深く、執念深い。陰湿なイジメや、じめっとした人間関係の裏にいるのは、いつも女だ。

けれど、じゃあ、男がいつもカラッとしているのかと言いうと、そういうわけでもない。男だって嫉妬するし、プライドを傷つけられたら、感情は大きく波打つ。

建前上、ヒステリックになりたい気持ちは必死で我慢するけれど、抑え込まれた感情は体の内側で大きなうねりをあげ、消えることのない怒りの炎となって、じりじりと燃え続ける。

男だからって、見くびらないで頂きたい。

だから、僕は自分を守るために、彼女に制裁を加えた。彼女をむやみに傷つけたかったわけじゃない、これは一種の正当防衛なのだ。

凜香の、あのひきつった表情は実に見ものだった。この3か月、煮えたぎった怒りが、本当にスーッと昇華されていく感覚がした。

けれど、ここ最近…。何かがおかしい。

「あ、もしもし?先輩ですか?」
「…あ、槙斗か。ごめん、ちょっと最近バタバタしててね…」
「え、先輩。まだ仕事落ち着かないんですか?」
「…あ、ちょっとな。また電話するよ、じゃごめんな」

凜香への内示から1か月。そろそろ組織変更の件も落ち着いてきたはず。けれど、何度電話しても、先輩はずっとこの調子。

僕だって、バカじゃない。先輩の態度、凜香の最近の表情を見ていれば、何かがあったことくらい、察しがつく。

男にだって、勘はある。

また、感じる。あの時に覚えた、胸の中で何かがじりじりと燃え上がっていく感覚を…。

―凜香の異動を取り消すことだけは、絶対に許さない…。

僕は気づくと、先輩のさらに上司に電話をかけていた。

「あ、もしもし。お久しぶりです。ちょっと今度ご飯でもいかがですか?」
「久々だな〜…」

それは、ほとんど反射的な行動だった。けれど、電話を切ると、心の中にいるもう一人の自分が、ほんの少し落ち着きを取り戻したことを感じた。



心の中に棲む、もう一人の自分―。

そう、初めてその存在に気づいたとき、どうにか奴を封じ込めようとした。

仕事ができて、面倒見も良い。有名大卒で、ルックスもいい。由香という美しい妻だっている。

いつも笑顔で、爽やかな僕。…そんな外面の下で、こんなにどす黒い感情が渦巻いているなんて、人に知られてはいけない。なんとかやり込めなくてはいけない、と。

けれど、それは無理だった。

一度覚醒してしまったもう一人の僕は、その思いを晴らすまで、収まってはくれない。

だから、奴を納得させるために、こうして行動に出るのだ。復讐という、奴を鎮静する手段に。

けれど、あるとき僕は気づいた。

これは、僕だけじゃない、と。凜香だって、きっとそう。

みな人狼ゲームさながら、村人を演じつつ、本当の顔を隠している。本当の欲望を叶えようと裏で画策しながらも、良い人の顔を張り付けている。

だけど、そうやって自分の裏の顔を上手く操れる人間こそ、社会でうまいことやっていけているのかもしれない。

所詮、人間なんて、そんなものだと思う。

Fin.


▶前回:「僕に気がある」と思っていた女性部下を、自信満々で誘ったら…。待ち受けていた悲劇