野球殿堂博物館は14日に今年の殿堂入りのメンバーを発表し、競技者表彰のエキスパート表彰として阪神、西武で活躍しダイエー(現ソフトバンク)で監督を務めた田淵幸一氏(73)が選ばれた。現役時は阪神のスター選手として注目を集め、西武への電撃トレードは大きな話題となった。引退後、指導者として多くの選手を育てた田淵氏には、本紙記者も何かとお世話に…。阪神コーチ時代に担当した番記者が、当時の秘話を明かした。

 忘れられない日がある。2002年2月12日。故星野仙一さんが阪神の監督に就任し、連日“闘将大フィーバー”が巻き起こっていた時だ。春季キャンプ地の高知・安芸市営球場に、なんと前年オフに巨人の監督を勇退したばかりのミスタープロ野球・長嶋茂雄さんがやってきたのだ。田舎町の興奮は沸点に達した。

「ここには初めて来たけど、眼下に広がる太平洋が本当にきれいなキャンプ地だな」。長嶋さんはさっそく打撃ケージに足を運び、主力選手の片岡篤史、赤星憲広、和製4番候補の浜中治らを熱血指導。長嶋さんの阪神キャンプ視察は後にも先にもこの一度きりなのだが、その仕掛け人は実は星野内閣の一員・田淵幸一打撃コーチだった。

 さかのぼること2週間余り。キャンプ前のネタ集めに苦労していた私は、田淵さんが拠点としていた大阪市内のホテルに足を運んだ。ロビーに現れた田淵さんとあいさつを交わし、破れかぶれの直球を投げ込んだ。

「ミスターもユニホームを脱いだし、安芸に呼んだらどうですか」。あきれ顔でスルーされると思ったが、田淵さんはニヤリと笑みを浮かべ「オマエ、よくぞ聞いてくれたな」とばかりにグイと胸を張った。

「大丈夫。ミスターは安芸に来るよ。オレが声をかけたんだ。ミスターは常々“阪神が強くないとプロ野球は盛り上がらない”と言っている人だから快諾してくれたよ。キャンプも盛り上がって活気が出るし、選手の刺激にもなる。今のタイガースにとって必要な人だと思ったんだ」。低迷を続ける古巣への愛情がにじみ、その行動力は翌03年に18年ぶりのリーグ優勝となって大輪の花を咲かせることになる。

 ミスターの招聘だけではない。明るく純粋な性格の田淵さんは、話題作りにも余念がなかった。一世を風靡した「うねり打法」はその典型だろう。まず「つり込む」、そして「支え込む」、最後に「押し込む」だったか。自らバットを持ち、そう説明しながら身ぶり手ぶりで体をうねらせる田淵さんは、愛嬌たっぷりで本当に憎めなかった。

 もっとも、うねり打法は選手にとって実に難解な打ち方だったようだ。田淵さんの秘蔵っ子で、うねり打法の申し子とまで言われた浜中は、打撃コーチに就任した数年前にこう話していた。

「うねりを選手たちに伝授することはないですよ。というより、実はボク自身も“うねろ”と教えられてもどうすればいいのか分からなかったんですよ。説明しろと言われてもとにかく難しいので、結局、最後まで分からんままでした(笑い)」。田淵さんらしいエピソードだ。

 星野政権時の2年間、田淵さんにはかわいがっていただいたと思っている。今回の野球殿堂入り、本当におめでとうございます。(阪神担当・岩崎正範)

【巨人入り密約秘話で笑い】殿堂入りは野球人にとって最高の栄誉。エキスパート表彰で選出された田淵氏は、都内の野球殿堂博物館で開かれた通知式に出席し「このような賞をいただけたのは、(かかわってきた)皆さん、ファンの方々、出会った監督、指導者のおかげです」と晴れ舞台で謝辞を述べた。

 現役時代はプロ入りから10年間在籍した阪神で長らく主砲として活躍した“ミスタータイガース”。ただ、この日は「もう時効ですから…」と往年のファンの間では有名な“巨人入り密約説”のエピソードを自ら切り出して笑いも誘った。

「本当に私は巨人に入りたかったですからね。周りの人は『巨人に入ったら森さん(祇晶氏)に潰されるぞ』と言っていましたが、(巨人からは)『田淵、(背番号)2番を用意しているぞ』ということでしたから」と当時の内幕を振り返った。その後のドラフト会議で阪神から先に指名されたと報告を受けた際は「頭をかち割られるような衝撃を受けた」。

 それでも憧れの巨人入りがかなわなかったことが反骨心に火を付け、歴代11位の474本塁打を放った大打者の原動力となった。「阪神で優勝できなかったことは残念」としたが、1975年には43本塁打を放ち、巨人・王の14年連続本塁打王を阻止。「王さん、長嶋さんの前で絶対に打ってやる」との思いで伝統の一戦に臨んでいたという。

 田淵氏といえば、2018年1月に急逝した星野仙一氏との関係が特に深かった。「後で聞いたら星野も(巨人から指名すると)言われていたらしい。二股ですよ」と明かすと会場は爆笑。17年に星野氏の殿堂入りを祝った際には「ブチ、お前もいずれ殿堂に入るだろう。その時は山本浩二(08年殿堂入り)と3人でパーティーしような」と声をかけられていたという。

 約束は実現しなかったが「心の中で『仙ちゃん、俺も入ったよ』と伝えたい」と亡き盟友へ思いをはせた。

☆たぶち・こういち 法大で当時の東京六大学リーグ記録となる通算22本塁打をマークし、1968年のドラフト会議で阪神に1位指名され入団。75年に本塁打王を獲得した。79年に西武へ移籍して82、83年の連続日本一に貢献。通算474本塁打は歴代11位。90年から3年間、ダイエー(現ソフトバンク)の監督を務め、08年北京五輪ではチーフ兼打撃コーチ。東京都出身。73歳。