【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】やるしかない。自分を信じて前に進むしかない。広島・中村恭平投手(30)が腹をくくったのは2017年9月のころだった。9月18日にカープがリーグ連覇を達成。中村恭も歓喜の輪に加わっている予定だった。だが、自身は9月27日、鳴尾浜での阪神戦でウエスタン・リーグ優勝のメンバーの中にいた。素直に喜んでいいはずの優勝。それでも、腹の底から飛び上がるほどに喜べない自分がもどかしかった。

 17年は人生の転機となった。当時の背番号22と誕生日(3月22日)にかけて2月2日に入籍。9月には第1子も授かった。本当の意味で家族を持ったシーズンに、一軍登板なしという現実が胸を締めつけた。もともと、150キロ超の直球を持ちながら、制球難克服を意識するあまりフォームも崩し130キロ台まで落ちていた。

「『速い球を投げられることは生まれ持っての才能だから、コントロールなんて気にせず腕を振れ』と言われたり『野球はコントロール。それだけの球威があるなら、力を抜いて軽く投げてみろ』と言われたり。もう、どうしていいか分からん」

 思わず愚痴をこぼしたこともあった。そんな時、先輩から言葉をかけられた。「俺みたいにユニホームを脱いだらもう何もできんのやぞ。どうしていいか分からんなら、自分でどうしたいか考えろ。精一杯やり切ったら、結果が出んでも後悔せんはずや。まずは黙ってやれ」。17年オフ、背番号は22から64に変更された。崖っ縁であることはおのずと感じ取った。

 家族を背負って立つ。覚悟を決めた。このタイミングで一度はやめていたウエートトレを再開。カープではレジェンド・黒田博樹や前田健太(現ドジャース)、大瀬良大地らが師事するパフォーマンス・コーディネーターの手塚一志氏の教えを仰いだ。

 19年シーズン、中村恭は開花した。過去8年で40試合の投手が43試合に登板。0勝1敗12ホールド、防御率2・64と結果を出し、最終的にセットアッパーの立場を勝ち取った。自己最速も156キロに更新し、来季は左腕一軍公式戦最速の160キロも目標にしている。

 19年9月には第2子を授かった。2年前から成長したパパがここにいる。もう迷わない。中村恭はその剛腕をブレずに振り続ける。

 ☆ようじ・ひでき 1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。