「一人一校を代表する」“授業”をし続ける高本晴夫という男

【ネット裏 越智正典】甲子園大会はいよいよ大詰めである。東京では7月はじめの東西合同開会式の当日にもう赤トンボが飛んでいた。「オヤ、野球のお使いかな」と、東京都高野連前理事、高本晴夫。彼は府中球場や神宮第二球場の入り口で当番校の生徒と一緒に「出場選手名簿」をずうーと売り続けて来た。ことしは1部1000円。売上げは推定1500万円弱。都高野連の台所の潤いになる。

 高本はいまは都高野連の顧問。顧問というとちょっと貫禄があって聞こえもいい。しかしこの場合は打たせて貰えないで歩かされる敬遠の四球に似ている。彼には手弁当の顧問になっても思いがある…。ことしの東東京大会準決勝当日も神宮球場の正面入り口に机を出し「名簿」を売る生徒に「お客さんの目を見て、ありがとうございます、というんだよ。学校を代表しているんだという誇りを持って頑張ってね」。それから正面広場を行き交うお客さんに「只今、新宿区の海城高校の選手が販売しております」。校名を聞いてお客さんが足を止める。

 高本は改めて唸る。

「高校野球は凄い! この前はお客さんからご苦労さんですね、と差し入れを頂いちゃって…」。試合に出られないので挫けそうになっている受付選手の目が輝く。彼は生徒が世の中に出たときに役に立つと思っている。

 高本晴夫は昭和15年3月、東京で生まれた。少年時代「品川バニーズ」で頑張り、天王洲球場での東京大会で3連覇。都立高校に進むとその高校に野球部がなかった。“本ボール”で野球をやりたい。順天堂大に進むと野球部に。陸上の名門順天堂大の競技場は陸軍騎兵隊の跡地で、野球部のグラウンドはその一隅だった。慶応大、巨人の名三塁手宇野光雄はこの騎兵隊で終戦を迎えている。

 長嶋茂雄が学んだ佐倉一高(佐倉高)は寛政四年、十一万石の堀田藩藩主堀田正順が藩士教育の府として創立した「佐倉学問所」に始まる。儒学、軍学、数学、英学…。順天堂医院や順天堂大学は天保十四年、藩主堀田正睦が蘭医佐藤泰然を招いたのに始まっている。このことから長嶋茂雄得意のコトバを借りていうと、長嶋と高本は「隣組」である。

 卒業後、高本は東京杉並、日大二高の保健体育の先生に。華道部の生徒たちが心をこめて校内に活けている花々が美しかった。ほどなく野球部監督に。

 昭和40年夏、東西2地区になる前の東京で勝ち、名部長美濃部良介と、第47回大会の甲子園へ。第1戦、春センバツで優勝したエース平松政次(大洋)の岡山東商とぶつかった。降雨ノーゲームの翌日、4対0。見事な勝利だった。

 早大捕手、稲門倶楽部前会長猪瀬成男の母校、第41回大会で壮烈な戦いの末、準優勝の宇都宮工業の正門に校訓碑がある。「一人一校を代表する」。高本はそういう“授業”をしていると言える。横山幸子都高野連事務局長の心尽くし、いたわりに感謝している。新チームの“秋”が始まっている。 =敬称略=(スポーツジャーナリスト)


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