【球界平成裏面史(20)中日・落合年俸問題(2)】平成2年(1990年)オフは中日・落合博満内野手の年俸問題がプロ野球界の大きな話題になった。同年のオレ流は打率こそ2割9分に終わったが、34本塁打、102打点で2冠を獲得。ロッテ時代に続く、両リーグでの本塁打王は史上初の快挙でもあった。当然のごとく、落合は年俸1億6500万円からの大幅アップを狙ったが、球団側はシビアだった。チームが4位に沈んだこと、落合が正念場の夏場に調子を落としたこともあって、アップ幅を抑えようとした。

 落合は昭和61年(86年)オフに牛島和彦、上川誠二、平沼定晴、桑田茂との1対4の“世紀のトレード”でロッテから移籍し、日本人初の1億円プレーヤーになった(年俸1億3000万円)。以前から「俺は(年俸の)一番高いところに行くだけ」と発言したり、金銭に関しては貪欲なイメージがつきまとい、毎オフの年俸闘争は、もはやおなじみだったが、この年は特に難航した。

 そんな中、本紙は10月16日付1面で「落合 脅される!! 任意引退になってもいいのか!!」と報じた。そこには「落合君はよく頑張っていたとは思う。これで優勝だったら文句なしだっただろうけどね。チームは4位のBクラスだし、落合君に限らず(年俸は厳しく)考えなければいけないだろう」との加藤巳一郎オーナーのコメント、交渉役の伊藤濶夫球団代表の対落合の奥の手として「(球団査定に)不服なら、調停委員会にかけてもいい」との発言を掲載。初めて「調停」を口にした伊藤代表の「調停の結果に球団が不服なら、その選手の保有権を放棄しなければいけないし、選手側が不服なら現役を引退しなければならないんだよ」との説明も入れた上で、それくらい球団は強気に落合との年俸闘争に臨もうとしているという内容だった。

 さらに別項には星野仙一監督へのインタビューをつけた。オレ流の年俸問題について、闘将はどう考えているのか。このテーマを持って記者は名古屋市千種区の星野邸を訪ね、家の中で聞いた単独直撃で、指揮官の答えは実に明快だった。「年俸闘争というのは1年に1回のことなのだから落合も納得いくまで球団と話し合うべき」と前置きしながらも「今年の落合はあまり(球団に)言えないと思う」とピシャリ。加えて「2冠といってもチームは1位から26ゲーム差をつけられた4位だぞ。落合はAクラスがかかった時期に1割台の成績しか残せなかったんだ。野球は個人ではなく、チームでやるものだからな」と断言した。

 これを報じた翌日、記者はナゴヤ球場で中山了球団社長に呼び出された。記事に関する“事情聴取”だった。ただし、伊藤球団代表の「調停」発言に関しては全く聞かれず、中山社長が問題視したのは星野監督インタビューの方だった。「これは本当に星野が言ったのか!」と厳しい口調で記者は問い詰められた。「はい、僕が聞きました。間違いありません」。こう答えると、中山社長の表情が変わった。