【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】「僕のころのメキシコは…。練習という練習はしなくて、試合は日曜日にやるものだった。20年以上も前の話だからね、時代は変わるよね。今はそんなわけにはいかない」

 しっとりしたメキシコなまりの英語で穏やかに話すインディアンスのオリバー・ペレス。「メキシコのプロリーグの選手になれたらって夢見る、どこにでもいるメキシコの野球少年だったけど、大リーグまでとは考えてもいなかった」

 両親ともに元教師、6人兄弟の末っ子。家族のお気に入りで甘やかされて育ったというオリバーは兄姉らが会計士、医師、マーケティングなど割と手堅い職に就く中、16歳の時、歯医者へ治療に行こうとしていたのに思い立ってパドレスのトライアウトに参加したことで突然、米国のプロ野球選手の道を歩きだすという、まさに運命的なアメリカンドリームをかなえた一人だ。

「16歳で82マイル(132キロ)しか投げてなかったのに契約してもらえたんだよね。今じゃ到底無理だろうね」

 20歳でデビューし、けがなどで紆余曲折がありつつも、なおも大リーグで投げ続けるベテランにその秘訣を聞くと「野球が好き。毎日が初めての日のような気がしている」とオリバー。

 その初めての日とは2002年6月16日、パドレスの当時の本拠地、サンディエゴのクアルコム・スタジアムでのマリナーズ戦。オリバーは先発登板した。

「ハッピーであり、緊張していたかな。それまで2Aにいたから、観客が2000人くらいだったのにいきなり7万人になったもんだから。先頭打者はイチローだったよ。三振に抑えられ、試合にも勝ったんだ」

 球場に来ると、いつもあの時の高揚感があるのだという。

「もう最後の日になる可能性もあるからね、一日一日を楽しまなきゃって思いながら過ごしてもいるよ。リタイアした時に、勝った試合、負けた試合、あんなことがあったって覚えておきたいから記憶に刻んでいる」

 人生の半分以上を米国で過ごし、昨年8月には米国の市民権も得て、アリゾナを拠点に生活しているが、地元には年に何度も帰るという。

 06年WBC第1回大会からメキシコ代表で出場し続け、21年の出場も見据えていたほどの自国愛にあふれていて(残念ながらWBCは新型コロナウイルスの影響で23年まで延期に)、地元シナロア州クリアカンでは、13年から父イスマエルさんとキュウリとスイカの農場を経営している。

 それまで経営していた建設系の会社よりも、地球に還元できるビジネスにしようと始めたが、始めてすぐにハリケーンの被害に遭い、農園が浸水。その瞬間、親子が取った行動は5トン分の食料と4000個の緊急キットを地元の人々のために用意すること。「僕らが投資したいのは、人々のためになることだから」

 その他、教会の建設費用、地球温暖化対策のために地元小学校への木の寄贈なども行っているそうだ。

「ベストを尽くし、良きチームメートであり、楽しむことを教えてくれた野球から、何かを返せればうれしい」

 ☆オリバー・ペレス 1981年8月15日生まれ。38歳。メキシコ・シナロア州クリアカン出身。191センチ、98キロ。左投げ、左打ち。投手。98年にメキシコ夏季リーグのユカタン・ライオンズに入団。99年、パドレスと契約。2002年6月16日のマリナーズ戦で先発としてデビューし、初登板初勝利を飾る。03年にパイレーツに移籍し、翌04年は初の2桁勝利(12勝)、奪三振率10.97はリーグトップと好成績をマーク。マリナーズへFA移籍した12年に中継ぎ転向。その後はダイヤモンドバックス、アストロズ、ナショナルズ、インディアンスと渡り歩き、救援陣の核として息の長い活躍を続ける。メジャー通算72勝91敗4セーブ、102ホールド、防御率4.38。