【球界平成裏面史(17)・中日落合舌禍事件(2)】平成元年(1989年)1月17日に長野県・昼神温泉で起きた“落合舌禍事件”。その地での自主トレ初日終了後に、中日・落合博満内野手は、キャンプインまでにベスト体重にならないと1キロにつき、罰金10万円との首脳陣の方針に「なんでかね…。俺は体重計には乗らないよ」と不満をぶち上げ、さらに「昔、早くから動いていなかった人ほど、指導者になって早くからやれっていう」など、星野仙一監督批判と受け取れるコメントを口にした。

 もっとも、落合はその取材対応の中で「星野監督」の名前を一切、出していない。すべては、暗に指揮官に対してのものだろうと、報道陣が解釈してのことだった。だからだったのだろうか。あの時、落合は記者にも「俺が言ったことをそのまま書けばいいんだよ」と穏やかな表情で、諭すように話した。でも、その時は腹をくくっているようにしか見えなかった。各社が「星野批判」と大きく報道するのは十分に想像できる状況だっただけに…。

 実は記者がそう思った理由は、もうひとつあった。完全な内輪話ながら、当時の記者は88年11月中旬から、ある記事が原因で星野監督に取材拒否を食らっていた。それは89年2月のオーストラリアキャンプ初日に解除となったのだが、この昼神温泉での“舌禍事件”の時は、そういう状況で、記者は落合に「今、星野監督に取材を拒否されているんですよ」と打ち明けた。これにオレ流は「選手は(マスコミに)話さなくてもいいけど、監督はちゃんと話をしないとダメ」ときっぱり。そして、また笑みを浮かべながら「あんなヤツ、無視しろ!」と言ったのだ。

 この時も落合は「星野監督」の名前は出していなかったが、質問した記者は「星野監督」の名前をはっきりと口にした。そんな中でのこの反応に、記者は、落合と星野監督の不穏な関係を感じずにはいられなかった。自主トレ初日を終えた後の過激な発言は、やはり指揮官への不満があってのことと記者が判断した瞬間でもあった。

 そして騒動は拡大した。翌1月18日、スポーツ紙はどこも大きく報道。これを受け、岡山での野球教室に姿を見せた星野監督は報道陣に「落合があくまで自己流でやりたいというのなら、スタッフと話し合って決めればいいことだ。アイツにはアイツなりの考え方、やり方があるのだろうから」とコメントした。表面上は…。

 中日球団サイドも黙っていなかった。中山了球団社長は「もっか伊藤(濶夫球団)代表に、その日の落合の言動を調べてもらっている」と言い、スポーツ紙などをすべてチェック、ニュアンスの違いなども細かく分析した。その上で「大打者だからといって、言っていいことではない」と処分を検討しはじめた。

 球団に対して落合は「一般論を話しただけ」と反論したそうだが、中山球団社長が「一般論としては言い過ぎだ。自分自身の問題と一般論をごちゃまぜにしている」と発言するなど、オレ流の立場は悪くなるばかりだった。だが、落合も引かなかった。自主トレ先の昼神温泉での“籠城”が始まった。

 =続く=