第二十夜「偽る女」


その日、我が社の人事部は、一通の応募書類を巡って大いにざわついていた。

「え、ちょっとこの履歴書見てくださいよ!」

「何なに?…小学校から高校まで白百合、そのあと上智の外国語学部フランス語学科。高校2年生のときイギリスに1年間ホームステイと現地高校に留学して、大学4年時は…ソルボンヌ大学に1年間留学!?仏検1級、TOEIC920点?」

「なんでこんな優秀な子が、うちの採用試験を受けにきたの…!?」

第二新卒の正社員募集に応募してきた、“加藤希美”の履歴書には、それほどのインパクトがあった。

うちの会社は親会社が財閥系とはいえ、従業員は300人ほど。

これほどのスペックの、しかも女の子が中途採用に応募してくるのは初めてのことらしかった。

らしかった、と言うのは、僕自身が親会社から出向してきたばかりで、この会社では新人管理職。しかも採用業務を担当するのはこれが初めてだったのだ。

この子会社の生え抜きである人事部の上司たちは、皆で頭を寄せ合って加藤希美の履歴書と、そこに貼られた写真を見ては、「この子が入ってきたらどこに配属しよう…」などと夢見心地な様子で話している。

グループ企業といえば聞こえはいいが、長年親会社にがっちりと首根っこを掴まれ、毎年交互にやってくる出向社員にオイシイところを持って行かれる。きっと鬱屈とするところがあるのだ。

親会社でも欲しがるだろう逸材が、わざわざ自社を受けにくるというのは、確かに人事冥利につきる話だろう。

…今思えば、僕たちは随分と呑気で、性善説というものを信じていたのだ。


面接にきた「加藤希美」。現れた女に一同驚愕…!?

意外な人物像


「それでそのカトウノゾミさんは、実物はどんな人だったの?超優秀!って感じ?」

食後のほうじ茶をダイニングテーブルでゆっくりと淹れながら、彼女の帆乃は興味津々といった様子で尋ねてくる。

「それがさ、なんか様子は至って普通、なんだよな。もっと私が!って感じで自己主張が強いかと思ったんだけど、どちらかというと大人しくて、ミステリアスな感じ。

能ある鷹は爪を隠すってやつかな。優秀で謙虚なんてすばらしい、と部長は喜んでる」

「え〜、何それ、やっぱり学歴がいいといいほうに解釈してもらえるんだね、いいなあ!」

帆乃はそう言いながらさっと立ち上がり、「甘いものが好きな圭祐のために昼間に作ってみたの」とよく冷えた白玉ぜんざいを持ってきてくれた。

「え!?こんなの作れるの?美味しそう。嬉しいな、いただきます」

僕は、手作りならではのちょうどよい歯ごたえの白玉をゆっくりと味わった。目の前でニコニコとお茶をすする帆乃に、じわじわと感謝の気持ちが湧いてくる。

去年の秋、友達が主催したオンライン食事会で僕らは出会った。

話してみると同じ沿線で、僕は自由が丘、彼女は大岡山に住んでいることがわかり、とんとん拍子に自由が丘デートに進んだ。

もはや半同棲と言っていい。これほど自然に、かつスピーディに進んだことは32歳の今まで一度もなかったから、よほど相性がいいのだろう。



僕が勤める財閥系企業は、なかなか保守的で、同期の半分以上はすでに家庭を持っていた。

子会社で管理職として人事採用業務を一通り経験したあと、本社に戻り、そこで人事部に配属されるルートがある。社内でも悪くないポジションだから、僕は張り切っていた。

―ここで成果を出して、本社に奥さんを連れて帰還するのもいいかもしれないな…。

新しい恋に浮かれていた僕は、そんなことを考えながら可愛い帆乃を見ていた。



「それで、加藤さんの素晴らしい経歴を拝見し、弊社としてはぜひご入社いただきたいと前向きに考えています。率直に、もし内定が出た場合、弊社の志望順位をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

最終面接に立ち会うのは初めてだったから、僕はその実誰よりも緊張していたと思う。社長と役員2名、人事部長、そして僕というなんともむさくるしいラインナップを相手に、加藤希美は堂々としたものだった。

真っ直ぐに伸びた黒髪は後ろで一つにまとめられ、メイクは色味が少なく控えめだ。服装もどこにでもあるようなリクルートスーツに肌色ストッキング、3センチヒールと、はっきり言って目を引くところはない。

むしろ、これまでいたであろう華やかでハードな世界に少しも馴染まず、当然のようにここにいる。

彼女の経歴を知っていると奇跡に遭遇したようで、不思議な感覚に陥った。

「内定をもしもいただきましたら、ぜひこちらでお世話になりたいと思っております」

加藤希美は丁寧に頭を下げた。その見るからに育ちのいい様子に、経営陣はあっという間に相好を崩した。

「それは良かった。弊社始まって以来の優秀な人材だ。中川君、預かる君の責任は重大だぞ」

社長がこの面接で唯一僕に水を向けてくれたので、気合をいれてうなずいてみせた。

こんな優秀な子ならば、しばらく現場を担当したあといずれは経営企画に置いて、生え抜きの経営陣参謀として育てていきたい。出向してきた親会社の社員と渡り合えるような若手がここにいれば、だいぶ健全な風土になるだろう。

その第一歩を設計できると思い、僕も彼女の入社をとても楽しみにしていた。

しかし、3か月後。

加藤希美は、入社当日、なんと消息を絶ったのだった。


焦る圭祐は、「ある人」に連絡を取る。そこできいた衝撃の事実。そしてさらに圭祐は「ある疑惑」を抱き…!?

フェイク


「神田さん、お時間いただきありがとうございます」

僕は出向前の勤務地である丸の内のオフィスビルで、昼休みの貴重な時間を割いてくれた先輩に頭を下げた。

神田さんは会社の大先輩で、若い頃は僕が今いる会社や、他のグループ企業で採用を担当していた、いわば人事のスペシャリストだった。

慶應のゼミの先輩でもあり、昔OB訪問をしてから何かと気にかけてくれる、頼もしい先輩だ。

僕は、今回の顛末を相談し、今後の対処法について意見を仰いでいた。

「それで、入社式から2週間経っても、連絡がつかないんだな?」

「はい…。急病かもしれないと、翌日履歴書にあった市ヶ谷のマンションまで行ったのですが、そもそも住んでいませんでした。それどころか、上智大学に事情を話して聞いたところ、在籍していた形跡がなかったんです」

勢い込んで話す僕に、神田さんは「ははあ」とうなずくと、コーヒーを一口飲んだ。

「圭祐、それはな、経歴詐称女だ」

「経歴詐称女?」

「人事をやってるとな、数年に1度、出現する。何から何まで、偽物の人間。経歴も、人となりも、全部嘘で塗り固めたやつがいるんだ」

「な、何のために?バレますよね?そんなのばれるに決まってる」

大体、最終的には卒業証明や住民票、年金関連書類を出すのだ。嘘をついて就職なんてできるはずがない。

「バレてもいいんだよ。そういう女はな、確かめたいんだ。学歴さえあれば自分は認められる。有名企業にも入れるってな。内定が出て、さあどうぞ入社してくださいって言われれば満足なんだ。だから、全ての書類提出が求められる入社式までには消える」

「え、でもうちはそれほど有名企業じゃないですよ…」

戸惑う僕のセリフを、神田さんは一笑に付した。

「それはお前が恵まれてるからだ。慶應出て、そんな容姿で、性格もよけりゃこの世に絶対入れない会社なんてないだろ。でもな、普通の子にとっては、超大手の名前を冠するグループ企業は十分有名企業だ。

とはいえ、超大手企業ならば証明書関連の提出は早い段階であることもあるし、名門大学の同窓生も多い。詐称したまま内定する可能性はほとんどないだろう。だから性善説で成り立っている、多少ゆるい子会社あたりが狙われるってわけだ」

僕は混乱したまま、加藤希美のことを思い出していた。

ごく普通の見た目だったが、志望動機や将来の展望はそれなりに説得力のあるものだった。とはいえ、確かにそれだけで内定するのは難しかっただろう。

やはり突き抜けた学歴の威力で、皆いいほうに、彼女にフィルターをかけて見ていたのかもしれない。

「満たされない承認欲求は、恐ろしいもんだぞ、圭祐。お前みたいに呑気に育ってきたボンボンにはわからない、鬱屈や渇望がこの世にはあるんだ。人事をやるなら、そこから目を背けるなよ。ぼーっとしてると、思わぬ方向からぶん殴られるぞ」





「そんなわけで、加藤希美なんてこの世のどこにもいなかった。結局、彼女の正体も目的もわからないんだけど…。やっぱり神田さんの言う通りなのかもしれないな」

僕は帆乃に言うともなしに、珍しくソファでビールを飲みながらピスタチオを口に放り込んだ。飲まないとやってられない気分だったのだ。

そんな人を採用してしまったことが悔しかったし、人がいい社風を利用された気がして、悲しかった。

帆乃はそんな僕を気遣うように、話に耳を傾けながら何も言わずにキッチンで洗い物をしている。

とはいえ、いつまでも仕事の愚痴を言っていても帆乃だって困るだろう。雰囲気を一新しようと、最近うっすらと考えていた案を思い切って口にしてみた。

「そういえばさ、このマンション、春に更新なんだ。…そしたら、もう少し広いところに、二人で引っ越すのって…あり得るかな?」

「え!?本当?すっごく嬉しい。じゃあお部屋、一緒に見に行こう」

思った以上にすんなりと、帆乃が嬉しい反応を返してくれた。くすぐったいような照れくさいような気持ちになって、ピスタチオをさらに割りまくる。

「でもさ、年頃のお嬢さんと一緒に住むとなると、帆乃のご両親に黙ってるわけにはいかないよなあ。挨拶とか、したほうがいいのかな?」

すると帆乃は、歌うような、なんでもないような調子で言った。

「あ、私の両親は他界してるし兄弟もいないから、そういうの気にしないでね」

「ご両親が?揃って他界されてるの?…ごめん、そうなんだ、帆乃そんな話一度もしてなかったから…」

僕はソファから立ち上がり、キッチンの帆乃を見た。帆乃はいいのよそんなの、と首をすくめてから「それよりどこに住もうか?」と嬉しそうだ。

…そういえば、僕は付き合って5か月、帆乃と「どんな話」をしていたんだろうか?

帆乃の生い立ち、帆乃の学生時代、帆乃が今、何を考えているか。

考えてみれば、そんな話題が出たことがあっただろうか?

「ねえ、それよりもこの前気に入ってくれたから、また白玉を作ってみたの」

帆乃がにこにこと、ガラスの器に盛られた白玉ぜんざいを持ってきた。

…白玉団子の空のプラスチック容器が、さっきゴミ箱に入っているのを見つけてしまったが、帆乃が手作りだというならば、あれは彼女が昼間、試しに買って食べてみたものに違いない。

確かな心地よさと愛しさを感じながらも、僕は昼間に神田さんからきいた言葉がなぜかひっかかる。

「美味しい?心を込めて、作ったのよ」

白玉は、奇妙に固く、味もしない。僕は何も考えないようにごくりとそれを飲み込んだ。


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次週はお休み。15日から春の怪談編スタート!ご期待ください。